第25話



 老人が頷く。


「受け入れるんです」


「どうやって受け入れれば良いんですか」


 俺はあの女のように、潔くすべてを受け入れることが出来ない。俺が止めていれば、柊は死なずに済んだかも知れない。俺なら撃たれても生き返ることが出来る。だがしなかった。


「それは、あなたがすでに答えを持っています」


「俺が?」


 老人は再び頷く。


 俺はもう一度、昨日の晩のことを考えてみた。実のところ、深く考えるのが嫌で避けていたということもある。


 あの時、柊を助けに行くことが出来なかったのは、千佳のためだ。これは間違いない。しかし、同時に俺は、あの犯人が豚だと言うことに気付いていた。さらに目的にも。だから、俺は躊躇したのでは無いだろうか。彼があそこに留まる理由。狂ってしまった人生。それを、柊に償わせるために彼は、危険を冒してまで現れたのだ。その意を汲んでしまったのだ。何故なら、豚が人を殺せないことを知っていたからだ。あの痩せた方の犯人に殺されてしまうのは想定外だった。だがそれも、彼の運命だったのかも知れない。裏道を歩くような人生では、彼もこれくらい覚悟していただろう。だからこそ、あそこで部下に撃てと言えたのだ。


「あなたのせいじゃ無い」


 最後に、俺はこう言って欲しかったのだ。


 千佳にしてもそうだ。あれがなかったら、千佳が本当の娘だと言うことを、俺は考えもしなかっただろう。こんな風に悩むことも無かったが。


 俺は顔を上げた。老人は頷く。彼には全てを見透かされているようだった。


「ありがとうございます」


 俺は煙草を揉み消した。残った煙草は老人に差し出した。


 喫煙所の外に出ると、雨は上がっていた。俺は千佳の病室へ急いだ。


 もう、逃げない。


 俺が病室の手前まで来たとき、中から悲鳴が聞こえた。


「千佳!」


 飛び込んだとき、千佳は自分の髪の毛を思い切り引っ張って抜いていた。慌ててやめさせるが、もの凄い力で抵抗する。


「どうした」


 尋ねても、奇声を発するだけで、彼女は答えない。看護師がやってくるが、暴れる彼女を止めることは出来なかった。俺は彼女に殴られるのもいとわず、彼女を抱きかかえた。次第に、勢いは無くなっていった。


 落ち着くと、看護師は彼女に鎮静剤を打った。彼女はもう、大人しくなっていた。


 千佳が暴れた原因は、柊のことを思い出したからだっ。やはり、俺もふとしたきっかけで、失われた記憶は戻った。そのうちこうなるのだと思っていたが、思ったより早かった。


「私のせいで、柊さん死んだの?」


 だるそうに彼女は言った。


「いや、千佳は関係無いよ」


「でも……」


「仕方ないんだ」


「どういうこと」


「彼は、いつ殺されてもおかしくない仕事をしてたってことさ」


「何それ」


「俺にもよくわからん」


「あんなに良い人だったのに」


「人なんて、本当はどういう性質なのか、わからないものさ」


「わかんない」


「良いんだよ、わからなくて」


「子供扱いしないで」


 エンジェルと同じ台詞だ。俺はそんなに、彼女らを子供扱いしただろうか。いや、年頃の娘が考えることは、皆似ているのかも知れない。


「悪かった」


「どうして黙ってたの? 私が子供だから?」


 答えに詰まった。確かに、そうだ。彼女が子供だから、ショックを受けないようにしたのだ。


「……もう放っておいて」


 答えられないでいると、彼女は自分の頭をすっぽり布団で覆い隠した。それから、何を言っても答えてくれなかった。


「何か欲しい物はあるか?」


 この問いにも、彼女は答えなかった。よほどショックだったのだろう。


 しばらく無言のまま座っていたが、彼女の寝息が聞こえてきてから、俺はひとまず部屋に戻ることにした。


 病院を出る際、公衆電話があった。俺は迷ったが、元妻に電話してみることにした。あんな女でも母親だ。きっと心配しているに違いない。電話番号は、千佳の携帯電話を見た。ばれたらきっとまた怒るだろう。


 コールすると、あの女が出た。声を聞くと懐かしかった。名乗ると、一瞬の間の後「何?」とだけ言ってきた。千佳の現状を伝えると、驚いたようだった。


「あんた、あの子に何かしたの?」


「巻き込まれたんだ」


「勘弁してよ。治療費なんて払えないからね」


 まず、千佳の体よりも、治療費のことを心配するなんて——絶句した。


「お前、母親だろう」


「そうだけど」


「ところで、聞きたいことがあるんだが」


「何よ」


 明らかに、警戒する声音だった。


「千佳は本当に、俺の子じゃ無いのか?」


「だったら何だって言うのよ」


「いや、聞いているんだ。答えてくれ」


 数秒の間があった。その間、俺の心臓ははち切れんばかりに高鳴った。


「わかんないわよ」


「何だって?」


「わかんないって言ってるの。誰の子かなんて、検査してみないとわかんない」


「お前……」


「うるさい! どうせ私は尻軽女ですよ。馬鹿だもん、しょうがないじゃん」


 今すぐ電話を切りたいのを堪えて、俺は言った。


「じゃあ、俺の子供の可能性もあるんだな?」


「そうねー。あの時あんたとセックスしたなら、そうかもね」


 これで千佳が俺の子供で、あの才能が遺伝するという可能性が出てきた。


 最後に病院の名前を告げて、電話を切った。恐らく彼女は来ないだろう。美紀に電話して、千佳のことを頼んだ。彼女は少しも嫌がる気配を見せず、二つ返事でオーケーしてくれた。


 病院を出る前、喫煙所を覗いてみたが、先程の老人はいなくなっていた。


 病院を出ると、タクシー乗り場があった。それを見たら、考えが変わった。一度あのアパートに戻ろう。エンジェルと話をする必要がある。あと、豚にも。


 俺はタクシーに乗り込み、エンジェル達が待つアパートの住所を告げた。




 俺は驚愕した。アパートに帰り着くと、玄関のドアが破壊されていた。リビングでは、黒いスーツを着た男二人が、高梨を締め上げていた。


 高梨は俺に気付くと、すがるような目で俺を見た。


「良かった、鈴村さん。助けてください」


「どうした」


 黒スーツの一人が、俺を睨み上げる。


「おたく、ここの人?」


 松本の所の人間だろう。しかし、今までこんな無礼な態度をされたことはなかった。恐らく、豚のせいだ。


「豚のことですか?」


「話がはええじゃねえか、兄さん」


 黒スーツが俺の肩を叩いた。高梨が安堵の吐息をついた。


「どこにいる?」


「知りません」


 答えた瞬間、彼は俺に腹に拳をめり込ませた。


「どこにいる?」


 再び同じ質問。同じ答え。同じ制裁。これを数回繰り返した後、俺は言った。


「確かに、柊さんを襲ったのは豚です。でも殺したのはもう一人の方でしょう」


「そんな言い訳聞かされても、こっちはしょうがないんだよ。あの豚見付けてミンチにしねえとな、こっちは収まりがつかないんだ」


 部屋の方から、別の黒スーツが出てきた。彼らは喪服のように、黒いスーツに黒いネクタイだった。恐らく、柊のための喪のつもりだろう。彼らは収穫無し、というように首を振った。

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