第29話



 掌で受け止めるが、衝撃で腕がしびれた。


 戦慄した。彼は本気で俺たちを殺そうとしている。こんなに、憎しみを纏って本気で自分を殺そうとして向かってきた人間を、俺は見たことが無い。鬼気迫る雰囲気は、体を硬直させた。


 俺は動かない足を殴って、無理矢理狭い部屋の中を逃げた。ここはスタジオの部屋の中でも広い方だろうが、鉄パイプのリーチも考えると、こちらの分が悪い。


 再び、鉄パイプが襲ってくる。受け止めようとするが、彼の奇声に驚いて一瞬遅れた。もろに肋骨に入り、骨が折れる感触がした。


 肋骨が折れると、手が上がらなくなる。立っているのも難しい。呼吸が苦しく、俺は再び死を覚悟した。こんな苦しみを、あと何度味わえば良いのだろう。何度味わっても死ぬことさえ許されないなんて、これは拷問以外の何物でも無い。高梨の言うように才能でも無ければ、黒騎士のいうような、唯一絶対の神の力なんてものでもない。罰だ。今まで、まともに生きてこなかった俺への罰なのだ。


「待て、話し合おう」


 俺の提案も、彼の耳には届かなかった。彼はためらうこと無く、パイプを振りかぶる。俺はぎゅっと目をつぶった。


 パイプが振り下ろされる前に、美々が黒騎士に蹴りを入れた。彼女も腕が折れているというのに、逃げずに戦うことを選んだのだ。


 黒騎士がパイプを取り落とした。美々が思い切り顔面に拳をたたき込む。相当効いたようだ。彼はうずくまった。間髪を入れず、美々が彼を踏む。踏む。踏みつける。頭が割れてしまうのでは無いかと思うほど、手加減せずに攻撃した。


「美々……もうやめろ」


 興奮しているためか、彼女には俺の言葉は届いていないようだった。俺は力を振り絞って、彼女に体当たりした。彼女は暴れたが、それを押さえつける。普段の彼女なら力負けしてしまうかも知れないが、今の彼女は片手が使えない。それでも、押さえ込むのは容易でなかった。


「君が人殺しになる必要は無い」


 彼は何度でも生き返るはずだが、それでも、一度殺したらそれは殺人だ。殺人の罪は重い。たとえ法律が許しても、一生拭えない傷を負うことになる。彼女は堅気の人間では無いかも知れないが、積極的に業を背負う必要は無いのだ。


 美々は大人しくなった。


「エンジェルを助けてやってくれ」


 エンジェルは気を失っていた。彼女の手足にはめられた枷は、鍵を使わなければ開かない物だった。


 黒騎士がうめき声を上げる。マスクの裏から血が流れ出した。


「鍵はどこだ」


 彼は答えない。俺と美々とで体を探ってみたが、持っていないようだった。


「どっかの部屋にあるのかも知れない。見てくるよ」


「気をつけろ。まだ誰かいるかも知れない」


「あんたよりは役に立つさ」


 美々は笑った。それでも心配になったのか、鉄パイプを拾って出て行く。


「おい、お前。何でこんなことをした」


 美々が行ってしまうと、俺はうずくまる黒騎士の覆面をはいだ。思ったより血が出ていた。


 素顔はまだ幼い子供のようだった。中学生か高校生くらいだろうか。


「彼女は……俺の神様だ」


 黒騎士が震える声で言った。


「俺には何も無い。だから神様の力で俺を生まれ変わらせて貰おうと思って……」


 表情が虚ろだった。脳にダメージが行っているのかも知れない。だがもうじき再生が始まるだろう。俺の肋骨の辺りも、染み込むように暖かくなってきた。


「ずっと引きこもりで……学校も全然行って無くて……もう何も無くて……」


 黒騎士は涙を流した。


「そんなとき、あの子を見て、俺、俺の世界で勇者になれるかもって思ったんだ。俺、あのサイトのファンで……だから、いつも彼女が自殺した場所を探して歩いて……たまたまだったんだ。たまたま、彼女が自殺するところをみて、それで再生するところまで見たんだ。それからだよ。彼女が俺の頭から離れなくなったんだ。そのうち、俺もあんな風に生き返れるんじゃ無いかと思って……でも勇気が出なくてCGで動画を作って……」


 彼の目はすでに虚ろだった。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 彼はその後、謝り続けて息を引き取った。彼は再生しなかった。




「あいつは?」


「救急車を呼んだよ。彼は病院に向かってる」


「そう」


 美々はホッとしたような表情だった。実際は、彼の死体は別の部屋に置いてきただけだった。彼はあの才能がある人間では無かったのだ。だが、彼は何かを願ってあの動画作ったのだ。生まれ変わりたいと言っていた。わかる気がする。あの日の俺と一緒だ。空っぽだった俺と。きっかけが必要だったのだ。俺にとってのあの夜の練炭自殺のように。


 エンジェルに上着を着せると、俺は彼女を背負った。


「無理するなよ。怪我してるだろ」


「大丈夫、君が思ってるより頑丈なんだ」


 俺の肋骨はもう再生していた。


 出入り口の方から音がした。見ると、誰かが出て行こうとしていた。


「まだ仲間がいたのか」


 慌てて追いかけようとするが、エンジェルを背負ったままでは上手く走れなかった。


 美々が追いかける。外に出たところで、荷物を抱えた男を捕まえた。


「お前……」


 あの夜の練炭自殺の時に、途中で逃げ出した男だった。彼が練炭自殺のワゴンから逃げ出したのは、随分前のような気がする。


「な、なんだよ。放せ!」


 男は美々の左腕を蹴った。美々が苦痛に声を上げる。男は慌てて走って行った。美々が追いかけようとする。


「やめろ。それより、早く病院へ行こう」


 俺は車に乗り込んだ。




「嫌な夢……見てた」


 救急病院を見付けて、美々を見送った後、車の中でエンジェルが呟いた。美々について行ってやりたいが、エンジェルをここに置いて行くわけには行かなかった。


「目を覚ましたのか?」


 エンジェルが俺を見る。


「嫌な夢なんて忘れろ。楽しいことだけ考えていれば良い」


 後部座席に移る。エンジェルの手を握ると、冷たかった。


「お母さんはどんな人だった?」


「お母さんは……優しい人だったよ」


 少しの間、エンジェルの母親の話を聞いた。名前は聞かなかった。それでも、彼女だということはわかった。


「どうして泣いてるの? どこか痛いの?」


 俺の目に、自然と涙が浮かんでいた。エンジェルは起き上がって、俺の涙を指ですくった。


「いや、良いお母さんだったんだなと思って」


「うん」


 今までで、一番良い笑顔だった。


「でも、事故で死んじゃった」


 彼女の笑顔が浮かぶ。記憶の中の彼女の顔ははっきりしないが、笑顔であることはわかった。二度と会えないという気がしなかった。


「それから、どうしてあそこに?」


 エンジェルは肩を落とし、車の外を眺めるように見た。


「お母さんいなくなって、住むところが無くなったから街を歩いていたの。お腹がすいても食べるものが無くて、哀しかった。たまに親切な人が食べ物をくれたけど、大体はお腹がすいてた」


 想像すると、涙が出てくる。人は必要以上に辛い目に遭う必要は無いのだ。こんな幼い子が、一時でもそんな風に生活するなんて、間違っている。


「親戚とか、誰かいなかったのか。引き取ってくれるような……」


 エンジェルが首を振る。


「施設に入るとか」


 再び首を振る。


 周りの大人は何をやっていたんだ。悔しくて、握った拳から血が流れた。エンジェルが優しく俺の手を包み込む。

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