第30話



「それで……」


 エンジェルは目を伏せた。


「食べ物をくれるって言うからついていったら、公園のビニールハウスで、何人か男の人がいて……」


 エンジェルが頭を抱えた。声が震える。俺は耳を塞ぎたかった。エンジェルの体を抱き、絞り出すように「もう良いんだ」と言った。しかし、エンジェルはやめなかった。


「毎日毎日、好きなようにされ続けて、何日目か忘れたけど、外が騒がしいなと思ったら柊が入ってきた。あたしを監禁していた人たちは、柊の敵らしくて、ついでにあたしを助けてくれたみたい」


「みたいって?」


「そのとき、あたし死にかけてたんだって。体中から血を流して、危ない状態だって言ってた。そのときの傷がまだ残ってる。あのあとから、傷は残らなくなったけど」


「じゃあ、それから生き返る才能がついたってこと?」


「わかんない。だって、それまで死んだこと無かったし」


「そうか。そうだよな」


 何気なく言ったが、普通の人間は、若いうちに死ぬ機会なんて滅多にあるもんじゃ無い。


「それから柊に色々教えて貰って、人の殺し方とか、ばらばらにする方法とか、やるようになった」


 彼女を抱きしめる腕に力が入った。彼女はそうやってしか、生きて行く方法が無かったのだ。


「でも、それからずっと死にたかった。あの時のことを、監禁されていたときのことを思い出す度、何もかも嫌になった。何度も何度も自殺したけど、結局死ねなかった。でも、唯一自殺する瞬間だけは解放された気持ちになれた。次に目を覚ましたとき、いつもの天井が見えるとため息が出ちゃうけど」


 頭を撫でてやると、気持ち良いのか犬みたいに頭を押し付けてきた。


「あたし、この仕事嫌いじゃ無いよ」


「そんな……」


「こういう仕事も必要なんだって、柊も豚も高梨も言ってた。松本のおじいちゃんは優しいし。必要とされることが嬉しいから。それに、嫌なことを思い出したときは、一回死ぬとすっきりする。あの痛みと喪失感が気持ち良いんだ。一回リセットされたみたいになるから、少しの間は嫌なことも無かったことだと思える」


 エンジェルはため息をついた。


「ずっと、このままずっと続けば良いな」


「こんな生活が?」


「うん。あたしはこれで良い。学校なんて行きたくないし、今は凄く楽しいから。みんなでずっと、永遠にあそこにいられれば良いな」


 彼女が語るのは夢物語だ。現実に永遠なんて無いことは、大人になればいやという程思い知らされる。永遠など一つも無いのだ。だからこそ、誰もが永遠を求めるのだろう。もう、柊も豚もいない。彼女の望みは叶わない。


 俺は彼女を引き取って一緒に暮らしたい。松本が駄目と行っても、連れて行くつもりだ。彼女は俺の娘なのだから。それに、千佳の妹でもある。姉が出来ると知ったら、彼女はどれだけ喜ぶだろうか。行きたくないと言っていたが、学校にも行って普通の友達を作り、普通の生活をし、普通に恋愛をして結婚して行くエンジェルを俺は想像した。自分勝手な妄想だが、俺にとっては生きる価値になり得る未来だった。


「なあ、エンジェル……」


 反応が無いので見てみると、エンジェルは寝息を立てていた。


 病院の方を見る。美々はまだ戻って来そうにない。


 チラとエンジェルを見るが、しばらく起きそうも無いので様子を見に行くことにした。もしかしたら、会計が足りないかも知れない。保険証も持っていないし、この時間は一時金を納めるだけだろうが、慌てて出てきたのだから財布を持っていないことも考えられる。


 車を降りると、風が冷たかった。本当に、もうすぐ春になるのだろうか。この世界は永遠に冬のままじゃ無いのかと思ってしまう。


 病院に入ると、丁度美々が処置室から出てくるところだった。


「骨折の処置ってそんなに早いのか」


「運の良いことに、折れてなかったよ」


 美々の左腕は、痛々しいまでに包帯で巻かれていた。


「エンジェルは?」


 美々は俺と目を合わさず尋ねる。


「寝たよ」


「そっか。それが良いね。今日のことが夢だと思ってくれれば良いけど」


 美々が唇を噛んだ。握った右拳にも包帯が巻かれており、血がにじんでいた。


 真夜中だというのに、病院には何人か処置を待つ人がいた。


「あいつ、何だったんだろう」


 美々が呟く。


「あいつは、エンジェルのファンだと」


「ファンだって? ふざけんじゃねえ」


 彼女が椅子を殴る。少し間を開けて座っていた、手首から血を流している女が驚いて逃げていった。受付の職員が訝しげにこちらを見ている。俺は慌てて頭を下げた。


「ふざけんじゃねえよ」


 まだ彼女は呟いている。


 突然、彼女は俺の首元を掴んだ。


「あの子を、危険な目に遭わせるなって言ったよな。てめえ、どう落とし前つけてくれんだ?」


「苦しいよ」


 必死に声を絞り出す。喉元に彼女の指が食い込む。のど仏が潰れそうだ。俺は彼女の炎を吹き出しそうな瞳を真っ直ぐ見据える。


 やがて、彼女の力は弱まった。痛みより、酷い嘔吐感を覚えた。


「わかってるよ。あんたが悪いんじゃ無い」


 消え入りそうな声で、美々がすねるように言う。


「あたしが言えることじゃないってことくらい、わかってるよ」


 先程までの殺気は消え、可哀想なくらいに落ち込んでいる。松本のことを言っているのだろう。彼女はいずれ、堅気では無い仕事に就く。間接的にだが、今回の事件はそのせいで起こったのだ。彼女がどれくらい、俺たちの仕事について知っているかはわからないが。


「まだ殴り足りねえよ。くそっ……」


 美々には奴が死んだことは伝えていない。いずれ話さねばならないだろう。


「あ、時計割れてるぞ」


 話題を変えようと彼女を見ると、腕時計が目に入った。俺が言うと、美々は慌てて左手に着けていた腕時計を見た。風防が割れていた。


 美々は青ざめたが、針は動いているようで、ホッとため息をついた。


「これ、エンジェルがくれたんだ。前は、朝ご飯を作りに行くのに、いつもバラバラの時間に行ってたんだ。でも、遅くなった日はエンジェルが玄関先で待っててな。いつも心配したって言って飛びついてくるんだよ。それでそのうち、時計をやるからいつも同じ時間に来いってな。これをくれたんだ」


 美々が得意げに俺に見せた時計は、ピンクの文字盤の可愛いものだった。


「それからは、毎日同じ時間に行ってる」


 時計を見ながら話をする彼女の顔は、先程よりも穏やかだった。


「エンジェルは卵焼きが好きで、いつも作れ作れって言ってたな。可愛い奴だよ、本当に。あたしは一人っ子だから、ずっと妹が欲しかったんだ。ちっちゃい頃は、クリスマスになると、妹を下さいって手紙をサンタさんに書いたりしてさ」


「可愛いな」


 そう言うと、美々は俺を蹴った。


「親は困ったろうね。結局妹は出来なかったけど、今はそれで良かったと思ってる。あたしの妹はエンジェルだけで良いんだよ」


 美々が呼ばれた。受付で支払いを済ませると、俺は彼女と連れだって病院から出た。


「あれ?」


 駐車場に、車が無かった。


「おい……」


 美々がこわばった顔で俺を見る。一瞬、黒騎士の顔が頭に浮かんだ。実は奴が生き返ってやってきたのではないか。もしかしたら、再生のスピードがエンジェルよりも遅かったのかも知れない。

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