第27話



 高梨が俺を真っ直ぐに見据えた。


「気持ちはわかります。俺だって、あんな風にされているエンジェルを放ってはおけない。でも、闇雲に動き回って、肝心なときに体力が無くなったら元も子もないじゃ無いですか。今は耐えてください」


 彼の悔しそうな表情に、嘘は無いように見えた。両の拳を固く握って耐えている。彼女のことを商品呼ばわりした時とは、全く違って見えた。


 俺は力なく頷いた。


 寒気を覚え、俺はもう一度シャワーを浴びた。熱いシャワーを浴びながら、俺の頭も熱を帯びてくる。冷静にならなくては、と思うほどに思考は沸騰し霧散する。


 バスルームから出ると、高梨が再びパソコンに向かっていた。俺に気付くと、彼は振り返って首を振った。


「もしかして、倉庫じゃないんでしょうか」


 彼の何気ない一言が引っかかった。


「だとすると、他に何がある?」


 よくよく考えてみると、倉庫である必要は無い。倉庫のように見えたが、デザイナーズマンションの、見た目重視の部屋ではああいう内装もある。問題は音だった。


 銃は火薬を爆発させ、その衝撃で鉛玉を射出する。かなりの音だ。しかも銃声は特徴があるので、聞く人間が聞けばすぐに気付く。もし気付かなかったとしても、あれだけ連射すれば近所の誰かが通報する可能性は高い。松本の家のような一軒家の地下室ならお手上げだ。


 では、他に何がある。俺の頭では考えが及ばない。誰かに聞くか——。


 ふと、千佳のことを思い出した。今の今まで、彼女のことを忘れていた。何という駄目な父親だろう。あんなに心配していたというのに。


 時計を確認する。すでに面会時間は終わっていた。彼女はどうしているだろうか。美紀は来てくれただろうか。


 彼女のことを思い出したら、少しだけ頭が冷静になった。


「美々に連絡取れるか?」


 尋ねると、高梨はすぐに美々に電話をかけた。


「……なんだよ」


 美々の声は不機嫌そのものだった。間違ったことを言えば、すぐに終話ボタンを押されそうだ。


「緊急事態なんだ、助けてくれ」


「断る」


「お前の助けが必要なんだ」


「お前って言うんじゃ無えよ、おっさん。とにかく、あたしがそこに行けない理由はわかってんだろ? こうやって電話で話してるのだって、まずいんだよ」


 美々は松本の孫だ。柊の件で、今、俺たちと接触することは禁じられているのはわかっている。しかし、今は緊急事態なのだ。


「良いか、今来ないと一生後悔することになるぞ」


「一体、何だって言うんだよ」


「エンジェルのことだ」


 数秒の間の後、彼女は震える声で言った。


「エンジェルに何かあったのか。おじいちゃんは、エンジェルには手を出さないって……」


「松本さんじゃ無い。敵が、エンジェルをさらっていった」


 詳しい事情を話すと、美々は返事もせずに電話を切った。その後は、何度かけてもつながらなかった。


「美々……来てくれますかね」


「来るさ」


 高梨は信用できないといった表情だ。先程まで、あの黒スーツの男達にしつこく豚の行方を尋問されていたのだ。彼女にも良い印象を持たなくなったとしても不思議では無い。


 彼の疑いを裏切り、美々のスクーターの音が外から聞こえた。


 彼女は勢いよく玄関を開け、こちらに向かって肩を怒らせながら近付いてきた。


「エンジェルは?」


「説明した通りだ。さらわれた」


「それで?」


「これを見てくれ」


 俺は高梨に動画を再生するように指示した。最初に見た自殺の動画だ。彼女に、エンジェルが陵辱されている動画を見せることは出来ない、というのが俺たちの意見だった。


 男が自殺する場面では、美々は女の子らしい悲鳴を上げた。意外と、気が強いのは振りなのかもしれない。彼が生き返るところまで見ると、美々は顔を手で覆った。


「信じられない……こんなの、嘘だよな?」


 その問いかけには答えなかった。


「犯人はここにいるらしいんだけど、これがどこなのかわからないんだ。心当たりは無いか?」


 パソコンを閉じ、彼女に尋ねる。彼女は恐る恐る顔を上げた。


「心当たりったって……」


 声が震えていた。彼女もそれに気付いたようで、慌てて咳払いした。


「心当たりったってなあ。これだけじゃわかんねえよ」


「大体車で三十分くらいで、倉庫らしいと思うんだが、それらしい所は全部当たってみたつもりなんだ。でも違かった」


「本当に、全部回って、隅々まで調べたのか?」


「どういうことだ」


「だから、犯人は一人じゃ無くて、あんたが回った倉庫の奥に隠してるってこともあるだろ。その海外輸入雑貨の倉庫の従業員が、全員ぐるだったっていう可能性だってある」


 俺はその可能性は考えもしなかった。


「でも、そんな雰囲気じゃなかったぞ。倉庫はちゃんと物が入っていたし、協力者がいるにしても、作業員が何人もいた。彼ら全員が協力者とは考えづらい」


 美々は腕組みをして唸った。


「貸しスタジオなんてのはどうだ?」


「貸しスタジオ? なんだそれは」


「しらねえのかよ、おっさん。これだから年寄りは……」


「俺は四十代半ばだ。まだ年寄りじゃ無い」


「一緒だろ。貸しスタジオっつーのはな、建物の開いた部屋なんかを時間貸ししたりする場所だよ。ガキのそろばんとか、習字とか、格闘技なんか教えてる所もあるな」


 それは思いつかなかった。さすが、若い子はよく知っている。


「でも、そんな空き部屋って感じじゃ無かったけどな。銃声ってのは結構響く物だし」


「たとえばっつってんだろ、頭悪いなおっさん」


 ムッとしたが、今は突っかかっている暇はない。黙っていた。


 美々も自分で言いながら、正解にたどり着けなくてイライラしているようだった。


「スタジオ……そうか!」


 美々が叫ぶように言った。


「スタジオだよ、スタジオ!」


「それは今言っただろ。難しいって……」


「ちげえよ。リハスタだよ」


「りはすた?」


「リハーサルスタジオ。あんた、何にもしらねえな。今までどうやって生きてきたんだよ」


 彼女は大げさにため息をついた。


「バンドが練習するようなスタジオ。それなら、防音だってちゃんとしてるし、音を響かせるために、打ちっ放しの所もあるだろうよ」


 彼女の話を聞いて、俺は体温が上がるのを感じた。今度こそ、エンジェルを見付けられる。


「鈴村さん」


 高梨が声を上げた。彼の方を見ると、何か掴んだようだった。


「スタジオで正解みたいです。これを見てください」


 パソコンの画面は、ミニブログの発言をいくつか表示していた。黒騎士という名前で、今エンジェルを捕まえたと書き込みしている。


 最近はインターネットを使ってそんなことまでわかるのか。俺はうなった。


 黒騎士はソーシャルネットワーキングサービスに出入りしており、新興宗教にはまっていた時期もあったという。それがここ最近、エンジェルに夢中になった。発言にはそう書かれている。


 確かに、初めてあの才能を見た人間は、畏怖することだろう。彼はエンジェルを憎んでいるのでは無く、ただの狂信者だったのだ。


「それで、スタジオの場所は?」


 高梨が検索すると、すぐにいくつかの候補があがった。その中で、車で三十分程度なのは三つだった。


「この中の一つでしょう」


「あたしも一緒に行く」


 美々が言った。


「馬鹿。危ないから駄目だ」

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