第6話

 だが、喜ばしいことに俺の予想は外れた。彼女は今まで見せたことの無いような笑顔で、新たに現れた女の子に抱きついていた。


「姉御ー」


 姉御と呼ばれた少女は、ロングスカートのセーラー服を着ていた。髪の毛は引っ詰められて後ろで束ねられている。高校生くらいだろうか。化粧が濃くてまるで昔の——


「驚いたろ。彼女は近所のスケバンなのさ」


 スケバンという言葉に懐かしさを感じた。未だにそんなものが存在するということ自体驚かされた。


「ここはびっくり箱の中か何か?」


 俺は優男に尋ねた。彼は笑っただけで肯定も否定もしなかった。


「びっくり箱? はは、面白い発想だなあ」


「おい、てめえ誰だ?」


 スケバンが妙な巻き舌口調で言った。凄んでいるようだが、エプロン姿に、手には焼き鮭を持っているせいで恐ろしさは半減された。


 エンジェルは彼女になついているようだ。ひょっとしたら、彼女の不自然な口の悪さはスケバンの影響なのでは無いか。


「俺は……」


 何者なのだろうか。俺が聞きたいくらいだ。顔の感触を確かめるように、頬を撫でてみる。脂が手について、テカテカした。わかるのは、自分が生きている人間のようだということだ。


「新しい仲間だよ姉御」


 なかなか答えない俺に代わってエンジェルが答えた。先程までとは打って変わって、可愛らしい女の子に見える。元々が可愛いだけに、そう見えるのかも知れない。しかし、表情は乏しい。その点が、どこかで見たことがあるような気がした。この子と、以前どこかであっているのだろうか。思い出せない。こんな小さな友人がいた覚えも無いので、気のせいだろう。


「仲間だあ? てめえ、あたしの可愛い妹分に何かしたら承知しないよ」


 スケバンが俺の襟をねじり上げる。優男に助けを求めたが、彼はにこにこしているだけだった。


 むっとする香水の香りが、俺の鼻腔をついた。彼女は急に興味を無くしたのか、俺を突き放した。台所に立つと髪の毛を束ね直し、腕まくりをした。綺麗な髪なのに、あんなに無造作に束ねてしまうことに驚いた。女って奴は、少しでも自分の美しさが低下することを嫌うものだと思っていた。よく見ると、爪も綺麗にそろえられており、昨今のおどろおどろしい様相では無かった。彼女の後ろ姿を見ていると、何故か母親を思い出す。彼女とは孫ほども年齢が離れているはずなのに、思い出さずにはいられなかった。ほんの少しの間、彼女の後ろ姿に見とれた。


「姉御のご飯!」


 エンジェルは歌うように彼女の回りをぐるぐる回っている。それは姉妹と言うよりは、まるで飼い主と飼い犬のように見える。


「あんたも手伝いな」


 スケバンがぴしゃりと言い放つと、エンジェルは飛び上がるようにして、鍋に向かった。何かを作りかけていたらしい。味噌汁だろうか。


 やがて、旅館の朝食のような立派な和食が食卓に並んだ。驚いたことに、俺や老人の分まで並んでいた。


「君は食べないの?」


 スケバンは台所に寄りかかって煙草を吹かし始めた。


「あたしは食べてきた」


「姉御はダイエットしてんだよね」


 いたずらっぽくエンジェルが言う。スケバンが彼女の尻を蹴った。


 エンジェルが作ったのはジャガイモのスープだった。よく見ると変な形のタマネギも浮いている。


「おい、勝手に食い始めるな」


 スープをすすろうとした老人に、スケバンが叫んだ。スケバンはゆっくり全員を見回す。


「おい、あんた名前は?」


「鈴村」


「下の名前」


 俺は答えなかった。こんな年下の女の子に名前を呼ばれたくない。


「まあいいや。あんたは?」


 老人に向かって尋ねる。しかし、老人は入れ歯を忘れてきたらしく、ちゃんと喋れないようだった。


「ああ、もう良いよ。あんたら、良い年して駄目な大人だね」


 言うと、スケバンは両手を組み合わせ、祈るような姿勢を取った。目を閉じ、何事がつぶやき始める。見ると、エンジェルも優男もそうしていた。彼女らが目をつぶったのを良いことに、老人がスープをすすった。


「エンジェル、高梨、豚、鈴村、じじい、今日の恵みに感謝しろ」


 優男は高梨という名前らしい。どう見ても、豚というのはあの運転手のことだろう。酷いあだ名だ。彼女は老人がすでに食べ始めているのを見てため息をついたが、何も言わなかった。


 ジャガイモのスープは、見た目こそイマイチだったが不味くは無かった。それどころか、期待していなかった分美味しく感じた。


「これうまいな」


 そういうと、エンジェルは一瞬笑顔を見せたが、すぐに向こうを向いてしまった。


 豚は本当に豚みたいな食べ方だった。茶碗でも何でも顔を突っ込んで食べるので、スケバンが嫌な顔をした。


「美々、そろそろ時間じゃ無いか?」


 高梨が言った。一瞬誰のことかと思ったが、高梨が見ている方向から、スケバンの名前だと言うことに気付いた。見た目に比べて名前が可愛らしすぎて笑いそうになった。もし笑ったら骨の一本は覚悟せねばならないだろう。


 彼女は左手首につけた、ピンクの小さな腕時計を見ると舌打ちした。


「お前らがしょうも無いことしてるから、余計な時間食っちまったよ」


 美々は薄い鞄を手に取ると、台所を出て行こうとしたが、急に振り返った。


「おい、鈴村。エンジェルに何かしたらただじゃ済まさないからな」


 本気の顔だった。俺は子供に名前を呼び捨てにされたことを怒ることも出来ず、頷いた。彼女は不機嫌そうに足音を荒げて出て行った。


「どうだい。彼女の料理は」


 高梨が俺の方を見て微笑む。男の俺ですらドキッとするような爽やかな笑みだ。


「それで、どうして自殺なんて考えたんだい?」


 思わず吹き出しそうになった。食事をしながら初対面の相手に聞かれるような質問ではない。


「どうして」


「だって、あのときの主催者はエンジェルだよ」


 楽しそうに言う彼は、一体年はいくつで、仕事は何をしているのだろうか。彼らには謎が多すぎる。


 やはりあのときの少年がエンジェルだった……車の運転に慣れていないような風だったのも、納得できた。彼女はまだ免許を取れる年齢じゃないはずだ。


 俺は先ほど彼女が言った言葉がずっと気になっていた。


「才能って、何のことだ?」


 呟くような俺の質問に、場の空気が張り詰めた気がした。


「知りたいかい?」


 俺は頷く。


「だから、さっきやっとけば良かったんだ」


 エンジェルが抗議の目を向ける。


「でもねえ……」


 高梨の歯切れが悪い。


「それで何人無駄に殺してきたと思ってるの」


「それは……でも今回は大丈夫!」


 俺は二人の会話が、どこか異次元でされているような気がしていた。殺すとか殺さないとか、普段生活していて聞くことの出来ない言葉である。それが今、自分に向けられているなんて信じられない。先程の気迫を見ても、まだ何かの冗談ではないかと思う。


 ソッと椅子から立ち上がる。高梨がチラと俺を見た。


「わかった。じゃあちょっとこっちに来てくれる?」


 言うと彼は立ち上がった。エンジェルが表情を明るくして彼の後ろに続く。


「ちょ、ちょっと待ってください。何をするつもりですか」


 声が裏返ってしまっていた。先程の会話を聞いた後、ノコノコと彼らの後に続くわけには行かない。


「うーん」


 高梨は困ったような顔を向ける。エンジェルは指の間接を鳴らし始めた。


「説明するのは面倒なんだよねえ。実際、体験してみればわかることだし」


「だーかーらー今ここで殺せば良いんだよ」


「だって、ここでやったら台所が汚れるだろ」


 冗談を言っている雰囲気ではなかった。こんな非常識な会話をどうして堂々と出来るのだろう。背筋が凍るように寒くなった。


 逃げよう。


 俺は玄関に向かって走った。後ろでエンジェルが何か叫んでいる。頭に衝撃が走ったと思った瞬間、俺の体は吹き飛ばされていた。


 続いて轟音。


 最後に見たのは、高梨が俺に向かって銃を構えている姿だった。

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