第7話 導べの記憶
「村松優香ですか?」
「ああ、清水が思い出した恩人の名前がユウカだそうだ」
「しかし彼女のアリバイは固いですよ」
「分かってる。俺もそれを崩せるとは思っていない。だけどようやく見えた繋がりだ、辿らない理由がない」
山本と林はすぐに村松の元へ向かった。村松は事情聴取に素直に応じ、部屋の中に二人を招き入れた。そして単刀直入に山本が聞いた。
「清水湊をご存知ですか?」
「清水…?」
村松はまったく思い当たる様子がない。そこで林が清水の顔写真を見せた。すると村松は顔色をぴくりと変えた。
「知っていますね?」
「…確かに知っています。ですが清水湊という名前は知りません」
「どういう意味ですか?」
「私は彼の事をコウ君と呼んでいました。彼がそう名乗ったからです」
それから村松はその事情について話を始めた。
ボロボロの状態だった清水を偶然見つけて保護した村松は、ただごとではないと警察に通報しようとした。
しかしそれを清水が拒否した。ポケットに残った数千円を出して土下座をし、頼むから警察には言わないでくれと村松に言った。
その時事情が分からなかった村松は、悩んだ末清水が回復するまで面倒を見る事を決めた。その際清水が名乗った名前がコウだった。
村松は清水と生活していく内に、清水が抱えていた事情を少しずつ聞き出していった。清水も本名こそ明かさないものの、村松に段々と心を開いていって二人の間には信頼関係が生まれた。
「決めたんです。私は絶対に君の本当の名前を聞かないって。私が知っているのはコウ君だからって。そう伝えると彼は嬉しそうに笑った。それから私の中では彼はコウ君なんです」
「そうですか。しかし危ない真似をしましたね」
「犯罪でしょ?分かってますよ。でもあの時の彼を助ける事の出来なかった人達に何を言われてもなんとも思いません。私は間違った事はしてないと自信を持って言えます」
「それでも…」
林がそう言いかけた時村松は少し強い口調になった。
「子供が消えたのに探しもしない親は罪人ではないんですか?家庭内暴力に育児放棄、そして周りの誰も彼を助けなかった。コウ君の望みを聞かなかった。それを叶える事で私が捕まるならそれでいいです。今すぐ捕まえて裁きにかけてください」
その剣幕に林は押されて言葉を飲んだ。山本は間に入って言った。
「落ち着いてください。我々は今日それを咎める為に来た訳ではない。話を逸して申し訳ありませんでした」
「…すみません。こちらも少し興奮してしまいました」
村松の熱意は本物だった。互いを思う信頼関係は確かなものだと山本も林もしっかりと感じた。
村松はその後、清水の面倒を見ながら色々な事を教えた。仕事や金、生活に必要な知識、一人で生きていくのに十分な知識と経験を授けた。
自分が夜の仕事をずっとしていた事もあって、訳ありの人を雇ってくれるコネがあった。清水の仕事の世話まで村松が行った。
「せめて地獄に戻る必要がないようにしてあげたかったんです。私がコウ君を助けた理由はそれだけの事です。コウ君は自分で稼いだお金を使って自分の生活を始めた。その時に縁は切ったものと考えています」
「では清水とはそれきりという事ですか?」
「いえ、何かあった時の為にと連絡先の交換はしました。それからも何度か近況報告をしてくれて、元気だと分かると嬉しかった」
清水は村松の連絡先を知っている、そして村松もまたしかりであった。この情報で山本と林の疑いは一気に村松へと傾いた。
しかし傾いた所で村松のアリバイは固かった。犯行時刻にはスナックで働いていて、スタッフと客が証人だった。繁盛している店で客が次々に来た。素面の客も村松の姿を目撃しているし、会話もしている。
そして村松が店を出たという事実はなかった。実行犯として見るにはあまりにも無理があった。村松に秋月を時刻通り殺害する事は不可能だ。
「…そうですか。ありがとうございます。聞きたいことは聞けました」
山本達が立ち去ろうとすると、村松がそれを止めた。
「ちょっと待ってください。どうしてコウ君の事を聞きに来たんですか?英雄と何か関係があるんですか?」
村松が訝しんでいるのは秋月英雄の殺人事件と清水の関係だった。秋月が殺害されて、顔写真付きで清水の事を確認しにきた刑事となれば、それを疑うなというのが無理な話だ。
「すみませんが、捜査中の事は話せませんので」
「聞くだけ聞いておいてですか?」
「それが仕事ですから」
山本の言い分に村松はため息をついた。忌避感をむき出しにして、早く帰れと態度と雰囲気で物語った。
嫌われるのも仕事の内だと山本はそれを受け入れていた。林はまだ経験が浅く村松の態度に戸惑っていたが、山本の「行くぞ」の一言で落ち着きを取り戻した。
そうして部屋を出る前に、林は隅の方にある大きなキャリーバッグに気がついた。
「ご旅行ですか?」
「え?」
「いえ、随分大きなキャリーバッグだなと」
林にそう指摘されて村松は答えた。
「私がこの辺りに住んでいたのも、そもそも英雄と一緒にいるのだけが目的でしたから。事件が解決するか落ち着いたら地元に帰ります。その準備ですよ」
「そうでしたか」
「もういいですか?」
「はい。失礼しました」
山本と林は村松の部屋を出た。村松は相当気分を害されたのか見送りにも来なかった。車に乗り込むと山本が話を切り出した。
「どうにも臭うな」
「ええ、同感です」
「村松の張り込みに人を増やすか、何か行動に出るかもしれん」
「すぐに手配します」
刑事二人は村松に清水の情報を持ち込んだ時から、説明のつかない怪しさを感じていた。何かを隠している、そう感じた。ただの勘ではあったが自信があった。
山本は坂本に連絡を取って、村松の知る清水の情報をすべて教えた。記憶を大きく刺激する筈だと山本は確信していた。
清水は坂本から聞かされる話を黙って聞いていた。最初から最後までずっと黙って聞いていた。
話を聞き終えた清水は坂本に一つ提案した。
「今日はここに泊まれませんか?」
「それは…」
「もっと監視を厳重にしてもいいです。僕に信用がないのは分かっています。だけど今日ここに来て沢山の記憶を取り戻しました。ここで生活する事は日常への回帰の最たるものではないですか?」
清水の提案について議論された結果、監視を増やし体勢を強化するという条件で許可された。坂本も帯同する事が厳命された。
「ご迷惑おかけします先生」
「いえこれも仕事ですから。それに清水さんの言っている事は尤もです。ここであなたは暮らし生きてきた。狭い取調室や留置施設よりよほど精神にいいです」
坂本の言葉を聞いて清水はふっと笑った。そして頭を深々と下げて礼を述べると、部屋のベッドに身を投げ出した。
適度に固く心地のいい柔らかな寝具に身を包まれて、清水は偽りの血塗れ以来の熟睡に落ちるのだった。
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