第一章 被災 3.丘の上 --2日目--

 疲労とストレス反応のせいだろうか、目覚めたら昼近くになっていた。昨日のことが夢であってほしい。

 窓を開けて外を見る。静かだ。車が走る騒音も聞こえない。野鳥の声も聞こえない。風と樹木が揺れる音だけだ。

 蝉の声も聞こえない…… って、あれは外国人に食われて減ったんだっけ?

 空を見上げる。鳥も飛んでいなければ、多摩では日常的によく見かける自衛隊のヘリも米軍機も飛んでいない。エンジン音も聞こえない。


「こういう事態だったら上空はヘリだらけのはずだろう!」


 妙な怒りが込み上げてきたがどうしようもない。

 スマホを取り出して見る。昨日送ったメールの返信も来ていない。SNSの着信どころか、どこを見ても人の発言は更新されていない。ただ、事前に作られていたと思われるメルマガと広告だけが定期的にぶっ込まれてくるだけだ。

 テレビを点けてみる。CMは流れているが、生放送本編になると『お待ちください』の表示が出る。やはり自動化されている部分だけが動いている感じだ。


 一応職場に電話してみる。案の定、応答がない。ちょっとホッとしたのはどうしてかな。

 派遣元の営業担当にメールを送っておく。『私は無事です。就労可能なので派遣先と調整がついたら連絡ください』

 そういえば安否確認システムからメールが来ていないな。サービスのサイトにアクセスしてみる。通常通り、操作方法の案内が表示されるだけだ。


「これだけの事態になっているのに災害と認定する人がいないんだな」


 昨夜コンビニで仕入れた缶コーヒーとパンでブランチを取りながら考える。

 病気じゃないよな。病気だったら一瞬で広範囲に影響が出るはずがない。

 戦争か、他国からの攻撃だろうか? 中性子爆弾とかなら破壊は局所的で、広範囲の生き物を殺せる。しかし、どこを攻撃した? 都心か? 広範囲と言っても東京から山梨まで被害が及ぶか? 規模が大き過ぎるだろう。

 大体、俺だけ何で助かった? 鍾乳洞の中だったから? そうだとしても、中性子爆弾とかなら爆心から見て山陰のところは被害が小さいはずだ。陣馬山の向こう側とか…… だけど、ここに帰ってくるまで意識のある人は1人もいなかった。動物もだ。

 上空から広範囲に毒物を撒いたのかもしれない。専守防衛だからな。直接攻撃でなければ何を散布されても見ているだけだろうな。だけど、鍾乳洞にいたのは高々30分だ。その間に毒物が撒かれてあっという間に効果がなくなるって、違和感あるな。毒物の影響が広がる前にネットが大騒ぎするはずだがその形跡もない。毒物でもないか。


 原因は簡単にはわかりそうにないな。まず、被害範囲を確認する必要があるよな。関西とか北海道とか、行政が機能しているなら助けを求めたい。

 戦争だとしたら、降伏して敵に保護を求めるべきか? 日本を攻撃する国って、あそこか、あれか、そっちだよな。どこに行っても奴隷にされそうだ。それどころか今回の攻撃で無害だったってことで研究対象にされて切り刻まれるかもしれない…… 逃げよう。

 そうだ! 外国のニュースサイトを見てみよう。

 スマホで外国の有名なニュースサイトを検索してみる。英語のサイトはどこも昨日から更新されていない。中国語も。ロシア語すら。


「まさか地球で俺だけ?」


 じゃ、逆に考えよう。生き残っているというか、意識を保っている人が他にいるとしたらどんな人だろうか?

 この事態が意図的に起こされたとすると、犯人は被害を受けていないだろうな。自殺行為とかミスしていなければ。

 事故の可能性もある。その場合は当事者含めて全員意識がないかも。


 だけど、俺に意識があるのはなぜか? 特異体質とかかな。あ、おじさんに電話してみよう。遺伝的な理由だったら数少ない血縁のおじさんには意識があるかもしれない…… やっぱり電話に出てくれない。念のためメールしておこう。


 鍾乳洞にいたことが助かった理由だとしたら、鉱山とか、潜水艦とか、地下要塞とかには人がいそうだな。自衛隊なら保護してくれるかもしれない。米軍はどうだろう。人によって対応が違う気がするな。横須賀に行ってみるか。その前に防衛省と首相官邸の地下施設に行ってみるべきか。

 とはいえ、都心や横浜方面の道路は滅茶苦茶だろうな。電車なら都心は1時間足らず、横須賀も2時間かからずに行けるけど、障害物を避けながらのバイク移動…… 歩いた方が早いかも。1日じゃたどり着かないかも。


 生きている人を手軽に探すには、やっぱり電波か。

 金がなくて開局しなかったが四級アマチュア無線の従事者免許はある。丘の上にデッカい八木アンテナが載っかったタワーが建ってる金持ちそうな家がある。あそこに行って無線機を借用しよう。

 あと、ISSに宇宙飛行士がいるかもしれない。たしか、ISSからアマチュア無線の電波が出てたはずだ。スマホで検索。


「なるほど、430MHz帯と144MHz帯か。これならどこにでも通信機がありそうだ。音声聞くだけならすぐにできそうだな。周回周期は約90分か。現在位置は…… おお! リアルタイムで出るサイトがあるじゃん」


 よし、まずは丘の上で無線を試す。意識があって無線の知識がある人ならば必ずアマチュア無線を使うはずだからな。


 顔を洗って着替えて外に出た。

 まず、昨日サボったご近所の安否確認を行う。各部屋の扉をノックしてドアノブをひねってみる。どの部屋も鍵が掛かっていた。最近は物騒だからね。

 鍵が掛かっていなかったら部屋の中に入って安否確認しなきゃならないところだった。どうやって助けたら良いのか解らないっていうのに、だ。正直、ホッとしたよ。義務を免除してもらった気分だ。でも心に引っかかるモノがあるな。


 スマホで借りられるレンタル自転車に乗って街に行ってみる。無線はしばらくやってないから本屋で情報収集しておきたい。地域で一番大きな書店に行こう。

 多摩ニュータウンは歩車分離型の街だ。低い山筋が何本もあって、その高い場所が団地になっている。谷間は幹線道だ。そして、山と山の間には陸橋があって、車道をまたいで移動できる。どこの団地からも車道を通らずに主要なところに行けるんだ。育児に向いているって、最近見直されている街だ。

 車道の事故を見下ろしながら遊歩道を自転車でスイスイ行ける。昨日とは大違いだ。だけど、あっちこっちに人が倒れているから、踏みつけないように注意しなきゃな。


 駅の改札前は折り重なるように人が倒れて大変なことになっていた。だが、助ける術はない。被災者が多すぎる。--被災者と呼んで良いのかどうかもわからないが--しばらくそこにたたずんでいたが、あきらめてその場を離れることにした。

 こんな時、どうしたら良いのだろう。知恵がほしい……

 そうだ。本屋に行くんだった。無線関係の本だけじゃなくて。災害対策とか医療関係の本も見てみよう。

 その書店はデパートの5階にある。デパートの自動ドアは普通に開いた。店内は照明が点いていて、エスカレーターも動いていた。平日の昼間だったからな。お客さんは少ない。だが、所々に倒れている。店員さんも。

 エスカレーターで5階の書店に着いた。実はここには以前から気になっていた女性店員がいる。恋してるわけじゃない。気になるだけだ。

 急いでカウンターまで行って内側をのぞき込むと、やっぱり倒れていた。呼吸はしているみたいだ。なんとかこの人だけでも助けてあげられないものだろうか。

 カウンターの横に防災特設書棚があった。サバイバル術、グッズ、応急処置…… これこれ。医学書なんか読んでも解るわけがない。応急処置の本を手に取ってざっと目を通す。


「何なに、意識のない人は気道を確保して呼吸ができるようにする…… ってことは、既に窒息死している人もいるってことか!?」


 そういえば運転免許を取ったときに救助の講習も受けたっけ。何年前だ? 一度も使ったことないから完全に忘れてたよ。

 ほかにも保温が必要そうだ。倒れたときに怪我をしたと思われる人もチラホラ見かける。もう丸一日経ってしまったから、出血多量の人は亡くなっているかも。

 辺りを見回す。何だか急に怖くなってきた。やっぱり俺1人じゃとても助けられない。諦めよう。でも、あの店員さんだけはなんとかしてあげたい。

 床はカーペットだからこのままここで寝ていても冷えないだろう。この場所で少し楽な姿勢に変えてあげよう。


「ちょっと失礼しますよ」


 聞こえていないと思うが一声かけてから、本を見て意識のない人に適した横向きの姿勢に変えてあげる。

 隣の雑貨売り場から調達したクッションを頭の下において気道が塞がらないように顔の向きを調整する。同じく調達したブランケットを下半身に掛けてあげる。初夏だからな、上半身には何もかけない方が良いだろう。これで良し。


「顔や体にたくさん触れてしまった」


 この人が意識を取り戻したらお礼を言ってくれるだろうか? それとも『どこ触ってんのよ!』って怒られるかな。ちょっと気まずい。


「意識、戻ると良いですね」


 最後に一声かけて、気を取り直してここに来た目的を果たすことにしよう。


 よく来る店なので、いつも見るコンピュータ書の棚の位置はわかっている。電波関係の本もその近くにあると知っている。

 しかし…… 静かだ。エアコンの変なうなり音だけが聞こえる。

 冷静になるといつもと雰囲気が違ってなんだかちょっと怖いな。駅前は開放空間だったから気にならなかったが、ここは閉鎖空間だ。ちょっと異臭もする。被災者さんが失禁しているようだ。あれから20時間以上も経っているんだから当然だよな。

 雰囲気と異臭によるものだろうか。倒れている被災者さんがゾンビみたいに襲ってくるんじゃないか、そんな妄想が脳裏を横切る。


 無線関連の書棚に着いた。俺がアマチュア無線の免許を取って十数年経っている。

 アマチュア無線をやるには、まずアマチュア無線従事者免許、略して従免が必要だ。そして、実際に電波を出すためにはアマチュア無線局免許証、略して局免を申請する必要がある。従免を持っていれば、局免は申請だけで取得できる。局免にはあこがれのコールサインが書かれている。そのコールサインを名乗って通信するんだ。

 だが、局免の申請には使用する無線機の詳細を届け出る必要がある。自分で無線機を作る場合は設計図などの資料の提出が必要だ。だが、そんな難しいことをする人はごく一部だ。普通は市販のアマチュア無線機を買って、付属の申請書を送って局免を取得する。

 俺は金がなくて無線機を買えなかったから局免も取れず、コールサインもなく、開局もできなかった。だが、局免を持っていなくても、従免を持っていれば他人の無線機を借りることは合法だ。大学のアマチュア無線部で、部のコールサインを使って少し体験させてもらったんだ。バイトが忙しくて入部しなかったが、友達に頼んで時々やらせてもらったもんだ。


 その程度の体験だからな、アマチュア無線家が使うQ符号という略語もほとんど覚えていない。だから、ホントに簡単そうで読みやすそうな入門書を1冊バッグに入れる。

 ふと気になって周囲を見渡すと防犯カメラがあった。バッチリ撮られたな。でも、もう良いよな。非常事態なんだから万引きとか気にしなくても。

 でも念のため。バッグから今入れた本を取り出して、防犯カメラの方に向けて何を持っていくのかしっかり記録を残しておく。そして一礼してまたバッグにしまった。これで良し。もし正常に戻ったら事情を話して事後精算しよう。


 無線の専門雑誌のバッグナンバーがずらりと並んでいる。この中にISSとの通信の記事がありそうだ。一冊ずつ手に取って目次を確認する。 …… だんだん書棚に戻すのが面倒になってきた。確認した号は平置きの棚に積んでいく。

 3年分漁ったところで目的の記事発見。これも防犯カメラにしっかり写してからバッグに入れる。


 地下の食料品売り場に行って昼飯と晩飯になりそうなもの、それに飲み物を調達する。ここも支払いは免除してもらおう。

 自転車に乗って丘の上のアンテナタワーがある大きめの家に向かう。電動アシストだから上り坂も楽ちんだ。

 目的の家に到着。なかなか大きな家だ。金持ちなんだろうな。庭が広い。その広い庭の一角に大きなタワーが建っている。丘の下からも見えるこの辺りのシンボル的な構造物だ。

 玄関のインターホンのボタンを押す。やっぱり返事がない。ドアノブに手をかけるが鍵がかかっている。


「やっぱりそうだよな。不法侵入するしかないか」


 庭に回ってみる。近くで見るタワーはなかなか迫力がある。そのタワーの上部にはアンテナが取り付けてあった。台風の時などは外していることを知っている。今日は付いていてラッキーだ。

 アンテナからタワーに沿ってケーブルが伸びていて、途中から家の2階に引き込まれていた。あそこに無線機があるのだろう。

 家の1階を見ると、窓の縁辺りで何かが動いている? なんとサッシが細く開いていて、レースのカーテンがなびいてるじゃないか。

 カーテンをめくって中をのぞき込むとソフォアーがある。リビングだ。初夏だから換気でもしていたのかな。そっとサッシを開けて靴を脱いで上がる。照明は点いていないがレースのカーテン越しに入ってくる外光で十分に明るい。


「お邪魔しまーす…… ワッ!」


 ソファーに高齢のご婦人が横たわっていた。意識はない。この家の住人だろう。


「失礼しました。誠に勝手ながら無線機をお借りいたします」


 意味はないが、抜き足差し足で静かに2階に上がり、無線機があると思われる部屋の扉をそっと開ける。異臭が鼻をつくが、ひるまずに中に入る。壁側に机と棚があった。椅子は背もたれがこちらを向いている。肩と腕、足が見える。高齢の男性が机に突っ伏していた。


 机と棚には無線機や関連機材が大量に整然と並んでいた。ご老人の手元には大きめのスタンドマイクがあった。ご老人はヘッドホンを装着している。よく見ると何台かの装置は電源が入っていた。メーターが少し揺れている。この揺れ方だと音声信号ではなくノイズだけを受信しているようだ。

 まさに通信している最中に意識を失ってしまったのだろう。そして困ったことに、このご老人は失禁していた。


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 人は誰でも二面性を持っている。彼の場合、基本的にはお人好しで善人なのであるが、どこか冷めているところを持っている。意識を失っている人々を助けたいという気持ちはあるのだが、助けが方が解らないために逆効果になることを恐れているのだ。つまり、良かれと思って素人判断で行ったケアがきっかけで、被災者の状態が悪くなったり、死んでしまうことを恐れたのだ。

 例えば、AEDを使うべきだと思った読者もいるかも知れない。だが、意識を失っているだけで脈のある人にAEDを使ってはならないし、使おうとしても装置が動作しないようになっている。また、水ぐらい飲ませてあげるべきだと思う人もいるかも知れないが、意識のない人に口から水を与えると肺に入ってしまい、肺炎を引き起こす可能性が高い。

 素人判断での医療活動は危険なのだ。彼はそのことを知っている。

 せめて助けを呼ぶことができないならば、誰か別の人が率先して救助を行っていたら、医療関係者がそこにいたら、彼も懸命に手伝うことができたであろう。

 それにしても気持ちの切り替えが早すぎるのではないだろうか? そう思われる読者もいることだろう。彼の行動はあまりにも無神経に思えるかも知れない。だが、彼は被災者から目をそらすという現実逃避をすることで、己の精神が崩壊することを無意識に防いでいるのだ。そのことを責めることはできないだろう。

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