第5話:疱瘡とは天然痘の事だ

天文三年(1534)2月20日:越後春日山城:俺視点


「よくぞ戻った、京での活躍は若狭守から聞いている。

 望み通り、京から持ち帰った永楽銭は好きに使え。

 他にも欲しいものがあれば何でも言えばいい」


 長尾為景は御機嫌だった。

 最初から好きにさせてもらう約束だったとは言わない。

 下剋上男を不機嫌にさせるほど愚かじゃない。


 俺が約束通り雪深い間に戻った事。

 通常の三倍もの永楽銭を持ち帰った事。

 更に百人とは言え兵力になる足軽を連れ帰った事を喜んでいる。


 だが、百人は俺個人の兵力だ。

 家族がいない者ばかり集めたから、永楽銭四貫文で一年間雇える。

 百人だとたった四百貫文あればいい。


「では疱瘡にかかった馬が欲しいです。

 疱瘡にかかった事のある馬が手に入れられたら、疱瘡にかからないように出来るかもしれません」


 今の俺が何よりも畏れているのが病気だった。

 それも、前世では撲滅されている致死性の疫病、天然痘が怖かった。


 天然痘で死ぬのはもちろんだが、伊達政宗のように、片目をえぐり出さなければいけないような、醜い後遺症になるのも嫌だった。


 俺が学校で習った時代には、種痘は牛痘ウイルスだと言われていたが、戦国仮想戦記を書くのに色々調べていると、馬痘ウイルスの間違いだと書いてあった。

 

 牛痘ウイルスと人の天然痘ウイルスには免疫交差の作用がなく、DNA検査で馬痘ウイルスだと分かったそうだ。


 だから俺が集めるのは、馬痘にかかった馬の瘡蓋だ。

 それを集めて種痘法を行えばいい。

 効果のない牛痘ウイルスでやっても、痛いのを我慢するだけ損だ。


 問題があるとすれば、日本には馬痘が流行していないかもしれない事だ。

 俺の記憶では、十九世紀から二十世紀のイギリスで流行っていた。

 日本で流行っていないなら、副作用の確率は高くなるが、人痘法に賭ける。


 緒方春朔がやったように、天然痘患者から採取した膿、粉末状にした瘡蓋を木製のへらに盛って鼻孔から吸引する。


 人にやってあげる場合は、自分で吸引するように指導する。

 教祖になる気などないが、成功したら生き神様として崇め奉られるだろう。

 ……今でも結構崇められているし……


「なに、本当か、疱瘡を予防できるのか?!

 もし本当にそんな事ができるなら、越後中の者を味方のできるぞ!」


「完全に成功するとは言い切れませんが、挑戦してみたいです」


 緒方春朔がやった時は、六年間に千人以上の子供に試して、ただの一人も死ななかったと書いてあった。


「分かった、疱瘡と同じ瘡蓋がある馬を探せばいいのだな?」


「はい、馬の方が確実に疱瘡を予防できます。

 ですが、馬ではなく人の瘡蓋を使っても予防ができます。

 しっかりと食事をさせて元気な状態にした子供なら、人の瘡蓋から作った薬を鼻に入れて予防ができます」


「そうか、分かった、疱瘡の馬が見つからなければ、疱瘡になった人の瘡蓋を集めればいいのだな?」


「いえ、大人が疱瘡にかかった者に近づくのは危険です。

 手拭いを鼻と口を覆い、石鹸で手を洗った者以外は近づかない方が良いです」


「……何を言っているか分からないぞ」


「先ずは疱瘡の瘡蓋がある馬と人を探してくださればいいです。

 後の事は集める方法を教えた者達にやらせます」


 そうだ、消毒用の石鹸やアルコールを作らないといけない。

 だが、飢えた戦国時代に、食用にできる油脂を石鹸にするのは気が引ける。


 軍需物資の松脂で石鹸を作るのは、長尾為景が良い顔をしないだろう。

 だが、食糧にできる油脂を使うよりはいい。

 松明も大切だが、兵にも百姓にもなる人間が一番大切だ。


 それに、まだ杉の植林が行われておらず、第二次世界大戦後の松枯れも起きていないので、越後の山々には多くの松が生え松茸が生えている。

 少々の松脂など気にもしないかもしれない。


 後は……団栗でも石鹸が作れたはずだ。

 少し天候が悪いだけで多くの餓死者を出すような戦国時代だから、団栗も食糧にしているかもしれないが、農業革命に成功したら団栗が使えるだろう。


 それと、東西の為替差で利益を上げるのが思っていた以上に順調だ。

 軍資金は予想していた以上に稼げた。

 秋に蒔いた大麦が昨年と同じくらい実れば、収穫量も予想以上になる。

 

 本当なら全部東西の為替差に使って利益を得たいが、残念ながら安全に越後と京を行き来できるだけの船と人間を確保できない。


「父上、東西交易で使いきれない麦と永楽銭で、足軽を雇い奴隷を買いましょう。

 奴隷は二十文や三十文で買えるのですよね?」


「それは売れ残るような連中だけだ。

 家族がどうしても取り戻したいと思ったら、二貫文以上になる。

 それに、奴隷を買えば衣食住を与えなければならないぞ」


「東西の交易に使えない麦と銭を貯めていても、兵糧や軍資金にしかなりません。

 ですが、奴隷を買って働かせれば、半年後には麦や大豆になります」


「ふむ、確かに、二十文で買った奴隷に一石の麦を喰わせたとしても、一反の麦畑から四石の麦が収穫できたら大儲けだな」


「それと、幼い頃から目にかけて育ててやれば、忠誠心の強い側近になるかもしれませんし、敵対している国人の領地から奴隷を買えば、いざという時に家族を謀叛させる事ができるかもしれません」


「ふむ、生まれた子を直ぐに間引く親も多いが、それなりに育てた子を奴隷に売れるなら、結構な数の子が手に入るか?

 幼い子など何の役にも立たないが、恩を教えれば忠臣に育てられるか?」


「父上、幼い子でも畠の草むしりくらいはできます。

 それだけでも麦が多く実りますし、大人を他に使えます」


「万千代がそこまで言うのなら、残る麦と銭で奴隷を買う事を許す」


 最初から好きに使える約束なのに、直ぐに口出ししようとする。

 勝手にやると謀叛を疑われて殺されるかもしれないから、許可は取るけど。

 為景なら、敵だと思えは平気で幼い我が子も殺すだろうからな。

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