第28話
俺が言うと、彼女は俺のケツを思い切り蹴った。腰が入っており、ケツがしびれる。
「エンジェルはあたしの妹分だ」
「でも駄目だ」
エンジェルが陵辱されている動画を思い出す。もし間違って、美々まであんなことになったらと思うと、想像しただけで辛くなる。
「悪いが、これは子供の遊びじゃないんだ」
「ふざけんなよ、てめえ!」
美々が俺の頬を殴った。手加減をしないので、口の中が切れた。
「ガキ扱いしてんじゃねえ」
こう言われるのは三人目だ。どうして、子供というのはこの台詞を好むのだろうか。
「そうじゃない……」
「もう良い」
美々がアパートから出て行く。
荒々しく閉められたドアを見て、俺はため息をついた。
「あの子まで巻き込むわけには行かないしな」
高梨がプリントアウトしてくれた地図を持って、俺は車に乗り込んだ。
一件目のスタジオに着くと、そこは毒々しいネオンが取り付けられており、外れのような気がしたが、受付に座っているパンクな男にエンジェルのことを尋ねた。彼は俺を不審な目で見たが、すんなりとスタジオの中を見せてくれた。どうも、家出同然の未成年が良くいるらしく、その親が探しに来ることも少なくないそうだ。そうなると、スタジオの方も面倒なので、案内してしまうらしい。俺が若い頃は、バンドやってる奴なんて不良ばかりだった。
二件目では最初から、子供を探しに来た親の設定で中を見せて貰うことにした。三件目のスタジオも同様だった。しかし、ここでもない。
「これも外れか……」
外に出て、呟くように言う。今にも雨が降り出しそうな空模様だった。
もう一度アパートに戻ろうか、と考えていると、目の端に灰皿が見えた。最近はこういう所でさえ、分煙が進んでいるのかと喫煙者の肩身の狭さを思った。ミュージシャンなんて、みんなくわえ煙草してるものだと思っていた。昔は、煙草を吸っている姿が格好良いとされていた時代もあった、と自分の子供時代を懐かしむ。煙草を一本を取りだすと、スタジオの重い扉を開いて、受付に座っていた若者が出てきた。
「お疲れっす」
彼が煙草をくわえると、俺はついでに火を付けてやった。彼は小さく頷くように頭を下げた。首からかけていた鎖が、ジャラジャラ音を立てた。
「ざっす。お父さん、大変っすね」
苦そうな顔で、彼は煙を吐き出す。唇に開けたピアス穴からも煙が漏れた。
「娘さん、いなくなったんでしょ? 最近多いからなあ。たまにバンギャも同伴で来るやつ」
「ばんぎゃ?」
「バンドの追っかけの子のことっすよ」
「ふうん」
そんな話、興味が無かった。しかし、俺は子供を探している親の設定だ。しまったと思ったが、彼は訝しまなかったようだ。
「娘さん、いくつくらいっすかね」
「さっきも言ったが、中学生だ。十五歳」
「へえ。最近のガキはあれっすねえ。行動的っつーか。お父さんの心配もわかりますよ」
「ここら辺に、他にスタジオは無いの?」
彼は少し考えた後、先程行った二件を上げた。それ以外で、この近隣というと、思いつかないようだ。
彼は煙草を揉み消し、店の中に戻っていった。俺も短くなった煙草を揉み消した。
「そうだ。お父さん」
中に消えていった彼が、再び顔を出す。
「営業中のスタジオじゃないところでも良いっすかね」
彼は思い出したように、もう一度引っ込んだ。そして、紙に書いた手書きの地図を持ってきた。
「このスタジオ、ちょっと前に潰れたんすけど、良くない奴らがタムロってるんで、もし娘さんがここにいたらアレっすけど、一応教えておくんで、アレしてください」
「要するに、潰れたスタジオがあるってこと?」
「そっす」
「ありがとう! 行ってみるよ」
「お父さんの気持ちわかります。俺も父親なんで」
驚いて彼を見る。まだ十代後半か二十歳くらいだと思っていた。いや、実際それくらいだろう。
「ありがとう」
彼は照れたように手を振った。見た目は不良のようだが、中身は気の良い若者のようだ。
俺は地図に書かれた場所に向かった。ここからそう遠くない。むしろ、アパートに近付いた。
廃スタジオは繁華街の中で、さらに路地に入ったところにあった。スタジオの前には誰もいない。しかし、外に見覚えのあるスクーターがとめてあるのが見えた。彼女は帰ったものだと思っていた。しかし美々はこのスタジオの存在を知っていたのだ。彼女もまた、不良であるからだろう。一瞬、あの陵辱の映像が頭を過ぎる。急激に体温が下がったように感じた。彼女の無事を祈って、重い扉に手をかけた。
看板に電飾も無く、地味な地下の店だった。扉を開くと、すぐに饐えた臭いが鼻を刺激した。そして、それと混ざり合うように、甘い香水の香りがする。美々の香水の香りだ。
俺は足音を立てないようにして、中を進んだ。スタジオの中は暗く、間接照明がいくつかついているだけだった。薄く音楽がかかっている。
突然、どこかから悲鳴が聞こえた。慌てて声の方へ走り寄ると、美々がある部屋の前で腰を抜かしていた。
「お前……駄目だって言っただろ!」
俺の声にも、彼女は反応しなかった。その代わり、ゆっくり手を上げて、部屋の中を指さした。
俺は中に何があるか、ある程度は予想がついていた。恐る恐る中を覗き込むと、あの動画の部屋だった。裸のエンジェルの、再生した両手足には鎖がつながれており、輸血パックもそのままだった。
すぐに部屋の中に駆け込もうとしたとき、俺の頭に衝撃が走った。そして意識は暗転した。
あの浮気相手のOLは何という名前だったか。名前さえも忘れてしまった。顔も良く覚えていない。だが、久しぶりに夢の中で会った。顔は相変わらずわからないが、彼女は昔と同じように、俺を名前で呼んだ。彼女が何と言っているのか、良く聞き取れない。頭の中で工事でもしているみたいに、あちこちが痛んだ。彼女は俺の頬を両手で包み込むと「起きて」と言った。そうだ、この声だ。俺はこの声が好きだった。
目を覚ますと、美々が男に組み敷かれているところだった。彼女の左腕は折れているように見える。
男はあの動画に出ていた黒騎士だった。プロレスラーのような覆面に、黒い服、黒いマントのような物を着ていた。ゲームのキャラクタのようだ。
「やめろ」
絞るように声を出すと、頭が痛んだ。二人は驚いてこちらを見る。
「驚いた。殺したと思ってたのに。手応えあったんだけどなあ」
黒騎士が下卑た笑い方をして、覆面から露出している口元を歪めた。
声の感じから、彼は少年のような気がした。マスクから見える肌の感じも、子供のように見える。だが、まさか子供がこんな事をするはずが無いと考え直した。少しでも同情することは出来ない。
体を起こしてみる。どこにも異常は無いように思えた。殴られたところが発熱している。恐らく、再生しているのだろう。
俺は黒騎士に向かって突進した。しかし、彼はすんでの所でそれを避けた。美々を抱き起こす。
「大丈夫か?」
「おっさん、あたしは良いから、何とかしろ」
美々が俺の手をふりほどこうとするが、折れている腕が痛むのだろう、顔を歪ませた。
黒騎士が奇声を上げて、俺に向かって鉄パイプを振り下ろしてきた。先程俺を殴ったのはこれか。生々しい血の跡がある。
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