第5話 正直者がバカを見る

 数年前まで、大阪では、

「大阪都抗争」

 という問題が叫ばれていた。

 最近では、パンデミックによって、そこまで言われなくなったが、

「県民投票」

 などが行われ、結構ヒートアップしていた時期があったのを記憶している。

 確か、賛成派と反対派の票が拮抗していたのではなかっただろうか?

 ただ、それこそパンデミックのせいで、どこまでの票だったのかということが記憶から崩れ落ちて、尻すぼみになってきたので、覚えていない。

 ただ、F県民にとっては、

「対岸の火事」

 というわけにはいかないだろう。

 確かに、大阪などから比べれば、まだまだ小さな県ではあったが、それでも、地方としては最大の県であり、県庁所在地もダントツの一位であった。アメリカにおける

「ロスアンゼルス」

 くらいの存在ではないかと言えるのではないだろうか?

 そんなF市であったが、市民のほとんどは、

「都抗争なんかまったく無意味なことだ」

 と思っているようだった。

「行政側がやりやすくなるだけで、俺たちに果たしてメリットなんかあるのか?」

 というのが、その発想であった。

 これまでも、市制の中でうまく回ってきたという自負があり、いくらパンデミックによって疲弊しているとはいえ、ここで県にまたしても介入されると、

「今度は、引っ掻き回されるだけでは済まなくなるのではないか?」

 と考えているようだった。

 その考えは、市側の商工会議所の中に多いようで、

「過去の歴史を見てみると、県と市が抗争を繰り返している時は、俺たちはどうすることもできず、その分、衰退していく業種が出てくるだけだった」

 ということを分かっているからだったのだ。

 今回のパンデミックというものをいかに乗り越えるかというだけではなく、県の動向も見守らなければいけないという市の難しさもあった。

 そんな中において、今回の

「中央公園計画」

 というのは、ある意味、

「これまでの確執を忘れる形で、将来において、県と市を仲良くさせる絶好のチャンスではないか」

 と言われるものであった。

 そんなこともあって、

「どちらにも、損がなく、特に県側には、大いに特になる」

 ということで、県も乗り気になっているのであった。

 ここで、成果を出しておけば、今後、国との交渉があった時、

「国も優遇してくれるのではないか?」

 という考えであったが、少々甘い気はするが、国としても、このパンデミックの中において、47都道府県すべてを網羅することなど不可能なのだ。

 特に、マンボウなどの発出になると、県だけを把握するのも難しいのに、実際に県内の中での地域選定を国ができるわけもなく、県に頼るしかない。そうなると、国もしっかりした県であれば、任せることもできるということで、安心するに違いない。

 県もそこで国に、

「恩」

 を売っておけば、逆にそれを手助けしてくれる市との間のわだかまりなどないに越したことはないと気づくであろう。

 この理屈は小学生にでも分かることである。

 しかし、小学生だからといって、どこまで理解できるのかということは、難しく、ただ、

「小学生でも分かる理屈」

 という言葉だけが独り歩きをしてしまうと、市の面目を保つことが却って難しいのではないかと思えるのだった。

 そんなところで、

「中央公園計画」

 を、国も注視していた。

 県は、国が注視しているということを知ってか知らずか、目線は市にしか向いていない。市の方も県しか向いていないように思えたが、実は、市の方からちょっとしたアプローチが国にあったのだ。

 露骨にやっても、国が、

「市ごとき」

 に反応するとは思えない。

 特に、問題となることであれば、その警戒が強いだろう。だから、あくまでも、国を立てて、国が気持ちよく聞けるような体制にしておいて、ゆっくりと話に入っていく。そうすれば、国も、

「市ごときの相手をしている」

 と意識させることなく、県に対しての目線を送ることができるからだ。

 だから、国は県に対して、一定の好奇心を持って見ていることだろう。

 何かがあったとしても、国が介入することはないだろうが、いざという時、特に、

「県が国に対して、何かの要望がある時」

 であったり、

「国が県の決定に頼らなければいけなくなった」

 という時まで、問題がややこしくならないようにしなければいけなかったのだ。

 それと市の目的がもう一つあった。

 それは、

「県に、その視線を国に対して強める」

 ということであり、逆に、

「市に対して、上から目線で見ることを、少し和らげる」

 という目的があった。

 同じ市を見るということにおいても、平等とまではいかなくても、いくらか上から目線というものが違えば、動きやすくなるだろう。

 というのも、

「目先が変われば、今まで見えていなかったところが見えてきて、逆に隠したいところを隠すことができる」

 というものだ。

 ただ、相手の目線がどこにあるのかということを把握しないと、難しい立場になってしまうということで、難しいことではあるだろう。

 だから余計に、

「自然な成り行きというものを示さないと、せっかくの計画が水泡に帰してしまう」

 と言えるのではないだろうか?

 そんなことを考えているところに、今回の事件が起こった。状況としてはこうであった。

 昼の2時頃のことであった。城址公園にある、下の御門から出てきたところというのは、言わずと知れた、内濠が広がっている。

 そこに架かっている橋を渡って、国道に出たところを、内濠に沿って少し歩いている男がいたという。

 その男は、歩きながら危なっかしそうにしていたので、しかも、今の伝染病が蔓延している時期で、足元が及ばずフラフラと歩いている状態であるから、歩いている人も必要以上に避けて歩くため、よくその男のことを覚えてもいるし、通り過ぎた後でも、目で追うという人もいたくらいだった。

 その男は、千鳥足で進んでいたが、急に道路に倒れこんだ。

 歩いている姿はいかにも、

「酔っ払い」

 の様相を呈していたので、誰も声をかけるのが忍びなかったし、関わるのを嫌がって、分かってはいるが、なるべき気づかないふりをして通り過ぎていくのだった。

 その光景は、さぞや重苦しい光景であっただろうか。ぶっ倒れた男は、そのうちに痙攣をおこすようになり、さすがに歩行者の一人が、

「大丈夫ですか?」

 と声を掛けて、自分一人ではどうすることもできないことが分かっているので、まわりを凝視した。

 だが、皆すぐに目を背け、そそくさと今まで以上のスピードで走り去る。助けようと思った人は、

「なんて皆こんなに薄情なんだ」

 と思いながらも、どうすることもできないでいたのだ。

 分かってはいたことであるが、今までの自分もそうだっただけに、周りに文句が言える立場でもない、

「こうなったら、俺が一人でもしっかりするしかない」

 ということで、とりあえず、救急車と警察の手配をしたのだった。

 F署で三浦刑事が受けた通報は、まさにこの通報からだったので、三浦刑事はその場に向かったところで、

「救急車が患者をすでに運び去っているかも知れないな」

 と思いながらの出動であった。

 実際に現場に行ってみると、

「三浦刑事」

 と声を掛けてきたのは、以前、交番勤務の時に世話になった、先輩巡査部長であった。

 その人は、

「俺なんか、ずっと巡査でいいんですよ。刑事課に何か行きたくない」

 というのを、ずっと言っていたのだ。

 彼には、音楽の趣味があり、

「市民の最前線で、最低限の平和が守れて、好きな音楽をやりながら、過ごしていければそれでいいんですよ」

 と言っていたのを思い出した。

 久しぶりに会ったその先輩は、輝いているように見えた。それは、

「それだけ俺が刑事課に行ったことで、以前の輝きをなくしてしまったのではないだろうか?」

 ということに思えて、

「警察なんて、面白くもない」

 と、いきなり一瞬だけ感じることを思い出したのだ。

 普段は、その一瞬のことは記憶にもないと思って、思い出すこともないのだが、今回思い出したというのは、どういうことなのかと考えてしまうのだった。

 今回の出動において、

「久しぶりに先輩に会えてうれしい」

 という気持ちもあるのだが、それ以上に、

「何だこの感覚は?」

 と思ったことが、先輩に会えたことにあるのだと思うと、複雑な気分になるのだった。

「苦しみだしたという人はどうしたんだ?」

 と今までは警護だったことも忘れて、自分の立場が上であることを無意識に表に出していた。

 本人は、それを無意識にやっていたが、

「相手がどう思うだろう?」

 と感じたところで、ふと立ち止まりたくなる衝動にかられたのだった。

 実際にその男が目の前にいないと思っただけで、急にゾッとするような悪寒を感じた。

 そんなことを考えていると、

「救急車で運ばれていきました。病院は、県立記念病院です」

 という。

 ちなみに、彼が、

「県立」

 とわざわざいったのは、この県には、記念病院というのが2つあるのだ。

 これも、言わずと知れば、

「県立と市立」

 である。

 美術館、博物館などは、県立、市立の両方が存在しているが、記念病院まで2つあるというのは、実に、

「F県らしい」

 と言えるのではないだろうか?

 F県というところは実にややこしいところであり、隣の、S県からも、

「F県の行政は難しいんだろうな?」

 と思われている。

 ちなみに、S県の県庁所在地と、F県の県庁所在地は隣接している。

 元々はその間に、町があり、そこが、隣接を妨げていたのだが、いわゆる、

「平成の市町村合併」

 において、町が、S県の県庁所在地と合併したことで、

「県庁所在地の隣接」

 ということになったのだ。

 平成の市町村合併までは、今まで日本では1か所しかなかったのに、平成お市町村合併では、3つ存在することになったのだった。

 それは予断であったが、

「じゃあ、県立病院に行く前に、状況だけ説明してもらおうか?」

 ということで、

「私も通行人から聞いた」

 という、前述の話をしたのだった。

 通行人は、一応、死人ではないので、第一発見者というようなものではないが、

「有力な目撃者」

 ということで、警察に説明をしたのだが、

「下手をすれば、何度か説明しなおさなければいけない時もあるのかな?」

 と思ったが。

「その時まで、果たして記憶できているだろうか?」

 と、彼は考えるであろう、

 三浦刑事は、その男に会って、少し話を聴いてみることにした。

 男は、

「また同じことをいうんですか?」

 といって怪訝な顔になったが、しょうがないと諦めて、もう一度三浦刑事に事の顛末を話して聞かせた。

 そこでは、真新しいことは聞けなかったのだが、

「ああ、そうだ」

 といって、その男が急に眼を輝かせるかのようにして話し出したのは、

「今回の事件に直接関係があるかどうか分かりませんがね」

 という前置きをして話始めた。

 先ほどまでの、あくまでも、事務的な話し方とは違い、声にもそれなりに抑揚があることで、

「彼は少なからず、興奮しているのだろうか?」

 ということを感じたのだったが、

「あの人、どこかで見たような気がしたと思ったんですが、あれは三日くらい前だったですかね? 自分がちょうど、あそこの下の御門からこっちに歩いて来ようとした時だったんですけど、御門の下で、とんでもない行動をしているやつを見かけたんですよ」

 というではないか。

「ほう、それはどういう?」

 と聞かれた彼は、

「あそこの御門は少なくとも、県の重要文化財であるということはもちろん知っていましたけど、何とその門の下で、その男は火をつけるじゃないですか」

「火というと?」

「放火とかではなく、タバコに火をつけたんですよ。今の時代は、タバコを吸うこと自体が罪人であるかのように思われている時代に、表でタバコを吸いながら歩くというだけでも、白い目で見られるのに、重要文化財のそばでわざわざタバコを吸うようなやつがいると思えば許せないじゃないですか。だから、スマホで写メに収めてやったんですよ」

 といって、その男は写メを見せた。

 その写真はかなり遠くから撮っているので、実に見にくい。

「これくらいの距離を取らないと、相手から、肖像権を言われると厄介ですからな。少し離れて、まるで御門を撮っているかのように見せかければ相手も気づかないと思ったんです」

 といって、彼はスマホを自分の手に取って、画面を親指と人差し指でなぞるように広がると、

「ここまで拡大できるんですよ」

 といって見せると、

「なるほど、タバコを吸っているようですな」

 といって、左手にはスマホを持っていじっているのが分かり、右手にはタバコが握られていた。

「この写真が何か?」

 と三浦刑事が聞くと、

「この男こそが、さっき苦しみだしたやつだったんです。そう思った時、放っておこうかと思ったんですが、天罰だという思いと、そうであれば、警察にしっかりとバツを与えてもらいたいということから、警察にも電話をしたんですよ」

 ということであった。

 状況からすれば、警察が出張ってくることもなかったかも知れないが、そういうことであれば、分からなくもない。

 男は、救急車で運ばれていったが、目撃者にとっては、その男がどうなるか、知ったことではないように思えた。

「人間、普段から素行が悪いと、いざという時に、誰も助けてくれるはずもないではないか?」

 と思えるのであった。

「なるほど、あなたは、この人が苦しんでいるのを、黙って見ていたというわけではないんですね?」

 と言われると、

「ええ、そうですよ。もちろん、告発してやりたいという思いが一番でしたけど、ここまで他の連中が苦しんでいる人を無視しているというのを見た時、愕然としましたね、こいつら、もし自分が、この男の立場なら、見捨てられるのを、無視しておくつもりなんだろうかって思ってですね」

 というではないか。

 なるほど、この男の言い分ももっともである。自分も警察官でなければ、

「果たして同じ場面に出くわして、助けようと思うか?」

 と言われると、何と答えるだろうかと感じたのだ。

 たぶん、勝手に身体が動いて、何とかしようとはするのだろうが、それは反射的にということであって、本当に意思の元にすることであろうか?

 それを思うと、

「たぶん、反射的な行動で、普通だったら、見知らぬふりをするかも知れないな」

 ということであった。

 しかし、無意識と言いながら、彼のように助けるのであれば、それが正しいのだろうが、他の人は実際に何もしていないし、一生懸命にやっている行動を黙ってみているではないか?

 それでも、さらに考えるのは、

「誰かがしてくれているから、俺が出張っていく必要もない」

 と思うのではないか。

 つまりは、

「何か見返りがないと、人間は自分から行動しない」

 ということである。

「この男を助けて、自分が何かいいことがあるのだろうか?」

 子供の頃などでは、

「大人たちが、勇敢でいい子だ」

 といって褒めてくれるというような発想もあったが、大人になってみれば、

「結局。自分がいいことをしたと思ってやってやっても、何になるわけでもない。下手をすると、

「自分が遅刻するかも知れない」

 という状況で助けてやったとしても、その時は褒められるかも知れないが、会社にいけば、

「よくやった」

 とは言われない。

「何で連絡しないんだ?」

 と言われるだけである。

 もし、上司に対して、

「あの緊急時、そんな時間ありませんよ」

 などといえば、きっと上司は、

「そんな時間」

 という言葉に反応し、

「お前は会社とどっちが大切なんだ?」

 といって怒るだろう。

 本当のことをいえば、

「だったら、辞表を持ってこい」

 と言われるかも知れない。

 要するに、

「俺の指摘した時間を、そんな時間と言った」

 ということで、怒り狂うに違いないということである。

 実際に上司がその場面にいたわけではないので、本当は大変だったということは分かっているが、それだけに、余計に苛立っているのかも知れない。

「自分や会社をないがしろにした」

 という意識である、

 これが、今の時代である。

 そういえば、高校時代が田舎だったこともあって、学校の帰り、クラブ活動の帰りであるが、居残り練習をさせられたことで、帰りが一人になってしまった時、駅までの田舎道にて、不審火により、火事になったことがあった。

 消防署に電話を入れ、待っていたのだが、相手がなかなか見つけることができなかったようで、

「火事が電線を燃やす」

 というところまで火が広がったことがあった。

 そんな時、何とか119番で説明したが、なかなか来てくれない。

「帰りたいんですが」

 といっても、

「もう少しで着きますから」

 といって、帰してくれない。

 やっと辿り着いて、火を消すことができたが、自分はその場所に3時間以上も拘束される形になった。

 携帯電話で家に連絡を取ればよかったのだろうが、

「携帯にはいつ消防署から連絡があるか分からない」

 ということで使えなかったのだ。

 そこまでして消防のために協力してやったのに、褒められるどころか、消防隊の人たちから、

「ご苦労様でした」

 といって敬礼されただけであった。

 高校生だったこともあって、せめて、感謝状くらいはあるかと思っていたが、それもない。

 最初は、

「テレビがインタビューに来たら、何と答えよう」

 とまで思っていたのが、恥ずかしいくらいである。

 それなのに、まわりは実に冷めた目だった。

 翌日学校に行っても、まったく変わらない。先生も知っているはずだろうと思ったが、せめて、

「昨日は大変だったな」

 の一言もない。

 拍子抜けどころか、苛立ちに近いものがあり、しかも、消防署からも、警察からも何も言ってこない。

 どうやら放火だったようで、放火犯が捕まったことで、みんな注目はそっちの方に行ったのだった。

「俺が通報したから、大事に至らなかったのに」

 と思ってみても、誰も褒めてはくれない。

 下手をすれば、

「誰も知らないんじゃないか?」

 と思ったほどで、正直、

「あの時の3時間を返せ」

 と言いたくなってくる。

 部活が終わって、腹がペコペコだったのに、食事を摂ることもできず、我慢していなかればいけなかった。

 そこまでさせておいて、お礼も何もない。

「金一封とまではいかないが、せめて感謝状の授与式くらいは、笑顔でカメラに収まるくらいのことがあってもいいのではないか?」

 と思うのは、贅沢なことなのだろうか?

 そんなことがあってから、

「正直、道で苦しんでいる人がいても、助けたりはしないでおこう」

 と思っていたくせに、今回は助けた。

 それも、

「可哀そうだ」

 という意識はまったくなかったわけで、それよりも、

「こいつにちゃんと罰を与えないといけない」

 と思ったのが、ここでの死ではないと感じたからなのか、それよりも、

「まわりの連中がここまで薄情だったら、俺がするしかないのではないか?」

 と感じたからなのかも知れない。

 自分でも正直どういう思いだったのか分からないが、自然と消防と警察を呼んでいた。正直後になって後悔したのは、当然のことであろう。

 ただ、悲しいことに、やつが、タバコの火をつけたことを裁かれることはないような気がする。

 確かに証拠写真もあるにはあるが、実際に火事になったわけでもないし、誰かを傷つけたわけでもない。

 逆に、

「被害者」

 なのだ。

 いや、被害者と決めつけるわけにはいかない。なぜなら、

「この男が自殺をしようとした」

 という可能性が消えたわけではないからだった。

 警察の方としても、

「遺書はない」

 といっているし、身元もハッキリしないので、何とも言えないので、自殺の線は、かなり薄いようなニュアンスの話を警察はしているようだった。

 ただ、通報者とすれば、

「またやってしまった」

 と思っていることだろう。

「どうせやつを助けたって、こっちは、一文の得にもなりはしないんだ」

 と思っている。

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