出席番号4番 神谷

俺は、4番の神谷。


成績は、自分で言うのもなんだが優秀だ。大体の内容は理解できるし、テストもみんなが難しいという問題もある程度は解ける。塾も通って、課題も120%でやってる。運動もそこそこできるし、弓道部でも県大会に出場したことがある。


そんな俺は、津田が羨ましい。


俺の親父は地元では有名な病院に勤める医者で、おふくろは中学校教師をやっている。8個上の兄貴は親父と同じ病院に就職して、5個上の姉貴は今大学で法学を学んでる。俗に言うエリート家系なんだ。上2人と同じ、いやそれ以上の結果を求められる。成績優秀は当たり前、全国模試も偏差値と順位だけ見られる。俺は、数字でしか評価してもらえない。「頑張ったな」って褒められたことないんだ。褒められるとしても、「次もちゃんとしろよ」くらいだ。俺が夜中まで勉強したことも、課題だけじゃなくて市販の問題集に取り組んでいることも、塾の自習室にこもっていることも、過程に目を向けられたことないんだよ。最後に出した数字だけ。でも、その結果が不調だったら、家の中の居場所が失くなる。俺だって家族旅行を満喫したかった。笑って食卓に着きたかった。学校で楽しかったことの話だってしたい。でも学歴至上主義のこの箱じゃ、そんな娯楽は許されない。良い成績が求められるだけで、その中身が俺である必要は無い。

津田はひとりっ子だ。「うちのお父さんはおじさんだから!」と話しているのを聞いたから、恐らく遅くに授かった子なのだろう。少し遠くの家から高校に通っていることもあって、毎日母親の送り迎えだそうだ。隣の席になったことがあるから分かるが、成績はちょうど平均くらいで良くも悪くもない。津田は小学校から同じで、毎年夏休み、冬休みは家族で旅行をして、そのおみやげをクラスの皆に配っている。愛されてるな、と思う。いつもツヤツヤの髪で、靴下も毎日綺麗で、手塩に掛けられた娘だ。津田本人は、そんな両親のことを少し過保護だと言っていたが、俺はそうは思わない。充分愛されてるじゃないか。それが不満なんて贅沢な悩みだ。俺が津田の家の子どもだったら多少わがまま言っても許されるだろうに。

環境のせいにするのは甘え、だと言う人がいるが、俺は絶対に違うと思う。世間から見たら高学歴に高収入の両親の元に生まれて、まあ確かに金銭面で劣ってると感じたことは無いし、塾にも通わせてもらってるから、幸せに見えるだろう。周りから見たらいいとこのお坊ちゃんなんだろうな。でも俺は、普通の家に生まれたかった。俺は、平均より少し上で生きて褒められる生活がしたかった。成績だけじゃなくて、「俺」を見てくれる親が良かった。


だから、だから、俺は津田が羨ましい。















「親ガチャ」という言葉があります。では、どんな親なら「当たり」なのでしょうか。裕福な家、優しい家、面白い家、、。本当にそれは子どもにとっての良い親なのでしょうか。結局のところ、自分の親に無かったものを求め、それを持ち合わせる人間を「当たり」だと呼んでいると私は考えます。客観に見えて、主観で当たりが決まってしまうガチャ、恐ろしいですね。

テストで毎回良い成績を取るクラスメイトがいました。少し手を付けただけで解ける人もいれば、寝る間を惜しんで勉強をしている人もいます。私は、勉強には本人の意思が必要だと考えています。やりたくない勉強をしても意味がない。何のために勉強をするのか、考えてみてください。「親に怒られたくない」から勉強をしていた時期があったのではないでしょうか。何のために、「誰」のために学ぶのか。私自身も問い続けています。

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