02 予想外の裏切り
瑛人はひとまず、ミユキが働いていた雑貨屋に電話をかけた。
「すみません馬倉って言います。そちらで働いてるミユキの」
「あっ、ミユキさんの彼氏さん?」
店員の佐木山は、瑛人の事を覚えてくれていた。以前何度か、店には足を運んでいたのだ。
瑛人が口を開く前に、
「ねえ、ミユキさんどうしたの?」
「え?」
「いやさ、今日朝からシフト入ってたんだけど来なくって。電話も繋がらないでしょ? 店長も出張だし参ったなぁ。ね、風邪? 入院とか?」
「ごめんなさい、俺も分からなくて」
礼を言って、瑛人は電話を切った。
「無断欠勤か……」
***
瑛人は、だんだんと自分がまずい状況におかれている事に気づき始めた。
瑛人が参加していたギャンブルは、瑛人の友人や大学の先輩などグループの中でこっそり行われているギャンブルで、とにかく「秘匿性」が重視されていた。
そのため、「二百万円持ってかれたんだけど!?」と、大声で叫んで探し回ることは瑛人にはできない。
仮に、ミユキの捜索願を出すとして。そしてもし、警察の介入を経てその上でミユキを見つけたとして。
もしミユキに「あの人のリュックの中に分厚い札束が入ってました」なんて、証言されたら。
一体その後どうなってしまうか想像がつかない。
***
それから三十分ほど。ミユキが身を寄せそうな手近な友人の元をあたったが、無駄足だった。
瑛人は、家の近くの公園のベンチで痛い頭を抱えていた。
十一時を過ぎたのだろう。ゆるゆると、キッチンカーがやってきた。
公園の正面にそびえるビルの大型モニターに流れている、世界のどこかの誰かに関するニュース。アイドルのスキャンダルだとか、詐欺師が逮捕されたとか。
それを、二人でぼーっと眺めながら雑談している、何事も無い時間。それが楽しかったのだと今は思う。
――私たち、星の神様が出会わせてくれたんだよ。
瑛人はミユキの、それこそ星のような笑顔が好きだった。
だが今こうなって、ふと過ぎる飲み込めない感情もある。
ジグソーパズルのピースが一つだけ置かれていて、今になってそのパズルをはめる場所に心当たりができたような感覚。
言われてみれば、ふとした日常の端々に違和感はあった。
瑛人は膝の上で拳を小さく握る。
――時々、ミユキの心はここに無かった。
熱心にスマホを見つめる、彼女の横顔。上の空。半開きの唇。遠い空の向こうにある理想の国を追いかけているような瞳。
ここに居ない誰かのことを考えている横顔。だが、瑛人が呼びかけるとすぐに笑顔を向けてくれた。それで雲散霧消した気になっていた。いや、見ないようにしていただけだ。違和感のピースがどこかに合点してはまらないように――
瑛人は首を振った。ただの違和感を気にしてもしょうがないだろう。自分にそう言い聞かせたが、確固たる決意に及ぶには現状が乏しすぎた。
ただちょっと気まぐれに旅行に出かけただけなんだろう。なあ、ミユキ。
でも、じゃあ俺のカネは――そこに目を向けると思考はまとまらない。公園の風景は瑛人の内情を知らないまま平和に流れていく。
***
ふと気づくと、スマホの充電がかなり減っていた。瑛人はため息をつくと、コンビニで適当にサンドイッチを買い、家に戻った。
それでも何かしていないと落ち着かず、サンドイッチをかじりながらスマホで友人に「ミユキを探している」と連絡を送り続けていた。
突然、呼び鈴が鳴った。瑛人の心臓がどきりと跳ねる。そんなわけない、と思いながらも、「ミユキかもしれない」と期待は弾む。
「ミユキ!」
がちゃりとドアを開ける。
だが、そこに居たのはミユキではなかった。
「瑛人ぉ、あのねぇ今いい?」
友人の恭一だった。会うのは、あの“大当たりギャンブル”の夜以来である。
とにかく寒がりな男で、長めのダウンコートに赤茶のマフラーをしっかり何重にも巻いている。赤縁の眼鏡の奥の目は、いつもは軽率そのものなのに、今日はひどく真面目である。
「ごめん、今はちょっと」
「あのねミユキちゃんいる?」
なんで今、ミユキなんだよ。瑛人はそんな思いを噛み締めた。
「ミユキはちょっと、出かけてるんだ」
「え、どこに?」
「いや……別に恭一に関係ないだろ」
瑛人の言葉に含まれた違和感に。恭一の眉がぴくりと動いた。ずい、と一歩瑛人に詰め寄る。
「もしかしてミユキちゃんの居所、分かんない感じ?」
「は、いや、……何、なんでお前が」
切迫した気配。恭一が瑛人の様子を見て違和感を察したように、瑛人もまた恭一の抱えている焦燥を察する。
「お前、ミユキのこと何か知ってんの?」
***
しん、と静まり返った部屋。コタツを挟んで瑛人と向かい合って座った恭一が、ぽつりと言った。
「カネ貸してる」
「え?」
「貸してるの! ミユキちゃんに」
ぎゅっと握りしめた拳を見て。瑛人はそれが、安い金額ではないことを悟った。
「いくら?」
「……二百万」
瑛人は、怪訝そうに何度か瞬きを繰り返した。
「え、まさか。あの夜の、勝った時のカネ?」
「うん」
「いや。お前なんでそんな大金貸したの?」
恭一はごくりと喉を鳴らした。赤フレームの眼鏡を押し上げる手が震えている。
「色々、あってぇ」
瑛人は、恭一にグイと近寄った。
「色々ってなんだよ。ふわっとした理由で貸せる額じゃないだろうが」
恭一の目があからさまに泳ぐ。瑛人は恭一の肩をぐっと握った。
恭一は口の中でもごもごと何かを言っていたが、やがて、はーっという大きなため息とともに、ぽつりと言った。
「……高級温泉旅館の、旅行の資金」
「は?」
「いつでも引き出せる共通の旅行用の口座に入れといたのぉ! で、今朝『やっぱ入れすぎたな戻そ』って思って口座見たらすっからかんになってたんだよねぇ」
「お前、え、何。ミユキと」
肩を掴んだ手が震える。衝動的な怒りで視界が激しく明滅する。恭一は慌てて顔の前で手をぶんぶん振った。
「いやいやまだ何もないよぅっ!」
「まだ!? まだってなんだよ」
「違う違うほんっっとうに、何回か飲みに行っただけ! 『いやーいつかミユキちゃんが言ってた星空が見える温泉行きたいよね』って話してただけでぇ! 『実家が太い瑛人も素敵だけどベンチャーでのしあがってる恭一くんも素敵』なんて言われたらさぁ~友情と背徳感天秤にかけてちょっと負けただけだもん!」
「お前さ、お前マジでふざけんなよ」
「いやいやいや、何も無いからこそだよぅ! だからボクね、正直に話したの!」
「あァ?」
「だってカネ貸した理由なんていくらでも嘘つけるって! ちゃんと温泉旅行の資金だ悪かったって正直に言ったじゃん!? ボクめっちゃ誠実じゃない!? ねぇ瑛人嫌わないでよぅ友達やめないで」
「どこが誠実なんだよ浮気した奴が!」
「飲み行っただけ! 手握られたけどマジそんだけ!」
「それ以上は?」
「……酔った勢いでほっぺにチューまで……いやでももう本当! 正直これ口にしていいんじゃね~ひゅぅ~っ! って思ったけど流石にまだダメだよなぁーって思ってほっぺに留めたんだってだからボクめっちゃ偉いんだもん」
「お前もう黙れ」
「あの」
「黙れ」
しんと静かになった空間で。
恭一がコートから取り出したゆずレモンティーのペットボトルの蓋を開ける音だけが響く。
ぐぴ、とレモンティーを飲みながら、恭一が言った。
「10段階で言うとさ、今どれぐらい友達やめたい感じ?」
瑛人は、恭一に手を伸ばし彼の赤眼鏡をポイと外した。
「え?」
そして無言でテーブルの上に転がっていたビールの空き缶を掴むと、比較的手加減をせずに恭一の顔面に投げつけた。
<続>
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