第4話 県と市の抗争
県警本部からの入電で、さっそく駆けつけた場所は、城址公園であった。そこはF市の中心部にあり、
「城址公園」
というだけに、そんなにたくさんの遺構が残っているわけではなかった。
三浦刑事は、学生時代に一度地元の名所旧跡に興味を持ち、もちろん、ここの城址公園にも何度か来たことがあった。
この公園には、資料館が建っていて、そこで、
「御城印」
や、
「スタンプ」
を貰うことができるが、見て回るには、よほどお城というものに、興味がなければ、面白くないところであろう。
特に、
「お城というと、天守があるもの」
と思っている人にとっては、これほど面白くもないものはないというものである。
確かに天守がなければ、どうしても、城というのは、華やかさに欠ける。
しかし、今までに日本に存在した城の中のどれだけが、天守を持っていたのかというと、本当に微微たるものである。
なぜなら、
「お城というのは、多い時で、3万という数があり、コンビニの数よりも、かなり多い」
と言えるであろう。
実際に天守が存在したのが、どれほどなのかは分からないが、もし、100としても、300分の1ではないか?
それを思うと、
「天守は、あくまでも威厳を示すためのものであり、本来の戦は、石垣であったり、櫓であったりするというものだ」
と言えるだろう。
実際に天守の中には、いや、結構多いのだろうが、
「連立天守」
と呼ばれるものであり、
「天守をまわりの櫓が守っている」
と言われるものもあったりする。
F城の場合は、実際位は、天守があったのかどうか、議論されているようで、残っている書物からは、
「実際に元々建てられたのは、南北朝時代くらいからで、実際に近代城郭として改築が行われたのが、織豊時代の、豊臣政権下であった」
ということであるから、天守の存在は、かなりの信憑性があったのではないだろうか。
ただ、その寿命は短かったのかも知れない。
江戸幕府が成立し、
「大阪の陣」
で、豊臣家が滅亡すると、家康が、
「元和堰武」
と称し、
「平和な時代」
を宣言したことで、それによって、
「戦を行うための城はいらない」
ということにより、有名な、
「一国一城令」
が発布されたのだ。
それにより、藩主にとっての城は一つになり、尾張、三河、近江などと言った、
「城郭激戦区」
とでもいっていいところの堅固な城が、取り壊しの憂き目にあってきたのだった。
起こっている書状から、ここの天守も、取り壊しとなったようで、ただ、その理由としては、
「一国一城令」
というよりも、もっと切実な問題があったようだ。
歴史書の中では、一国一城令が出る前後くらいであろうが、このあたりを襲った地震があったという。
その地震によって、かなりの家屋が被害を受け、家を失った人が多かったという。
当然、農家もひどいもので、そのせいで、不作となり、年貢も収められず、庶民は、
「住む家もない」
と言った状態だ。
そこで、当時の領主が、
「ますは庶民の苦しみを救ってやらねば」
ということで、天守を解体し、他の廃城となった支城の遺構と合わせて、庶民の住宅復興に一役買ったというわけであった。
そのおかげで、復興は思ったよりもうまくいき、そのおかげで、領主は、
「庶民の身になって考える、良君である」
という話が、書物に残っている。
地震という話は他の書物からも見て取れることから、実際に困窮があったのは間違いないようだ。そういう意味でも、実際に藩主家のことを書き残した歴史書も、若干の贔屓目もあるだろうが、信憑性があったといってもいいだろう。
そんな時代の話も、城の説明案内板にも書かれていて、
「美談」
といってもいいだろう。
その話を三浦刑事も覚えていたので、
「F城は、いい城だったんだな」
と考えていたのだった。
「そんな城で何があったというのか?」
場所を聴いてみると、どうやら、内濠の近くだという。昔は大手門に繋がる橋が架かっていたということだが、今はその大手門もなく、復元もされていないようだった。
大手門を入ると、大きく広い空き地になっているが、そこには、昔、ちょうど昭和の時代くらいまで、野球場があったということだ。
プロ野球の球団がフランチャイズにしていたようで、今でも伝説のように、
「野武士軍団」
と呼ばれていたという。
そのお濠沿いに、西に50メートルくらい行くと、
「下の御門」
と呼ばれる橋があった。
そこは実際に建っている。しかし、そこは、現存ではなく、
「一度焼失している」
というところであった。
それも、実は現存と呼ばれるのは、20年前のことであり、その時、不審火によって、焼失し、その後、十年くらいの間に、再建されたものが今存在している、
「下の御門」
なのだという。
実際にその不審火が何であったのかということは、ハッキリとはしていないようだが、
「タバコの火の不始末」
とも言われている。
少なくとも、県の重要文化財であるだけに、相当な問題にもなったことだろう。そんなこともあって、市は再建されたその門には、防犯カメラも設置しているようで、それだけの警戒もしているといってもいいだろう。
ただ、実際にどこまで監視しているか分かったものではない。
「重要文化財を守る」
という役目を持っている公園の管理人のような人が、本当に、
「重要文化財というものを、どこまで大切に感じているのか?」
というのは分かったものではないだろう。
それを思うと、
「また火事になる可能性はあるだろうな」
とも危惧されている。
そしてもっぱらのウワサとすれば、
「もう一度火事になったら、市は再建を二度としないだろう」
ということであった。
なぜなら、天守の再建もしないからだ。
城址公園を管理しているのは、F市であり、県ではない。市がすべてを決定するのであるが、市議会で、
「F城の再建は行わない」
と決まったのだという。
その理由としては、
「再建するための資料が不足している」
ということが叫ばれているからだ。
というものであった。
実際に、資料が不足しているのも事実かも知れないが、
「模擬天守くらいだったら、別にかまわないだろう」
と言われているのだ。
全国に今建っている天守は、大きく分けて、5つある。
「現存12天守」
と呼ばれる、
「江戸時代以前に作られたもので、焼失も取り壊しも、空襲にも遭わずに残っている天守のことで、南から、伊予松山、宇和島、高知、丸亀、松江、備中松山、姫路、丸岡、彦根、松本、犬山、弘前」
という城だけのことである。
また、実際に天守が存在していて忠実に再現する形での、
「復元天守」
というものがある。
「木造」
「外観」
という種類があり、文献や古文書や、残された絵画などを元に、当時の工法を忠実に守って復元されたものをいう。
さらに、
「復興天守」
というものは、
「その場所に天守が存在していたということが分かっているが、資料が足りないため、想像で再建されたものをいう。
さらに、
「模擬天守」
というものがあるが、これは、
「天守があったかどうかも、もしあったとしても、どこにあったのか分からない状態で、再建されたまったくの想像によるもの」
である。
最後には、
「天守風建造物」
と言われるものがあり、
「天守風の建物を作り、資料館であったり、別の目的で使うと言った、一種の町おこしのようなものの一環として建てられたもの」
というものである。
F城は、そういう意味では、再建するとすれば、
「模擬天守」
にしかならないだろう。
ただ、ここは、
「天守台」
と呼ばれるものも残っていて、屏風風の絵画も残っているようだった。
それを思えば、
「模擬天守として再建してもいいだろう」
と言えるのではないだろうか。
なぜなら、
「今の日本にある天守のほとんどは、模擬天守である」
からであった。
そういう意味では、
「資料が足りない」
というのであれば、別に、
「模擬天守でもいいのではないか?」
と思うのだが、もしこれを専門家であったり、有識者の人がいっているのであれば、納得はいくが、いっちゃ悪いが、別に城のことなど知らないだろうと思われる市議会の皆が、いっているのだ。
確かに、市長一人であれば、
「私は城に興味があって、基礎知識はバッチリです」
というのは分かるのだが、それ以外の市議会の人間全部、いや民主主義だから過半数でいいのだろうが、それだけの人が、
「私は城にはうるさい」
というわけでもあるまい。
もしそうだというのであれば、それこそ、
「市の議員で、城郭研究会でも作ってください」
と言いたいくらいであろう。
しかし、さすがにそんなわけもない。
だとすれば、
「市のトップである市長が城に詳しくて、その市長が、模擬天守ではダメだといっているから、議会で否決した」
などというのであれば、それこそ、本末転倒である。
それこそ、
「民主主義への挑戦」
とでもいうべきか、市長一人の意見で、すべてがひっくり返るような市であれば、それこそ、独裁政治だと言われても仕方がないだろう。
そういう意味で、
「市議会で、満場一致で否決されました」
ということだったわけなので、ここまでくれば、理由というものが、
「学術的な話ではない」
ということになるだろう。
つまり、
「市には、そこまでのお金がない」
というのであれば、まだいいが、それを隠そうとするということが、
「俺たちの私利私欲に使える金がなくなるから、それは困る」
といっているようなものではないか。
それを考えると、
「市でわざわざ城のようなものを作る必要はない。分からないといっていれば、それでいいんだ」
というだけのことである。
だから、逆に、
「市民だって、城のことなんかわかりゃしないんだ」
ということで、大多数の市民が、
「そんなもの再建しなくてもいい」
と言えばそれまでである。
「それこそが民主主義だ」
といってしまえば、
「再建を」
といっている連中も、民主主義を持ち出されると、ぐうの音も出ないと思っているに違いない。
だが、難しい問題でもある。市民の中には、特に商売人の中に、
「城を再建することで、観光客を呼ぶことができて、観光産業が潤う」
という意見もある。
城があるというだけで、
「行ってみたい」
と思う観光客も結構いる。
実際に、観光シーズンなどは、城がメイン会場になり、イベントをしたりしているではないか。
「ゆるキャラを使ったイベントなど、家族連れの観光客には大きな目玉になるのは間違いないだろう」
というものであった。
それなのに、実際に天守の再建を考えないということはどういうことなのだろうか?
考えられるとすれば、
「市にお金がない」
ということであろう。
まさか、
「御門を再建したために、天守の再建のお金がない」
などという理由ではないだろう。
と思われたのだが、実際のところは、そのあたりがグレーだったようだ。
そういう意味でも、
「これ以上は、F城の再建に関しては、これ以上、市はお金を出さない」
と言われている。
一つ面白い話があるのだが、これは、今実際に進められている計画に、
「中央公園計画」
というものがある。
これは、そもそも、F城というのは、
「内濠の内部である、本来の防御の城の部分の公園を、F市が管理していたのだが、その隣にある、外堀、つまり、総構えに位置しているところが公園として整備されているところを県が管理しているという、歪んだ管理方法になっているのだが、その管理を一本化して、そこを、中央公園として整備する」
と言われるものであった。
その計画は、今から十数年くらい前から話し合われてきて、ここ5年くらいの間で、オープンとなり、計画が進んでいる様子だった。
ただ、この計画が水面下で進んでいる時に、
「下の御門焼失事件」
が起こったのかどうかは分からないが、実際にこの時、
「天守を再建しないという話が出たのに、なぜ、霜の御門の再建を、市が行ったのだろうか?」
ということで、一部で話題にはなっていたようだ。
市役所や県庁の職員の中で少し叫ばれていたことであったが、
「変に詮索をして、自分が不利になってはいけない」
ということで、誰も何も言わなくなったのだった。
だからこそ、その後に市と県との間で、緘口令は敷かれていたが、そんな中、
「あのF市が金を出すとはね」
と、御門の再建に関しては、きな臭いウワサが流れていたのも事実である。
実際に、F市が金を出して再建したことで、他の城の部分を再建したりはまったくなかった。
そのうちに、
「中央公園計画」
というものが、浮かび上がってきている。
ということで、F県の方でも疑惑があったが、誰も口には出さなかった。
そもそも、緘口令が敷かれているのだから、口に出してウワサになるわけには、いかない。
それを思うと、F県とF市の間で、
「密約」
のようなものがあるのではないかと思われた。
逆に、今回の、
「中央公園計画」
というものを提唱してきたのは、F市の方だったという。
しかも、かなり強硬に話を進めてきて、
「県の方としてはメリットがない」
といって最初は二の足を踏んでいたのだが、市の方のアタックに負ける形で、この計画が始まったという。
「どうやら、市には何かウルトラCのようなものがあるらしいぞ」
と言われているが、それがどうやら、市が保有しているものとの提携のようであった。
これは、市にとっても潤う話だが、何と言っても、県の方が圧倒的に利益を得ることができる。市のプライドとしては、それが許せないはずなのに、それでも話を持ち掛けてきたのは、
「中央公園計画」
を何としてでも成功させるというのが、一番の目的だったのだ。
「なんといっても、お互いに損のない話で、しかも、パンデミックで冷え切った経済問題を解決する手始めとしてはいいんじゃないですか?」
と、県に持ち掛けると、
「じゃあ、少し時間をください。持ち帰って吟味します」
ということであった。
もちろん、即答はないということは分かっていた。だが、F県とF市に関しては、昔から仲が悪かったという。他の県でも、似たようなことはあるのだが、F県内に関しては、その仲の悪さは、継続的なもので、伝統的だったといってもいいかも知れない。
最初に県庁所在地を決めた時からのことのようで、
「県庁所在地の市の名前を何にするか?」
ということで、明治の頃にもめたという。
候補は2つあり、2択だったのだが、それだけに意見が真っ二つに割れてしまい、市だけでは混乱するだけで、収拾がつかなくなった。
そこで、県が乗り出してきて、県の仲介の下に、今の、
「F市」
というものが成立した。
その時のF県の功績は、F市内部でも、恩に着るところがあったのだが、それは、その時代の勢力が現存していた時代までだった。
代替わりが行われ、市制30周年くらいには、それまで結構市制に口を出してきた県に対し、
「鬱陶しいな」
と思うようになってきた。
かといって、一気に遠ざけるとわだかまりが露骨になり、本当に助けが必要な時、今度は助けてくれないなどということになると、本末転倒となってしまう。それを思うと、何とか、県の信頼をつなぎとめておく必要があったのだ。
それでも、お互いのわだかまりと、お互いがけん制し合うことで、いろいろな弊害ができていたのだ。
「内濠内が、市の管轄で、外堀から躁が前までが県の管轄」
というような、元々が城址として一つのはずなのに、2つの自治体がそれぞれ管轄するなど、あまり見られることではない。
ただ、今の時代は、市と県でいろいろ争っているのも散見される。
特に、今回の
「世界的なパンデミック」
においては、
「基本的に、事態を見極めるのは、各都道府県の知事であり、彼らが、蔓延と判断すれば、国に、緊急事態宣言であったり、蔓延防止の指令を出してもらう。さらに、解除の際も、都道府県からの申請で、国が解除の判断をする」
ということになっている。
ただ、緊急事態宣言の場合は、
「県内すべてにおいて、一律に制限」
ということであるが、その前段階になる、
「マンボウいわゆる、蔓延防止措置の方は、一律ではなく、場所を指定することができるのだが、その判断をするのは、各都道府県」
ということになるのだ。
だから、マンボウの場合に、県は市に対して、配慮する形になり、市は県に対して、優遇してもらうように働きかけようというのだ。
ただ、その判断は結構難しい。
経済を優先するなら、緩めの判断を行い、地域もなるべく限定し、営業形態も相当制限することになるのだろうが、今度はそれが原因で、さらに蔓延し、最悪、
「医療崩壊」
など起こしてしまっては、市に任せた県とすれば、その面目は丸つぶれである。
そうなると、もう県に対して頭が上がらなくなり、市制も、ほとんどが、県による監視下に置かれるなどということになると、
「我々の存在意義すら疑われることになる」
ともいえるだろう。
F県ほどの規模のところでは、そこまではないのだろうが、これが、大阪や京都のような、
「府」
というものであれば、そこから叫ばれるのは、
「都抗争」
という発想であろう。
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