あはは、それが手口だったんだね。
二八 鯉市(にはち りいち)
01 幸せの終わり
マンションの一室。
間接照明だけの室内に、十代から三十代ぐらいまでの男女が十人ほど居る。
部屋の中央のテーブルで行われているのは、どこにでもある双六だった。状況は終盤である。
盤上を見ると、他のチームの青いコマや黄色いコマが後ろから迫ってきている。
「神様にお祈りしてから振れよ~」
「いっそ6でも出せよなァ、ははっ」
ゲームに加わっている男や女が、サイコロを振ろうとしている恭一を囃し立てる。瑛人は、隣の恭一を見た。
「はぁっ……マジあいつらうるせー……」
恭一の身体がカタカタと震えている。顔色は、灰色になったり青になったり赤になったりと忙しい。
瑛人は一つ息をつくと、はっきりと言った。
「俺がサイコロ替わる」
「えっ!? うーわ、めっちゃありがたいわ。ボクじゃ無理だった」
恭一は瑛人にサイコロを渡すと、「ふひゃあ」と言葉にならない声をあげて、よろよろと倒れた。
瑛人はグッとサイコロを握りしめた。“カミサマ”など信じていないが、この際なんでもいいと目を閉じる。
――脳裏に浮かんだのは、家で瑛人の帰りを待つミユキの姿だった。
ミユキの声が、耳の奥で聞こえた。
『私たちって、星が導いて出会わせてくれたんだよ。それってすごく嬉しくない?』
いつまでも動かない瑛人を、周囲がさらに囃す。だが、ノイズが高まれば高まるほど、瑛人の心は凪いでいった。
瑛人は、ポンとサイコロを振った。
転がる。
転がる。
出た目は、1。
「すげえ!」
周囲から大きな声があがる。
「え、てことはお前らのコンビで賞金総取り?」
「そうなるなーいやーおめでと! アツかったな~」
「や、やったぁああっ!」
恭一がガバッと起き上がって瑛人を揺さぶった。
「瑛人すごぉーい! やっぱそこら辺のつまんねー奴らとは違うって、ボクはずっと昔から思ってたんだよねぇー!」
「もう、お前黙れ」
瑛人は照れながらも、恭一の口を乱暴に手で塞いだ。
その場の全員がそれぞれ好き勝手なことを言いながら目を向ける先にあるのは――机の上に積まれた、賭け金。
その札束は分厚かった。
瑛人はあくまでクールに装おうとしたが、こみあげてくるニヤけた笑いは止まらなかった。
***
自宅マンションに辿り着くまで、瑛人は何度も、黒のリュックの底を撫で続けた。そこにある『重み』を撫でれば撫でるほど、先程までの双六の熱い逆転劇が現実であると思い出せる。
紺のマフラーに顔を埋めたまま、瑛人は自室へと向かうエレベーターのボタンを押した。
がちゃん。
玄関ドアを閉めると、瑛人はたまらず「ああぁーっ」と歓喜の声をあげた。
そしてつかつかとリビングのドアに歩み寄り一息に開けると、コタツに入っていたミユキが、
「おかえり、どうしたの?」
と顔をあげる。艶やかな黒髪。猫っ毛猫目の可愛い彼女が、コタツでテレビを見ている。そんな当たり前の光景がとんでもなく幸せになり、瑛人は何も言わずに彼女をギュッと抱きしめた。
「えっ!? やだねぇちょっと、めちゃくちゃ肌冷たいんだけど。急にどうしたの?」
「臨時収入!」
「え?」
瑛人は、スーパーの袋をコタツの上にどんと置いた。いつもなら買わない高級な酒瓶がガチャンと気ぜわしい音を立てた。
***
瑛人は時折「サークル」に参加する。その「サークル」が――実は身内間での秘匿のギャンブルである事を――ミユキには、一言も言っていない。
大好きなミユキには、あくまでも「ただの会社員」としての、ギャンブルなどとは縁遠い自分だけ見せていたいのだった。
だから今回の臨時収入のコトも、ミユキには
「宝くじで10万当たったんだ」
とだけ、言ってある。
***
瑛人のご機嫌な酒盛りはそれから三日間続いた。もちろん朝から夕方までは出勤していたけれども、ふわふわした高揚感と二日酔いで、殆ど仕事にはならなかった。
出勤しては家に置いてある大金を思い、その使い道を妄想してにやける。
家に帰ったらまずは鞄の奥に押し込めた二百万円の札束を撫でまわし、ウキウキしながら酒を買いに行く。
そんな三日を過ごした、ある日の夜のことだった。
その夜、瑛人は珍しく酔っぱらっていた。なんだか酔いが早かった。ぐわんぐわんぐるぐるする頭を、コタツテーブルの上にぺたりと押し付ける。
「大丈夫?」
ミユキの優しい声。暖かい手が瑛人の背をさする。ミユキの手にさすられると、多幸感で意識がふわふわした。
「ミユキィ、愛してるからなぁ」
「あはは、やだもう」
ミユキの膝枕に甘えながら、瑛人は幸せな夢に浸った。
次にこうやって大当たりしたら、その時は。
「そのカネでぇ、めちゃくちゃ豪華な旅行行こうなぁミユキぃ。前ミユキが行きたいって言ってた、星空が見える温泉がいいよなぁ」
と、ふにゃふにゃした声で述べたことを、瑛人は覚えていない。
――その辺りから、記憶は混濁し、後のことは何も覚えていなかった。
後にして思えば――あんな少量の酒で、そこまで酔っぱらったこと事態が、そもそもおかしかったのだが。
そして翌朝である。
――誰かが出て行く音がする。
――いや誰かってミユキしかいないかあ。
瑛人はそんな現実と夢の境目から、のんびりと目を覚ました。だが、目覚めは最悪だった。
「いってぇ」
頭の中に鉄板があって、それを金づちで殴られているかのような、ひどい頭痛。明滅し、ぼやける視界の中で、瑛人は無意識のうちにスマホを見た。九時であった。
やっべ遅刻だ。
そう思って青ざめるが、スマホの日付表示をよくよく見れば、土曜日であった。そうだ、だから『じゃんじゃん飲んじゃおうよ』とミユキに酒を注がれたのである。
なんかすごい酔っぱらい方したんだなあ、と思いながら部屋を見回すうち。瑛人の脳内に、違和感の信号が点滅し始める。
「あれ?」
ミユキの服をかけていたハンガーラック。何も無い。化粧道具一式。無い。ミユキ旅行って言ってたっけ? いや何も聞いてないけど。急な出張? あれ? え?
ミユキの私物が一切無くなっている。
「えぇ……?」
瑛人はふらふらしながら、クローゼットを開けた。
ミユキの旅行カバンがあった筈の場所に、何も無かった。
何か、言葉では表す事のできない深層部の本能の警笛に導かれる。導かれるまま視線を向けた先には、部屋の隅に放ってあった黒のリュック。中の札束を毎日触っていたから分かる。
移動している。
昨日からちょっとだけ、場所が移動している気がする。
思わず目を見開く。慌てて、歩む。黒のリュックを、開ける。
茶封筒だ。
二百万円入った茶封筒。リュックの底の方に。
――無い。
「……え?」
何かの間違いだ。
そんな言葉が、ネオンサインのように頭の中で光る。
腰から力が抜ける。立ち上がれない。でも。殆ど四つん這いで移動して、瑛人はスマホを引っ掴んだ。
「ミユキ」
通話アプリでミユキを選択する。
『ブロックされたユーザーです』
「……ミユキ?」
電話をかける。ぷるるる、という無機質な音の後。
『おかけになった電話は、電源が――』
<続>
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