第19話





「鈴村さん、ちょっとこれを見てください」


 高梨が俺にパソコンを向けた。見ると、アクセスカウンターのようだった。


「これがどうした?」


「どうも様子が変なんですよ」


「変って?」


 見ても順調にカウンターは回転しているように見える。


「これ、いつもよりも二桁少ないんです」


「二桁?」


 声に出して数えてみた。一、十、百……三万人も来ている。


「いつもは三百万アクセスくらいあります」


 動画をアップロードしたのはまだ数時間前のはずだ。


「お得意先にはメールでアナウンスもするし、公式に情報を流していますからね。今はリアルタイムで、誰でも情報を受け取れる時代ですから」


 高梨は得意げに語る。しかしすぐにその表情も曇った。


「情報の遅延もないし、サーバの不調もない……一体何が原因だろう」


 見ろといった割に、彼は自分の世界にこもってしまった。


 俺は美々が作っていってくれた朝食を食べながら、昨夜のことを思い出していた。エンジェルはまだ起きてこない。どういう顔で彼女と向き合ったら良いのだろう。


「それにしても」


 ギブアップなのか、パソコンを投げ出して彼はこちらへ向き直る。たくあんを一切れ口に放り込んでため息をついた。


「鈴村さんはエンジェルに気に入られましたね」


「そうかな」


「そうですよ。彼女の心を捕まえて置いてくださいね。彼女はここの主力なんですから」


「どういうことだ」


「だって、彼女にへそを曲げられたら、ここは意味が無くなってしまう。松本さんだって、エンジェル無しでは援助を打ち切ってしまうでしょう。ここは、エンジェルのための天使の楽園なんですから」


「俺は子供の考えることはわからん」


「彼女の機嫌を取ってあげれば良いんですよ。昨夜みたいに」


 高梨がウインクした。


「あいにく、僕はそっちの方は役立たずなのでね。彼女の相手をしてあげることはできません」


「おいおい、ちょっと待てよ。一体何のことを言ってるんだ」


「知ってますよ。昨夜、お楽しみだったでしょう?」


 高梨が下卑た笑みを見せる。普段爽やかな印象なためか、余計嫌な感じだ。


「違う……」


「良いんです。豚はちょっと……彼女の好みじゃなさそうですし」


 高梨が立ち上がった。


「それより、鈴村さんにこのパソコンをお貸しします。ネットワークの設定はすでにしてあります。次の仕事は、アクセス数が激減してしまったことの原因を探すこと。良いですか? パソコンの使い方わかりますよね?」


 勢いでうやむやにされてしまったが、俺は仕事と割り切って憮然と返事をした。


「パソコンくらい使える」


「オーケー。じゃあ早速取りかかってください。このサイトは僕たちの生命線ですからね」


 言い残して高梨は自室に引っ込んでしまった。


 俺はパソコンを開いてみる。動画コンテンツは思ったよりもたくさんあった。俺たちが集団自殺したときの動画も、もちろん公開されていた。だが、どうしても、動画は再生できなかった。あんな凄惨な場面、もう思い出したくもない。


 サイトの構成を探った。ちゃんと見たのは初めてだった。このサイトについての注意書きなど書かれており、管理者画面からは動画についての、すべてのコメントが閲覧できた。


 掲示板をクリックすると、いつもと同じように彼女を賞賛する信者たちが揃ってエンジェルを褒め称えていたが、このサイトに対する——というよりも、エンジェルに対する批判が増えたように思える。その中で、「黒騎士」という名前の書き込み主がエンジェルに対する罵詈雑言を書き連ねていた。彼女は偽物で、自分こそが本物であるという内容だった。その証拠として、URLを貼り付けていた。それをクリックすると、視覚効果をふんだんに使ったウエブサイトが現れる。雰囲気が、高梨の作ったサイトに似ていた。


 急に動画が再生された。停止ボタンを探してみたが見当たらない。ページ自体を閉じようとして、手を止めた。戦隊ヒーローのかぶり物をした黒ずくめの男が、自分の頭に銃を当てている。横には心肺の状態をモニタした機械が置かれていた。


 彼はゆっくりカメラの方を指さし、宣言した。


「良いか、愚民共。これから神の力を見せてやる。偽物の力ではなく。唯一絶対の本物の力だ」


 彼は言い終わると、画面奥に配置された空き缶やコンクリートブロックに向かって、引き金を引いた。空き缶は吹き飛び、コンクリートブロックは砕けた。そして、今度は自らの頭に向かって、ためらいなく引き金を引いた。銃声に思わず目を閉じてしまったが、彼の頭の一部は見事に吹き飛んだ。よくドラマで見るような、穴が開くだけではなかった。一部とはいえ、頭が吹き飛んだのだ。後ろの壁に、脳髄の一部がくっついた。これでは再生なんて出来ないだろうと思った。制御を失った彼の体は、その場に力なく崩れ落ちた。不思議なことに、かぶり物はとれず、顔は見えなかった。心拍は停止していた。


 しかし、しばらくするとエンジェルの時と同様、彼の皮膚が盛り上がり始めた。カメラが傷口に寄る。再生の速さはエンジェルと同じくらいだろうか、すぐに修復された。心拍が戻る。彼はよろめきながら立ち上がり、またこちらを指さした。


「見たか、これこそが本物の力だ。俺はこれから、偽物に対する粛正を行う」


 そこで動画は途切れた。




「これを」


 俺は高梨を呼んできて、サイトを見せた。


「僕たちと違うのは、生き返るまでをノーカットで動画にしている点ですね。これについては、僕たちは秘密にしてきました」


「これは、エンジェルを殺しに来るということだろうか」


 高梨は頷く。


「でしょうね」


「エンジェルには見せない方が良いな」


「そうですね」


「知り合いか?」


「いえ……しかし、友好的ではなさそうですね」


「ああ。こいつは危険だ」


「僕もそう思います。ですが、こんな才能を持った人が三人もいることに、僕は感動すら覚えます」


 驚いて彼の顔を見た。彼はこの事態に、何か俺とは別のものを感じているようだ。


「どうする?」


「どういう意味ですか?」


「この男のことだ。エンジェルを守る必要がある」


 高梨はあごに手を当てた。


「そうですね……ここがばれているとは考えにくいですし、様子見ですね」


 驚いて彼を見た。冗談を言っているようには見えなかった。


「様子見だって? こいつは殺すと言っているんだぞ」


「まあ、そんなに騒ぐ必要もないでしょう。殺したって死なないんだから」


 面白い冗談でも言ったつもりだろうか。高梨は笑った。目の前が暗くなる。彼らはこの苦しみを知らないから言えるのだ。生き返るとは言っても、死ぬのだ。一度は死ぬのだ。それがどれほど恐ろしくて辛いことか、わかっていない。


 俺は高梨の襟首を締め上げた。


「それでも保護者か」


「保護者?」


 高梨が俺の腕を掴む。見かけによらず力がある。


「勘違いしないで戴きたい。彼女はビジネスパートナー。ある意味では商品と言っても良いでしょう。僕は保護者などではありません」


「商品……だと?」


 理性が働く前に、俺は高梨を殴っていた。彼は床に倒れ込み、情けない声で悲鳴を上げた。


「暴力反対!」


 彼は自室へ走って行った。


 しまった。仲間を殴ってしまった。


 最悪だ。

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