第一章 被災 2.不安 --1時間経過--

 やっと民家が増えてきた。人影は見えない。来るときも歩行者はほとんどいなかったからな。それは良いとして、近くの家で電話を借りるべきだろうか。

 なんだか怖い。ここは素通りして警察署に向かおう。

 街中に入っていくと久しぶりに交通信号があった。青信号なのに前方の車が止まっている。よく見ると横から来た車と衝突している。しかも多重だ!


「こんな交通量の少ない土地で多重衝突なんて!」


 だが、こんな事態なのに人が集まっていない。警察も消防も来ていない。なんで?

 こんな時はバイクを降りてケガ人の救助をしなければならないはずだ。でも...なんだかとても不安だ。

 罪悪感に襲われるものの、その場を離れて警察署に向かうことにした。そうだ、けが人は複数いる。上の農家や軽トラのおじいさんのところにも助けを呼ばなければならない。俺1人じゃ何もできない。とにかく助けを呼ぶんだ。ちょっと言い訳っぽいけど仕方が無いじゃないか。


 ようやく警察署に着いた。ほかにも2件交通事故を目撃した。もう、何を通報したら良いのかもよくわからない。

 バイクを降りて、ハンドルからスマホを取り外して正面入り口に向かうと、そこには警官が倒れていた。絶望的な気持ちになったが気力を振り絞って署内に入ってみる。やはりそこかしこで警官や市民が倒れていた。机に突っ伏している人はマシな方だ。中には階段から転げ落ちたような人もいる。


「もしもし。聞こえますか?」


 俺は1人の男性警官を強く揺さぶってみた。反応がない。


「失礼します」


 断ってから頬を軽くビンタしてみた。全く反応がない。きっと他の人も同じだろう。

 俺はしばらくその場で呆然としていたが、深呼吸して冷静を取り戻すと近くにあったベンチに腰掛けて考えた。この異常事態は一体どれほどの範囲に及んでいるのだろうか?

 スマホを取り出してSNSをチェックしてみた。この1時間ほど、新しい発信が全然ない。

 友人に電話をかけてみた。普通なら仕事中のはずだが、出てくれない。念のためメールも送っておく。

 ラジオはどうだ? アプリを起動してみた。生放送と思われる番組は全く無音だ。そうだ、このアプリはバグが多い。またコケているのかもしれない。ところが局を変えてみると、録音済みと思われる番組が聞こえてきた。

 スマホから目を離してあたりを見渡すと、無音でテレビがついていた。よく見ると生放送と思われる午後の情報番組だ。だが、様子がおかしい。近づいて見てみると、テーブルに突っ伏した出演者がずっと映っていた。リモコンがどこにあるかわからないので本体側面の操作ボタンでボリュームを上げたが無音だ。チャンネルを切り替えてみた。CMは普通に流れている。再放送ドラマも正常だ。久しぶりに人の声を聞いた気がした。


「ネットもテレビもシステムは生きている。でも人が操作していないんだ」


 このテレビ番組、東京がキー局だよな。ということは、ここ、山梨から東京都心にまで異常が起きているってことか?

 これはもう俺の手に負える事態じゃない。意識を失っている人はもちろん、怪我をしてすぐに治療が必要そうな人も助けることはできそうにない。諦めるしかないな。ここまで人を助けしようと努力したんだ。罪に問われるようなことはないだろう。


「よし、家に帰ろう!」


 俺は一刻も早くこの事態から逃げ出したかった。

 スマホを取り出してナビアプリを起動する。『自宅に帰る』ボタンを押すとすぐにルート検索してくれる。するとどうだろう、どこもかしこも渋滞マークだらけじゃないか。


「そうか、あっちこっちで事故が起きて車が動かないから、VICSが渋滞と判断してるんだ」


 アプリを操作して渋滞を回避する設定にした。すると国道を避けて県道で思いっきり遠回りするルートが出てきた。よく見ると陣馬山の山頂近くを通っている。


「バイクで通れるのか?」


 目線ビューに切り替えて峠の頂上付近を確認すると車が映っている。道路標識もある。なるほど、これなら通れそうだ。

 警察署内のトイレですっきりして、自動販売機で飲み物を仕入れる。準備は万端だ。俺はバイクを発進させた。


 ナビアプリの情報を信じると国道は事故だらけのようだ。だが念のため確認してみよう。どうせ迂回路に行くためにも国道を横断しなければならない。

 国道近くまで行くと道を塞いでいる車が増えてきた。カーブを曲がりきれずに畑に落っこちている車、はみ出して対向車とぶつかっている車、信号待ちの車に突っ込んだ車。免許更新の時にくれる教本の事故例が全部目の前にある。

 車の中の人を見ないようにしてなんとか避けて通る。完全に車道が塞がれているときは歩道を走ったり、引き返して別の道を通る。このあたりはまだ交通量が少ないところだが、100mも走ると事故がある。避けるのも大変だ。


「この調子だと長いトンネルは避けた方が良いな。やっぱり中央道と国道20号は避けてナビに従おう」


 県道は交通量が少なかった。あちこちで事故が起きていたが、ほとんどがカーブで単独事故だ。簡単に横をすり抜けることができた。ただし、山道には慣れていないのであまりスピードは出せない。それに、ブラインドコーナーの先に事故車がいるかもしれない。心配なのでどうしても徐行になる。




 ようやく都県境の峠にたどり着いた。見晴らしが良いので休憩しよう。

 ところでだ。俺が鍾乳洞の中にいるときに異変が起きたとすると、あれから4時間が経過している。


「東京はどうなっているんだろう?」


 峠から東を見るといくつか黒い煙が上がっていた。火災だ。激しく燃えていそうなところもある。

 飛行機が落ちたのかもしれない。右手に山があって南側はよく見えないが、羽田の隣は石油コンビナートだ。あんなところに飛行機が落ちたらとんでもない被害が出ているだろうな。

 俺の家は多摩ニュータウンだ。多少渋滞していてもここから2時間ぐらいで帰れるはずだ。普段なら。だが、この調子だと日没には間に合いそうもないな。


 東京に入ると多少道の舗装が良くなる。麓に降りていくと自動車が増えてくるが、まだ単独事故だからすり抜けられる。

 住宅が増えてくると多重衝突事故が増えてきた。完全に道が塞がれているところもあるが、ナビアプリの地図を拡大して住宅街の中を迂回することができた。

 さらに進むとどこもかしこも事故だらけだが、歩道がしっかりしてくる。ノロノロと歩道を走り、時々停まって人や自転車にどいてもらう。一応、倒れている人に配慮しているつもりだが、どかすだけで助けるわじゃない。自責の念に駆られてしまう。


 ガソリンが減ってきたのでセルフスタンドに立ち寄った。電子マネーで決済すると普通に給油できた。やっぱりシステムは生きているんだ。

 鉄道の踏切に来ると遮断機が下りてカンカン鳴っている。バイクを降りて線路に近づいて左右を見ると、遠くに電車が止まっていた。もう薄暗いのでよく見えないが、どうやら脱線しているようだ。速度超過でカーブに入ったのかな? 考えたくもない。

 遮断棒を押し上げて、警報の鳴り続ける踏切を通過した。

 火災現場の近くも通った。既に燃え尽きた家がある。おそらくここが火元なんだろう。今は近隣住宅に延焼しているところのようだ。今日は風はほとんどない。この一角が燃え尽きて、他の区画にまで燃え移らないことを祈るばかりだ。


 自宅の団地に近づいたときにはすっかり暗くなっていた。だがよく知っている街並みだし、街灯が灯っているので不安感は薄い。ちょっとホッとした。

 近所のコンビニに行って食料を調達する。名前は知らないが見知った顔の店員さんやお客さんが倒れている。さすがに見過ごせないので姿勢を直してあげた。

 消費期限を確認して弁当とカップ麺と飲み物、それに明日の朝飯をカゴに入れてセルフレジにいく。

 電子マネーで決済したら電子レンジをつかって弁当を温める。

 ふと気になってカウンターの中を覗いてみると、なんとフライヤーに火が入ったままだ!

 そりゃそうだよな。多分、普通に営業していて突然気を失ったんだ。火を消す余裕なんてないだろう。俺が消してあげなければ。ここが火事になったら俺の部屋も危ないしな。


 団地はほとんどの部屋で明かりが点いていなかった。最近は空室が多いし、住人はお年寄りが多い。

 おじいちゃん、おばあちゃんとか、一日中部屋にいる人達は、電気代節約で昼間は照明を使わない人が多い。多分、テレビだけが点いているんだろうな。そのテレビも無操作タイマーで電源切れてるかもな。

 安否確認するべきなのかもしれないが、もう疲れた。誰も居ないことにしよう。


 部屋に戻って弁当を食い、さっさとシャワーを浴びて寝ることにした。これが夢だったら良いな。

 そうだ! 夢ってことにしよう。明日目が覚めたらいつもと同じつまらない日常がやって来るんだ。そういうことにしよう。もう何も考えたくないから。

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