第3話 冤罪と美人局の盲点
ある日の昼下がり、F警察署で、書類整理をしていた三浦刑事は、県警本部からの入電にビックリし、さっと身体に緊張が走った。
その日は、事件もなく、朝から、小さな事件の片づけをいくつか済ませるという、本当の事務的な仕事に従事していた。
「事件なんてないに越したことはないんだ」
と日ごろから思っていて、
「警察が暇なのは、世間が平和な証拠だ」
という気持ちと、単純に、
「楽がしたい」
という気持ちとの両方があるのも、当然のことであった。
警察というところは、縦割り社会であり、公務員でもある。もちろん、民間企業でも嫌なことは多いだろう。
むしろ民間企業の方が、さらにひどいところもあるだろうとは、警察として捜査をしていて思うこともある、
当然、捜査ともなると、会社への踏み込んだ捜査をしなければいけない場合も多く、犯罪が起こる土壌として、会社の在り方が問題だったということも少なくはなかったい違いない。
いわゆる、
「ブラック企業」
と呼ばれるところで、昔のように、何でもありの時代ではなく、今のように、
「プライバシー」
「男女平等」
などという、いわゆる、
「コンプライアンス問題」
というものが絡んでくると、企業や上司も、
「下手なことはできない」
と言われるであろう。
しかし、そんな時代においても、劣悪な環境で、業務を強いる会社であったり、先輩風邪を吹かせる人の一定数あったりするので、コンプライアンスの問題を、普通に正面から見るだけでは、どうしようもないということだってあるのだった。
「男女平等」
などと言われるところで、よく聞くのが、
「痴漢などの犯罪に対しての冤罪」
ということであった。
以前であれば、痴漢などの犯罪は、男側が、
「女の子が抵抗できないのをいいことに」
ということで、やりたい放題だったというような話を聴き、さらに、親告罪ということで、恥ずかしさなどから、名乗り出る女性も少なかったりした。
そういう、
「女性の泣き寝入りが多い」
ということで、
「卑劣な犯罪」
と言われるようになり、男女平等が叫ばれた時など、痴漢犯罪に対しての目はかなりひどかったというものであった。
しかし、それらのことも、
「男女雇用機会均等法」
というものの成立に伴い、さらに他のコンプライアンスが叫ばれるようになった社会情勢の中で、
「痴漢というのは、相手が逆らえないのをいいことにする、卑劣な犯罪だ」
と言われるようになった。
その頃から、携帯電話などの普及から、
「盗撮」
という問題も起きてきて、
「女性が逆らうことのできない犯罪」
の代表例と言われるようになった。
コンプライアンスが叫ばれ、法整備が進んでくる中で、女の子の方も、
「泣き寝入りする必要なんかないんだ」
という意識が広がってきたのだろう。
電車の中でも、
「この人痴漢です」
といって、手を挙げる女性も増えてきただろう。
さらには、他の乗客の中にも、
「こいつ痴漢だぞ」
といって、騒ぎ立てる連中もいたりする。
確かに検挙という意味で、一般市民の協力が不可欠ということもあり、これだけ協力者が多いというのは、いいことなのかも知れない。
しかし、物事というのは、
「表があれば、裏もあるのだ」
自己申告にしろ、まわりが騒ぐにしろ、
「果たして、すべてがその通りなのだろうか?」
ということであった。
中には、冤罪ということもあるだろう。
女性が、
「自意識過剰」
ということもあれば、他のまったく関係のない連中が、
「俺が逮捕に協力してやったんだ」
という
「自己顕示欲」
の強いやつもいることだろう。
特に、数年前からの、
「世界的なパンデミック」
の中で、言われてきたものの中に、
「自粛警察」
と呼ばれる、少し過激な連中がいた。
彼らは、パンデミックによる伝染病の蔓延において、国が、
「緊急事態宣言」
などという、
「人流抑制政策」
に乗り出したことがあった。
それ自体は間違いではないのが、それによって、極端な人流抑制を強いられたことで、緊急を要する店舗としての、食料品スーパー、薬局、生活必需品を購入できる店、以外では、軒並み休業要請が出て、街の繁華街は、ゴーストタウンと化してしまっていたのだった。
そのせいもあって、その期間が続けば続くほど、店舗経営がおぼつかなくなるのだ。
というのも、休業期間中であっても、人件費は発生するわけで、店舗が貸店舗であったりなどすれば、家賃だって発生する。
「2、3日休業しただけで、営業継続の危機なのに、これが一か月ともなると、どうしようもないではないか」
ということで、休業期間中に、閉店を決めるところも少なくなかっただろう。
しかし、中には、世間の風当たりを覚悟で営業をしていたわけでもまい。
当時の法律では、国家からの休業要請を破ったからといって、罰則などは何もなかったのだ。
つまりは、国家からは、
「命令ではなく、要請しかできない」
ということであった。
だから、中には営業を続けるところもあった。自治体からの、再際に渡る休業勧告も守ることはない。
「こっちだって、従業員と家族を守る必要があるんだ」
ということでの、究極の選択だったわけであろう。
「何もせずに、潰れていくのを待つのか、あるいは、国家や自治体に逆らってでも、従業員の生活、さらには命を守るか」
ということが、問題だったのだ。
ただ、彼らにも言い分はある。
「今までに自分たちの中から、蔓延を発生させたことはない」
というのだ。
ただ、それは事実だった。
それは、その店だけではなく、その業界すべてに言えることであったのだ。
だから、
「うちが営業しても、何ら問題はないのではないか」
というのが言い分であった。
しかし、世間は自粛ムード、もっともっと、困っている人もいるわけで、そんな中、そういうルールを守れない一部の人たちに対して、SNSなどでの、誹謗中傷などということが起こってきたのだった。
そんな連中を、
「自粛警察」
というのだ。
今回の問題は、その行政の勧告を守らずに営業を続けた業界があ、
「パチンコ業界だった」
ということが一つの問題だったのだ。
パチンコ業界というのは、どうしても、昔から言われている、
「三店方式」
と言われる換金方法が、いかにもグレーであったり、昔から、その収益の使われ方が、こちらもグレーだったりしたこともあり、世間から、どのような目で見られているのかということが、パンデミックによる自粛生活を余儀なくされた精神状態の中で、爆発したのかも知れない。
確かにパチンコ屋のいうとおり、
「自分たちは他の業界よりも、たくさんルールを守っている」
ということで、統計を取っても確かに、パチンコ屋がいうように、守っている店の、業界別の比率を見ると、
「なるほど、トップクラスだ」
と言えるだろう。
つまり、パチンコ業界が、それだけ努力をしたということであろう。
しかも、実際に、
「クラスター」
と呼ばれる集団発生が起こっていないのも事実だった。
そういう意味では、パチンコ業界というのは、他の業界に比べても、
「優良企業」
といってもいいはずだった。
しかし、そんなことにはお構いなく、
「自粛警察」
と呼ばれる連中は、容赦なく攻撃をするのだ。
それは、もちろん、自分たちの強いられている自粛というものに対しての、
「ストレス発散によるものだ」
といってもいいかも知れない。
少し違うのかも知れないが、思わず、平家物語に出てくる、
「禿(かむろ)」
と呼ばれるものと似ているような気がする。
禿というのは、平安時代末期に、平家が幾多の戦に勝利することで、朝廷内で、武家としての出世を続けていく中で、平家が権力を集中させていた時代のことであった。
そもそも、
「禿」
という言葉は、
「頭に髪の毛のないこと」
あるいは、
「神が偏り短い状態で、今でいう、お坊ちゃまカットと呼ばれるような、子供のことをいう」
と言われているのだが、平家物語においての禿というのは、
「平家に逆らったりする連中に対して、禿と呼ばれる、諜報警察のようなことをするために組織された密偵集団」
といってもいいだろう。
公家などは、平気で陰で平家の悪口や、下手をすれば、
「平家討伐計画」
を練っているかも知れないということで、その対策として考えられたのが、この禿という制度であった。
「相手も、子供であれば、安心して秘密を漏らす」
と考えたのだろう。
その功があってか、相当数の公家が、禿の密告によって、暗殺されたり、遠くに飛ばされ、その領地を奪われることで、さらに平家は強大になり、逆らう人もいなくなってきたというのが実態であろう。
平家物語というのは、そのあたりをちゃんと描かれているようで、当然、権力を持った人間は猜疑心から、密偵を組織して、市中に放つというのは、当たり前のことなのかも知れない。
実際に、
「平家討伐」
ということで、
「鹿ケ谷の陰謀」
というものが発覚したりもした。
この時は、禿による密偵の成果ではなかったが、実際に、そういう陰謀が渦巻いているということが分かると、平家側でも、安心はしていられないだろう。
そんな時代の、禿などによる
「密偵」
と、今回の、
「自粛警察」
とではいろいろな面で違いはあるだろうが、それは時代という時間の隔たりがもたらしたもので、発想としては、変わりのないものなのかも知れない。
今の時代における、
「自粛警察」
というものは、ある意味、パンデミックによって緊急事態宣言が出された時点で、ある程度くらいには、その出現が想像できたかも知れない。
だが、自粛警察というものを予測できたとすれば、やはり、パンデミック関係なく、世間に蔓延してきた、
「コンプライアンス問題による弊害」
といってもいいかも知れない。
この自粛警察が、
「世界的なパンデミックによる弊害だ」
と言われるのであれば、弊害という意味では、自粛警察も、痴漢などの冤罪問題も、同じように、
「コンプライアンスによる弊害」
として、一緒くたにできるのではないだろうか?
そういう意味で、
「今の世の中、自分のことは自分で守らなければならない」
という時代に突入しているといっても過言ではないだろう。
特に、今回の、
「世界的なパンデミック」
と呼ばれる事態になってから、数年が経っても、その伝染病の本来の姿が見えてこない。
そもそも伝染病をもたらすウイルスというのは、
「変異」
というものを繰り返すことで生き残ってきた。
つまりは、
「波というものが何度も押し寄せて、その波がいったいどこで収まるかということは想像がつかない」
と言われている。
しかし、今までのウイルス性の伝染病で言われていることは、
「変異を繰り返すことで、蔓延力は高まることが多いが、重症化と言われる、本来の力は、徐々に弱まっている」
と言われている。
つまり、
「生き残るために、必死になっている分、弱くなっている」
ということになるので、
「特効薬や予防薬を開発しながら、相手が自然に弱まってくれるのを待つしかない」
ということになるのだ。
しかも、今まで伝染病にもあるように、
「ゼロにすることは不可能なので、蔓延しないように、注意しながら、うまく付き合っていく」
という法皇しか、今はないということになるのだろう。
今では専門家もその線でいるようなのだが、国の方針には、疑問を感じることが多い。
確かに、
「疲弊した経済を回す」
というのは、至上命令であり、急務なことではあるが、しかし、伝染病がまたしても蔓延しては、本末転倒だというものだ。
実際に、ほとんどの規制は取り払われ、
「入国制限も撤廃する」
ということで、
「外人が入国してくるようになると、どうなるかということを、本当に考えているのだろうか?」
という問題が浮かび上がってくるのだ。
すでに、外国では、
「マスクをしなくてもいい」
というようなことをいっているようだが、実際に、国内では、一年くらい前に、段階的な入国緩和によってもたらされた、
「蔓延の波」
によって、
「世界で一番感染者の多い国」
ということになってしまったではないか。
つまりは、そんな国になってまで、経済を回すというのは、確かに難しいこともあるかもしれないが、結局は、
「政治家が自分たちの私利私欲を考えて」
ということになるんだろう。
自分たちに入ってくる金。あるいは、いずれ選挙になった時の、票集めと言ったところであろうか?
結果がどうなるかなど、今の時点で予測するのは難しい。しかも、このパンデミックの中では、想像すらできないだろう。
そうなると、政治家としての自分たちの保身に走るのは当たり前なのかも知れない。
そのせいで、
「国家は、もう市民を抑制したりはしないから、自分の命は自分で守ってくれ」
といっているようなもので、表でマスクをすることを容認するようなことをいうのだった。
いくら政治家がバカの集まりだとしても、自分たちの発言を、国民の多くは、
「都合のいいことだけを切り抜いて判断する」
ということは分かっている。
まるで、
「マスゴミ」
と同じであり、今回のパンデミックをパニックとして引き起こした日本のベストスリーとして、上から、
「マスゴミ」
「自分の都合のいいようにしか切り取って話を聴かず、蔓延の直接的な原因を引き起こした一部の国民」
「国民を正しい方向い導かなければいけないくせに、一番右往左往し、一番ひどかったのが、最初の水際対策を行った政府」
という順番ではないかと言われている。
それを思えば、
「自粛警察」
というのも、その中に食い込むだけのものであってもいいのではないかと思える人は結構いることだろう。
しかし、自粛警察というものが、言われているように、
「本当の悪だ」
と言えるのだろうかという問題がある。
いわゆる、
「勧善懲悪というものの、進化系ではないか?」
と考えるのは危険であろうか?
自粛警察が行っていることは間違ってはいない。ただ行き過ぎているわけではない。そういう意味で、禿も近いのかもしれないが、一歩間違えれば社会問題になるということは、同じことであろう。
だから、
「痴漢という犯罪が招く冤罪」
という問題も、この、
「自粛警察」
「禿」
という時代を超越した社会問題の一つとして浮かび上がってきたものではないかと思えるのだった。
痴漢犯罪の冤罪と、ほぼ同意語のように見られるのが、
「美人局」
なるものである。
美人局というと、一般的に思い浮かべるものとして、
「男が女を誘惑し、それに乗った男が女と連れ立って、ラブホテルなどに行き、いよいよというところで、男が入ってきて、「俺の女に何をする」などといって、脅迫し、身分証明などを強奪し、そこから、さらに脅迫をする」
というものである。
これは、脅迫する方からすれば、狙う相手として、
「相手が芸能人などの著名人で、お金を持っている」
ということであった。
さすがに大御所というところは狙わないが、最近売れ出したりした人間を狙ったりするのだ。
これは、
「バラされると困る」
つまりは、
「知名度が落ちる」
ということで、脅迫する側からすれば、
「そんな連中だからバレたら困るということで、ホイホイ金を出すだろう」
という目論見なのだろう。
警察が考えると、
「なんて浅はかな考えなんだ」
と思うのだ。
今までの経緯から、警察は逆のことを考える。
つまり、
「狙われた連中は、脅迫に屈して、最初はお金を払うだろうが、あくまでもそれは最初だけで、彼らには、脅迫者に払うだけの金があるのだから、そのお金で、自分をまもってくれる人たちを雇うことだってできる」
ということを、脅迫する側は分かっていないのだ。
「脅迫されてお金を払うだけの知名度があるのだから、彼らは自分の名誉を守ろうとして、お金を払ってでも、何をするか分からない」
ということが分かっていないのである。
つまり、彼らとしては、
「手を出してはいけない相手を敵に回してしまった」
ということである。
ひょっとすると、芸能プロダクションが、裏でタレントを守るための組織を持っているかも知れない。
それを思うと、
「脅迫をしている連中のバックには、何もついていない」
ということが言えるだろう。
芸能界と、裏組織が繋がっているかどうかまでは分からないが、
「お金を持っていて、美人局に引っかかりやすい」
ということになれば、プロダクションは、少しでも、その被害を減らそうと、動くことだろう。
もちろん、その芸能人の見返りを求められることは当然で、助けられた方も、裏組織から抜けられないということになるだろう。
しかし、チンピラのような連中から助けられたのは、本当のことで、元をただせば、自分が美人局のような、古い脅迫に引っかかってしまったことが、自業自得ではないかと言えるだろう。
だが、チンピラから逃れられたのも本当のことで、結局、スター街道を昇っていくには、
「避けて通ることのできない道」
というものを、
「助けられた」
ということで、少し早く経験するというだけのことではないか?
それを思うと、
「まあ、仕方ないだろう」
と本人も思っているのではないだろうか?
もちろん、
「どっちが正しい」
などということは、いえるわけもない。この場合は、
「裏と表のどちらが、タイミング的に表を向いているか?」
というだけで、どうしようもないことだった。
世の中において、
「結局、悪というものが亡くならないのだから、どんどん、進化しながら進んでいくだけだ」
ということで、まるで、
「伝染病ウイルスが変異していくようなものではないか?」
と言えるのではないだろうか?
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