第23話
服を買うと、彼女は上機嫌で俺の腕に絡みついた。親子に見えるだろうかと緊張した。
子供の服がこんなに高いとは思わなかった。俺が一年間で買う服の代金よりも高い。
荷物をロッカーに押し込むと、この間みんなで遊びに来た遊園地に向かった。俺には子供を連れてくる場所といったら、ここくらいしか思い浮かばない。
子供と一緒に遊園地に来るのは、俺の夢だった。テレビでそんな場面を見る度に、羨ましいと思った。それが今、叶ったのだ。
俺の娘……。
本当に、元妻の言う通り彼女は俺の娘では無いのだろうか。本当は俺の娘なのでは無いか。それならば、あの才能も頷ける。そんなに簡単に、あんな才能を持った人間が産まれてくるはずが無い。だとしたら、何のためにそんな嘘をついたのか。
「難しい顔してるー」
千佳が俺の顔を覗き込んだ。
「ごめんな。よし、何に乗りたい?」
慌てて笑顔を取り繕う。彼女には絶対に知られないようにしなくては。
やはり同年代だからだろうか。千佳はエンジェルが乗ったものと同じものばかり乗っていた。俺は相変わらず、彼女が乗っている乗り物を見上げていた。たまに目が合うと手を振った。
ぼんやり座っていても、頭の中を占めているのはエンジェルのことだった。そして……彼女の母親。心当たりはある。あの時の浮気相手だ。エンジェルが言うには、彼女はすでに死んでいるという。一体何故、彼女は死んでしまったのか知りたかった。
もしエンジェルが俺の娘なら俺は——。
「また難しい顔してる」
いつの間にか考え込んでいたようだ。
「私と一緒じゃつまんない?」
泣きそうな顔で、俺を見上げる彼女。俺の胸を貫くようだった。
「ごめんな。そんなんじゃないんだ」
ソフトクリームを買ってやると、彼女は素直に喜んだ。
「お父さんと、こんな風にしてみたかったんだ」
ソフトクリームを食べながら、彼女は言った。
「行ったこと無いのか?」
「うん。パチンコとデパートの屋上以外、どこかに連れて行って貰った覚えは無いよ」
絶句した。あの女はそんなに酷かったのか。
「お父さんは?」
「パチンコしかしてなかった」
肩を落とした。
「私が小学校の低学年の時に別れたよ」
俺は千佳を抱きしめた。こんなに明るい子供が、そんなに暗い時代を送っていたなんて知りたくなかった。いや、知って良かった。もう、この子をあの女の所に帰すわけには行かない。今、俺の生きる目標が出来た。血がつながっているかなんて関係無い。理屈では無いのだ。彼女の笑顔が、俺の生きる糧になる。
その日一杯遊んで、帰りの道すがら俺たちはファミリーレストランに寄った。ハンバーグを美味しいと言って食べる姿さえも愛おしい。
ふと、隣のテーブルを見ると、制服姿の高校生グループが談笑していた。視線を戻すと、千佳がそれを羨ましげに見つめている。
「そういえば、お前学校は?」
「行ってない」
「どうして?」
「行ったって……学校なんて行ったって仕方ないじゃん」
「仕方ないことないだろう」
千佳は食べる手を止めて俯いた。
「私なんて、どうせ馬鹿だから高校も行けないし、だったら行ったって意味ないじゃん」
「そんなこと無いよ。勉強すれば高校くらい……」
「だから出来ないから言ってんじゃん!」
急に大声を出したため、店内が静まった。高校生達がこちらを見ている。千佳は顔を真っ赤にしてトイレに駆け込んでいった。
五分経ち、十分経ったが戻ってこない彼女を心配して、俺はトイレに行ってみた。しかし、女子トイレに入るわけには行かず、トイレの前でうろうろしていると、不審に思ったのか店員がやってきた。理由を話して中を覗いて貰うと、中には誰もいないとのことだった。
慌てて席に戻ると、千佳の荷物が無くなっていた。
しまった。どうして、子供の気持ちがわからないのだろう。
慌てて会計を済ませ、店を出た。カウンターの店員に聞いても、彼女の姿は見ていないという。道行く人に片っ端から声をかけてみようかと思ったが、それで見つかるはずも無いと思った。
彼女が行きそうな場所はどこだろう。家に帰ってくれていれば良いが……いや、よくない。あの子をもう、あの場所に戻したくない。
どこにいるのだろう。いったん、部屋に戻ってみた。しかし、彼女が戻ってきた形跡は無い。この町で彼女が知っている場所と言ったらあとは——。
まず寿司屋に行ってみた。大将は俺のことを覚えていて、柊が死んだことも知っていた。良い人を亡くしたと目頭を押さえた。大将は無口で強面だが、人情のある人間だった。大将は千佳のことも覚えていたが、今日は見ていないという。あと一つ、彼女が行く可能性があるのはあのキャバクラだ。彼女があそこに行ってしまったら、昨夜のことを思い出すだろう。
果たしてキャバクラに千佳はいた。昨日の事件のせいで店は営業していなかったが、中には人がいた。昨日、柊と寿司屋で会った二人だ。彼女たちは俺を見ると慌ててこちらに向かってきた。千佳がやってきたと思ったら、急に悲鳴を上げて倒れたという。
千佳は救急車に乗せられた。もちろん俺も同乗したが、キャバクラの二人も乗ってきた。仕事が無くて暇だからという。救急車の中では、彼女たちは千佳の手を握っていてくれた。暇だからというのは方便で、彼女たちが本当に千佳のことを心配しているのが伝わってきた。
処置室の外で待っている間、二人は俺に名刺をくれた。二人のうち一人は美紀という名前で、髪が長く、胸の大きく空いたドレスを着ていた。その服装からわかる通り、彼女の胸はグラビアアイドルのように大きく柔らかそうだった。もう一人は香奈という名前で、ショートボブヘアで、ロングドレスを着ていた。彼女も胸が無くは無いが、美紀と比べると存在感が希薄だった。慌てて出てきたからだろう。二人とも、ドレスの上にダウンコートという、アンバランスな格好だった。
美紀が突然泣き出した。
「いっくんがあんなことになって、もう誰も死んで欲しくないよぉ」
いっくんというのは柊のことらしい。香奈も泣きはしないが、強く頷いた。昨日の柊の件で、過剰に心配するようになってしまったのだ。
美紀は名刺の裏に携帯電話の番号を書いてくれた。
「こっちは本命の携帯だから、何かあったら鳴らして」
彼女が俺の手を包み込むように握る。温かい手だった。
「気をしっかり持ってね」
それはこっちの台詞だと言いそうになった。香奈は電話をかけてくると言って席を立った。
処置室から医師が出てきて、軽い貧血だと言った。美紀はその場に泣き崩れた。
「よかったよぉ」
医師が困惑していたが、俺は礼を言って彼女を座らせた。
香奈が戻ってくるのを待って、俺たちは千佳のベッドまで行った。大事を取って、今日はここに入院することになった。
千佳は中々目を覚まさなかった。二人は店に戻らねばならなかった。千佳が目を覚ましたら絶対に連絡してくれ、と美紀が俺に強く念を押した。
二人がいなくなると、病室は静かだった。外は樹が葉を落としていた。彼女のベッドは窓際だった。寝顔を見て、心の底からホッとした。もし彼女がいなくなってしまったらと思うと、胸が締め付けられる。
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