第26話



「何かわかったら連絡してくれ」


 二人組の黙っていた方が、俺に名刺を押し付けてきた。


「エンジェルは?」


 高梨に尋ねるが、彼は首を振った。


「どういうこと?」


「連れて行かれた」


 俺は黒スーツを見た。


「俺らは知らねえよ。エンジェルちゃんには手を出すなって言われてる」


「じゃあ誰に」


「あの動画の男」


 俺の頭に、あの覆面が過ぎった。プロレスラーが被っていそうな覆面だ。


「あの男が来たって言うのか?」


 高梨が頷く。


「ここはまだ知られていないって……」


「甘かったようです。彼らはやってきて、エンジェルを連れ去った」


「彼ら?」


 あの動画の男は単独だと思っていた。だが、向こうも俺たちのような組織の一部である可能性もあるのだ。


「二人組でした」


「抵抗しなかったのか?」


「エンジェルは抵抗しましたが、なにぶん、ちょっと才能があるだけの、か弱い女の子ですからね。男二人にかかられたら、敵わないでしょう」


 高梨はチラと黒スーツを見た。


「豚もいませんでしたし」


 彼らを気にするように、高梨は小声になった。


「あんたは? 何もしなかったのか」


 高梨は気まずそうに俯いた。


「僕はブレーンです。肉体労働は僕の役割じゃ無い」


 今度は俺が高梨の襟首を掴む。


「あんたはそれでも……」


 言いかけてやめた。高梨を放す。彼はこういう男だ。これ以上は無駄である。


「エンジェルを助けに行く。場所に心当たりは?」


 高梨が驚いた顔で俺を見上げた。


「本気ですか?」


「もちろん」


 彼は難しい顔をした。


「今のところ、まったく手がかりは……」


 言いながらパソコンを開く。掲示板をチェックすると、あの男と思われる新しい書き込みがされていた。


『どちらが上か証明する』と書かれている。


「この書き込みの時間……」


 呟きながら腕時計に視線を落とす。ここから出ないのに、何故か彼は高価な腕時計をはめていた。


「この書き込みがされてから、彼らがここに押し入るまで大体三十分くらいです」


 高梨はさらに続けた。


「あの動画は、どこかの倉庫のようでした。ここから三十分以内で、かつ銃を使っても通報されないような倉庫は……海岸の倉庫でしょうか」


 地図を開く。ルート案内によると、倉庫までの時間は三十分程度だった。


「わかった。行ってみる」


「おい、勝手に……」


 黒スーツの一人が、俺を止めようとした仲間を制した。


「おじきも柊さんも、エンジェルちゃんのことは好きだ。もちろん俺もだ。俺たちは力になれないが、助けてやってくれ」


 俺は彼に向かって頷いた。車に飛び乗り、教えられた倉庫へ向かった。倉庫群は賑わっていて、こんなところで銃なんて撃ったら誰かが通報するのでは無いかと思った。


 俺は片っ端から倉庫を覗き込んでは、エンジェルの特徴を伝え、彼女のような女の子を見ていないか尋ねた。しかし、誰もエンジェルを見ていないという。


 アパートに戻ると、黒スーツはいなくなっていた。


 リビングでは高梨がパソコンを開いていた。あの倉庫にはエンジェルがいないと言うことを伝える。納得いかない様子だった。


 倉庫の持ち主は藪島という男だった。俺が聞き込みをした通り、海外のインテリア雑貨を輸入販売する会社を経営している。これと言ってエンジェルとは接点は無く、年齢も五十代ということから、彼は犯人では無いだろう。


「手がかりはこれだけですね」


 高梨は深くため息をついた。大分参っているようだ。頬に切り傷があった。彼らにやられたのだろうか。


 俺は歯がみした。こうしている間にも、彼女がどんな目に遭っているか考えるだけで、気が狂いそうだった。自分の娘かも知れないと思うと尚更だ。


「他に倉庫は無いのか」


「難しいですね。あんな風に銃を撃っても誰もやってこない空き倉庫は……」


 再び、彼はあの動画を再生する。打ちっ放しのコンクリートの壁、天井付近には何本もパイプが這っている。


 俺はいても立ってもいられず、アパートから飛び出した。刺しっぱなしにしてあるキーを回して、車を発進させる。もう、柊の時のような失敗は繰り返したくない。


 倉庫のような物を見付ける度に、中を覗き込んだ。不審者扱いされたが、そんなことは気にならなかった。


 夜中まで走り回ったが、収穫は無かった。


 アパートに戻ってきてシャワーを浴びていると、高梨が慌てた様子で飛び込んできた。


「大変です、すぐ来てください」


 彼の慌てぶりから、捜索に進展があったのだと思い、俺は服を着るのももどかしく、タオルを巻いただけの格好で出た。


「何か掴めたのか?」


 高梨は黙ってパソコンを俺の方に向ける。


「良いですか。かなり酷い動画なので、心の準備をしてください」


「動画?」


「良いから、深呼吸してください」


 何かの冗談かと思ったが、彼の目は本気だった。言われた通り深呼吸すると、パソコンに向かい合った。


 高梨が再生ボタンを押す。すぐに、エンジェルの物だとわかる悲鳴が聞こえてきた。胃がギュッと収縮する。背筋に嫌な汗が流れた。


 画面は暗く、よく見えないが、何かが画面の奥でゴソゴソ動いているのはわかる。目をこらしていると、カメラが動いた。近付いて行く。


「何てこと……」


 俺は強烈な怒りと嫌悪で吐き気を催した。胃袋がはねるが、中身が入っていないため、胃液しか出てこない。それでも、まるで食中毒かノロウイルスにでも責められているように、嘔吐を繰り返す。


 薄暗い部屋の中、マットレスの上で、あの男がエンジェルを陵辱していた。ただ陵辱しているのでは無い。手足を切り落とし、さらに体を切り刻みながら、彼は狂ったように腰を振り続けている。彼女の腕には点滴の装置が取り付けられていた。輸血されながら、自らの血を流し続けているのだ。


 カメラがエンジェルの表情を映した。虚ろな表情をしているが、時折思い出したように、切り裂くような悲鳴を上げる。


 エンジェルの腕が再生しようと、盛り上がり始めた。しかし、男がそれをナイフで削ぎ落とす。まるで悲鳴のような、狂気に満ちた笑い声を上げた。その表情は、人のそれとは思えなかった。


「もう良い……」


 言うと、のどが焼けるように痛かった。高梨は動画を止めた。


 俺は自分の吐瀉物に頭をこすりつけながら、声を上げて泣いた。


 どうして、彼女がこんな目に遭わなければならないのだ。


 涙が止まらなかった。


 これは悪い夢だと思いたい。この現実を受け止めるには、俺の心の器は小さすぎる。一体、彼女の絶望はどれだけ深いのだろうか。想像することさえ出来ない。


 どれだけそうしていただろうか。涙は涸れ果て、目はただ熱を帯びたガラス玉のようになった。


 エンジェルが今も、あのゴミくず野郎に陵辱され続けているのかと思うと、怒りがこみ上げてきた。


「どこへ行くんですか」


 高梨が慌てて俺を止める。


「エンジェルを探しに行く」


 上手く発音できない。


「まだ居場所がわからないんですよ。闇雲に探すより、手がかりを見付けましょう。せめて服ぐらい着てください」


 言われて気付いた。自分の体を見やると、裸であることを忘れていた。意識し始めたら、急に寒くなってきた。


「でも、こうしている間にもエンジェルが……」


「鈴村さん」

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