第6話 手がかりの記憶

 清水湊は個人投資家だった。それも成功を収めている投資家だ。


 清水を追いかけていくと様々な事が判明していった。家を出る切っ掛けとなった家庭崩壊。清水の実父は有名企業の重役の息子の一人だったが、家の金ばかりを当てにして自分は酒をやめられない中毒患者だった。


 体裁を保つ為の婚姻はしたものの、金だけはある中毒患者の生活は破綻していた。常に酒を飲み暴れて妻に暴言と暴力を働いた。長男の清水もその対象だった。


 耐えかねた清水は家を飛び出した。宛のない家出、しかしその環境から抜け出す事こそが清水にとっての救いだった。


 清水が家を出たのは中学を卒業した後、高校受験を失敗し中学浪人となると、家を出る。これは清水の計画だった。


 受験に失敗した清水は父親に激しく叱責された。ただでさえ息子への興味関心の薄い父親は、点数稼ぎにもならない清水に更に興味を失う事となった。だから家出をしても父親は清水を探しもしなかった。


 そうして清水は捜索されない行方不明者となった。その後の足取りは中々はっきりとはしなかったが、通報されないように最大限の知恵を絞って生活の糧を得ていた。


 清水はその隠れ潜む生活の中、貯蓄した金を元に投資を始めた。運がよかったのか、それとも清水にその才能があったのか、投資によって清水は多額の金を得る事に成功した。


 地獄から抜け出し自らの手で人生を切り拓いた清水は、ようやく安寧の場所を手に入れたのだった。


「なんとも救いのない話だ」


 山本がそう言うと林が同意して頷いた。


「清水の目撃情報が少ないのは、人目につかないように生活していたからです。またあの地獄へと戻る事を恐れたのでしょう、個人投資家となってからはほぼ自宅にいながら生活が完結していたようです」

「交友関係が全然見当たらないのも頷ける。どこからどんな風に自分の情報が漏れるか分からないからな、最大限の警戒を払っていたんだろう」


 清水が本来救われるべき存在であった事に対して二人は同情を覚えた。しかしこの境遇は、秋月殺しの動機に繋がる。


 秋月と清水の父親は、家庭内暴力を働いているという点では非常に似通っていた。しかも秋月は、酒を飲み暴れる中毒患者の父親と違い、元から平気でそういう行動が取れる人間だった。より凶悪であると言えなくもない。


「清水は何かの切っ掛けで秋月の事を知り、昔の記憶が蘇って殺したのでしょうか?」

「その可能性はあるが。こんな事言いたくもないが、秋月のような暴力夫の例は他にも沢山ある。何故秋月を狙ったのかの理由が必要だ」

「もしかしたらそれは、清水の空白となった失踪期間の中に隠れているかもしれませんね」

「ああ。その間に秋月と関わりのある誰かと接触していた可能性がある。手がかりは少ないだろうが、清水の過去の足取りを探ろう」


 山本と林は清水の過去について探り始めた。




 山本達が手に入れた情報について、坂本は扱いに困っていた。これをそのまま伝えていいのかと悩んでいた。


 悩み抜いた結果坂本はこの情報を清水に伝えた。どんな記憶であっても清水の記憶だ、それを知る権利が彼にはあると坂本は考えた。


 しかし清水が混乱しないように細心の注意が払われた。ゆっくり一つ一つ丁寧に記憶を伝えられた清水は、それを聞いて顔をしかめて頭を悩ませた。


 清水はいくらその記憶を聞いても他人事のように聞こえていた。記憶のない自分と記憶のある自分、そのギャップが埋まらない。誰か別の人の人生を聞かされているようなものだった。


「どうかな清水さん。何か思い出せるかな?」

「分かりません。他の人の人生を聞いているみたいだ」

「そうだね、今記憶のない君にはそう聞こえるのかもしれない」


 坂本はあることを思いついた。山本に確認を取って許可を求める、その連絡が済むと坂本は清水に提案した。


「どうだい?一度清水さんの自宅に帰ってみないかい?」


 その提案は清水にとって想定外のものだった。


「そんな事していいんですか?」

「流石に監視をつけるって条件はあるけどね。でも今清水さんには自発的に協力してもらってるだけだから、状況証拠だけで清水さんを拘束してはおけないよ」

「でも僕、本当に何かをしていたのならここで捕まえてもらっていた方がいいと思うのですが…」

「清水さんがそう望むのならそうしましょう。でも今は記憶の回復も大切です。あなたが生活していた空間に行けば何か記憶を刺激するかもしれない」


 坂本は乗り気ではなかった清水を連れ出した。監視付きではあるものの清水は記憶を失って初めて自宅に戻る事が出来た。見上げるような豪華なタワーマンションで、ゴミ捨て場に居た自分と見比べると現実味がまったくないと清水は思った。


 しかしそれも入るまでの感覚であった。エントランスを通り、エレベーターに乗り込み、それが自分の部屋がある階に止まるという一連の動作は、自分がそれをやっていたかもしれないという記憶を呼び覚ました。


 記憶は取り戻せていないが、清水はそこが自分の部屋だという自覚があった。中に入るとそれがより確信的なものに変わった。


 殺風景な部屋だった。警察が調べた後という理由もあるが、それ以上に物がない部屋だった。清水は部屋の中に入ると坂本に言った。


「ここが自分の部屋だと言うのは分かります。物が置けなかった。お金があっても買いたい物がなかったんです」

「清水さんあなた記憶が?」

「全部じゃありません。だけど少しずつ思い出してきました。ここも不動産屋に勧められるがまま借りたんです」


 清水が思い出した記憶は断片的だったが確かに過去のものだった。見つからないように必死になって生きてきた。事情を問われない仕事を探し、住処を転々としていた事。その日を過ごすだけでも死にかけた事。そんな生活がすぐに上手くいかなくなったという事を思い出した。


「あまりに幼く後先考えない行動でした。それで破綻した。ボロボロになって生きていくのも困難になった」

「それは…。どうやって生活を立て直したんですか?」

「助けてくれた人がいたんです。名前は確か…、そう、ユウカさん。ユウカさんという女性が僕を助けてくれた」


 ユウカという名前が出てきた時坂本はどきりとした。そしてすぐに山本に連絡を取った。秋月の内縁の妻、名前は村松優香だ。

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