第31話
俺は慌てて周囲を見回した。俺の車は無かった。他の車を覗き込んでもエンジェルの姿は無い。病院の前の道は暗く、他に走っている車は無かった。
「おい、エンジェルは……」
「車の中だ」
「馬鹿野郎!」
美々が俺を殴った。俺はよろけて転んだ。
「あたしなんか放っておいて良かったんだよ……何でエンジェルを……」
「すまない」
「あたしに謝ったって仕方ないだろ。さっさと探しに行くぞ」
俺は再び病院に入り、俺の車を見なかったか聞いて回った。誰も見ていないという。
どうして、鍵を刺しっぱなしにして行ってしまったのかと悔やんだ。気が緩んでいたのだ。
車は見つからない。
「高梨に電話してみろよ。あいつはパソコンオタクだから何か出来るだろ」
高梨に電話すると、彼は一気に巻くしたてた。
「どうして連絡してくれなかったんですか! 心配したんですよ」
彼に連絡するのを、正直忘れていた。
「悪かった。ばたばたしてて」
「それで、どうだったんですか? エンジェルはいたんですか?」
俺は廃スタジオ内でのことを簡単に説明した。高梨は何度か何か言いたげに息を吸い込んだが、結局何も言わなかった。
「それで、今はエンジェルと一緒ですか?」
「それなんだが……」
説明すると、彼は深いため息をついた。
「何をやってるんですか……追跡は出来ません。そのような機構は取り付けてないんです。ナビも古いタイプだし……」
「もう少し探してみる」
電話を切ると、再び捜索を始めた。
どれくらい時間が経っただろう。辺りが明るくなり始めた。
「一度戻って来て下さい」
再び高梨に電話すると、彼はこういった。先程よりも落ち着いた声音だった。
「どうするつもりだ」
「考えがあります」
美々が首を傾げる。彼女は松本にエンジェルの捜索を懇願したが、聞き入れてもらえなかった。松本としても、可愛がっていたエンジェルのことは心配だろうが、やはり組織の頭としてのメンツを優先させざるを得ないのだろう。美々は怒りにまかせて携帯電話を壊してしまった。
アパートに戻ると、高梨がいくつか書類を用意していた。
「警察に届けます」
「警察に?」
高梨が頷く。
「でもあの車が警察に見つかるってことは、今までやってきたこともバレるかも知れないんだぞ」
あの車には、まだあのクーラーボックスが積んだままだった。中には何も入っていないが、調べられたら何を積んでいたかなんてすぐにわかってしまうだろう。
「わかっています」
「じゃあ……」
「エンジェルの身の安全の方が大事でしょう。こうなってしまったのも、全て、巻き込んでしまった僕たち大人の責任ですから。大人は大人の責任の取り方をしなければならないんです」
高梨の目は本気だった。
「俺がいない間に、何だか複雑な話になってやがんな」
振り返ると、豚が部屋の入り口に立っていた。
「お前……」
「荷物を取りに来た。今夜、飛行機で逃げるつもりだったんだけどよお、エンジェルがさらわれたっつーなら、俺も手伝うしかねえな」
豚はあの時の服装のままだった。ずっと隠れていたのだろう。
「見つかったら、どうなるかわかってるのか?」
「もう生きては帰れないんだぞ」
高梨も続く。
「仕方ねえだろ。エンジェルは……俺たちの仲間だからよ」
仲間、という言葉が恥ずかしかったのだろうか。豚は照れたように頭を掻いた。
「いつもみたいに、パパッと仕事して帰ってくりゃあ、大丈夫だろが。最後の仕事だ、気合い入れて行こうぜ」
豚が巨体を揺らした。
「おっと、お嬢様。じじいにチクんなよ」
「チクらねえよ。あんなクソじじいには。あんたもクソだけど、あのじじいはもっとクソだ」
美々が吐き捨てるように言う。エンジェル捜索に力を貸さなかったことを、相当怒っているようだ。
そのとき、電話が鳴った。俺たちは顔を見合わせる。このアパートに電話してくる人間は、かなり限られている。
「はい」
高梨が受話器を取り上げる。
「もしもし?」
彼はこちらを見て、首を振った。
「あぁん?」
豚が眉間に皺を寄せ、美々を睨み付ける。
「あのじじいじゃねえだろうな」
「そんなはずねえだろ」
二人が睨み合っている間に、高梨が受話器を置こうとする。
「ちょっと待って」
俺が代わりに受話器に耳を当てる。向こうからは外の音が聞こえる。それに混じって、何かひゅーひゅーと風を切るような音が聞こえた。
「何か聞こえる」
スピーカーに切り替える。争っていた二人も大人しくなり、音に耳を傾ける。
「なんだあ?」
豚が足音を立てて歩み寄ってくる。俺は唇に指を当てる。彼は舌打ちして、足音を消した。
風を切る音だと思っていたが、どうも違うような気がしてきた。
「これ……人の声じゃないか?」
美々が言った。
「あぁ? これのどこが……」
高梨が唇に指を当てる。豚は渋々黙るが、納得がいかない様子だ。
「そうだね。でも一体誰が、何を伝えようとしているんだろう」
高梨が風切り音に合わせて、指で膝を叩く。
「エンジェルって言ってないか?」
またも美々。若いと聴力も優れているのだろう。
「うん……そうかもしれない。もしかしたら、エンジェルが喋れない場所にいて、居場所を伝えようとしているのかも」
「そうだよ。絶対そうだ」
全員が色めき立つ。
「でもよ、どうやって電話してるんだ? あいつ、携帯使えねえだろ」
エンジェルは携帯電話を持っていなかった。携帯電話を操作するのを面倒臭がっていたし、すぐに壊してしまうからだ。ここにいる男達は、携帯電話を契約できるような真っ当な人間では無いので、買い換えるにも面倒なのだ。
「じゃあ、誰が?」
全員黙り込む。
「あれ?」
美々が気付いた。
「じじいは?」
「あぁ? じじいにはチクんなって……」
「ちげえよデブ」
「誰がデブだ。豚だ馬鹿」
「かわんねえだろ。そうじゃなくて、あいつだよ。いつも酒飲んで転がってるじじいだよ。うちのじじいと将棋打ってるじじい」
「あっ」と声が出そうになった。確かに、彼を見ていない。高梨も今気付いたようだ。あの老人は存在感が希薄で、いつのまにかいたりいなかったりする。
「でも、だとしたらどうやって?」
「ずっと車に乗ってた……?」
高梨が言う。確かに、その可能性もあるが、しかし一体どこに。
「クーラーボックスの中か?」
「どうしてそんなところに」
「わからん。あの老人の考えていることなんて、俺にわかるはずないだろう」
あり得ない話では無い。
「ご老人ですか?」
高梨が電話に向かって語りかける。受話器を叩く音が聞こえた。
「やっぱりそうだ」
美々が手を打つ。
「エンジェルの居場所を知っているんですか」
再び叩く音。俺たちは顔を見合わせる。
「そこはどこですか」
また、あの風切り音だ。
「もしかして、あのじじい喋れないんじゃないか? 一度も喋ったところ見たことないし」
美々が言う。確かに、老人が声を出しているところを見たことが無い。
「いや、病院では何か言っていたような気がするな」
確か、フガフガ言っていたような気がする。
突然、電話の向こうで女性の悲鳴が聞こえた。
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