第3話 手繰り寄せる記憶
刑事の山本と林は、手分けして仮名ヤマダの目撃証言の聞き込みを行った。発見場所は勿論の事、その周辺からどんどんと範囲を広げていく。応援に駆けつけた人員も加わって捜査は進められた。
しかし有力な証言は中々得られなかった。ヤマダにはこれといった身体的特徴もなく、平均的な見た目をしていた。悪く言えば没個性的ともいえて、人目に付くような人物ではなかったのだ。
他者に対する関心は薄い、よほど派手な見た目や行動、迷惑や不快な思いをさせていないと記憶には残りにくい。世の中の大半の人物はそうだが、捜索にあたっては大きな障害になりうる。
防犯カメラの映像もあたって回ったが、ヤマダの姿が確認されるものはなく、山本は捜査に行き詰まりを覚え始めていた。
そんな山本の元に林からの連絡が入った。電話に出ると、林は興奮気味で山本に言った。
「山本さん見つけましたよ!事件前のヤマダの姿です!」
「でかした!すぐにそっちへ向かう」
林も興奮気味であったが、山本も同様であった。行き詰まり始めていた捜査の進展が見込める、どんよりとした空気を変えてくれると思っていた。
合流した山本は映像を見た。そこには確かにヤマダの姿が映っていた。ほんの数秒通り過ぎただけだが、それでもヤマダ本人の顔も確認出来た。
「この映像はいつのものだ?」
「ええと、事件発生前の10時頃ですね」
被害者の秋月の死亡推定時刻は深夜1時、ヤマダが目覚めたのが早朝4時を少し回った時間だった。その間のヤマダの足取りは追えていないが、犯行に及ぶだけの時間はあった。
しかしそうなるとますますあの血糊と玩具のナイフの意味が分からなくなる。そのような細工をする暇があるのなら、被害者の遺体をどうにかするか、自分の犯行につかった証拠品を破棄するなどの行動が合理的に思える。
秋月の遺体はそのままであった。犯行に使われたナイフも現場に残されたままであり、何かを隠そうとする意図がある物を除いて見受けられなかった。
何故免許証だけを抜き取って盗んだのか、その意味がさっぱり分からなかった。ヤマダに対する謎はますます深まるばかりだった。
「うん?」
「どうしました山本さん?」
山本は映像の中のヤマダを指さした。
「ヤマダが見つかった時と着ている服が違うな」
「確かにそうですね。あの時の寝間着のような格好ではなく、もっとしっかりとした格好をしていますね」
「犯行に及んだ後服は捨てたって事か?」
「もしそうなら重要な証拠品になりますが…」
林が言いよどむ。山本はその意図をちゃんと理解していた。
「見つかった時の状態に合理性がないんだろ?」
「態々着替えた服を血糊で汚す意味がないでしょう。玩具のナイフもそうですが、ヤマダの行動には意図の分からない事が多すぎます」
山本は大きく頷いた。そしてその問題を解決する為に必要なのは、ヤマダの記憶にしかない。
「今は兎に角ヤマダの足取りを追うことにしよう。ここで見つかったのなら、周辺のカメラにも映っている可能性がある」
「ええすぐに聞いてきます」
林が飛び出していくのを見送り山本は考えていた。ヤマダは防犯カメラ等を意識した行動を取っていない、顔がはっきりと映っていたからだ。
この事件の犯人は、その行動こそ衝動的に見えるがとても冷静に行動している。現場に指紋や毛髪の類い等の小さな手がかりは一切残していないし、部屋に押し入った様子も見られない事から、何らかの手段を予め用意して部屋に入った事になる。
山本は秋月の殺害は綿密な計画の元に行われたものであると考えていた。だから態々証拠を残すようなヤマダの行動は、その理性的な行動と矛盾する。これだけの判断材料で大きく何かが変わる訳ではないが、ヤマダが犯人だと考えるのは無理があると思った。
しかしヤマダ以外の被疑者を洗い出しているが、それらしい人は固まっていなかった。
真っ先に疑いをかけた発見者であり内縁の妻の村松優香は、推定される犯行時刻と死亡時刻にはまだスナックで働いていた。客やスタッフが複数人が証人で、アリバイはきっちりと裏が取れている。
秋月の家庭内暴力が原因で酷い離婚を経験した元妻。間には子供もいて養育費を支払う必要があるのだが、秋月は用意する気もなかった。強い恨みを抱いていてもおかしくはないが、遠く離れた実家へと帰っていて距離の問題があった。
アリバイもはっきりとしている上、元妻はシングルマザーで苦労をしながら、それでも子供の世話を立派に行い、不自由をさせないように奮闘していた。現在の生活と子供を捨てて、ろくでなしの元旦那を怨恨だけを理由に殺害するとは考えにくい、山本はそう感じていた。
秋月を殺害してもおかしくはない人は多くいた。しかし死の直前の秋月は、どれだけ調べてもはた迷惑な小悪党程度の存在で、あそこまで大きな恨みを持たれるような人物には山本には思えなかった。それは捜査にあたっている他の刑事達も同様の考えを抱いていた。
もし秋月が殺される事があったのなら、それはもっと前に起きていただろう。このタイミングで起きた殺人事件というのは不可解だった。
またしても山本に林から連絡が入った。またヤマダが映ったカメラ映像が見つかったという報告だった。すぐに行くと山本は伝えると電話を切って、ある映像を坂本へと送った。
「これが恐らく記憶を失う前の君だ。どうかな?見て何か気がつく事はある?」
坂本は山本から送られてきた映像データをヤマダに見せた。記憶を取り戻す切っ掛けにならないかと山本からの提案だった。
ヤマダはそれを実に興味深そうに見た。坂本はヤマダの様子を注意深く観察しながら映像を何度も再生した。急に記憶が元に戻った時、ヤマダが精神に不調をきたしてはならないと心配していた。
「何だろう…上手く言えないのですが、何か思い出しそうです」
「あまり無理はしないように、ゆっくりですよ」
「ええ…」
ヤマダが頭を抱えたので坂本は止めに入ろうとした。しかしその手を止めて坂本は成り行きを見守る、懸命に自分の記憶を探る姿に真剣さを見たからだった。
「あっ!」
「どうかしましたか?」
声を上げたヤマダに、坂本はすぐさま寄り添った。
「はっきりとはしないのですが、何か約束があったような…。何か大切な…」
「ちょっと落ち着きましょうか、ゆっくり深呼吸して。そうです。まず落ち着きましょうね」
ヤマダの呼吸が荒くなってきたのを見て、すぐさま坂本は過呼吸の兆候を見てヤマダを落ち着けた。ゆっくりと呼吸をさせ、気持ちの高ぶりはヤマダの精神状態にも記憶の回復にもいいことではなかった。
「ありがとうございます。落ち着きました」
「どういたしまして。それで、何を思い出しましたか?」
「内容は分からないのですが、大切な約束をしていたと思います。誰と何をとかは分からないのですが…」
大切な約束、坂本はそれを聞いて大きく前進したと感じた。どんな内容なのか中身が分からなくとも、ヤマダが目的を持ってそこにいたという事実は重要極まりない。
しかしまだまだ謎は多い、前進は前進でもヤマダには前途多難であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます