第40話 お風呂の中だと色々話せるよね
「はあああ、良いお湯だねぇ」
「ああ、癒される」
背中合わせになりながらバスタブに浸かる
グレープフルーツの爽やかな香りに包まれていると、清々しい気分になる。ほんのり漂うラベンダーの香りも癒し効果抜群だ。
お湯の温度は少しぬるめ。長風呂には適した温度といえる。バスルームに持ち込んだ蜂蜜レモンを一口飲むと、いつまでもお湯に浸かっていられるような気がした。
振り返ると、長い黒髪をお団子にまとめたティナがいる。普段は隠れているうなじが見られて、なんだか得した気分になった。
「おい、なにジロジロ見てるんだ」
「んー、ティナちゃんは白いなーって」
「まあ、ずっと森に引きこもってるからな」
「たまには町に出てショッピングとかしないの?」
「人混みを歩くのは苦手なんだ。目が回る」
「えー、目は回らないでしょう」
陽葵はクスクスと笑った。どうやら魔女さんは人混みが苦手らしい。それもイメージ通りだ。
陽葵は両腕を伸ばしながらうーんと伸びをする。のんびりお風呂に浸かっていると、日々の疲れがジワジワ取れていくような気がした。
腕を下ろしながら脱力すると、頭同士がコツンとぶつかった。
「ああ、ごめん」
「平気だ」
怒られなかった。陽葵は体勢を起こしながら、ふうと息をついた。
誰かとお風呂に入るのは久しぶりだ。昔はよくお姉ちゃんと一緒に入っていたけど、大人になってからはそんな機会もなくなっていた。
ちなみにティナに一緒に入ろうと誘った時は、当然のごとく断られた。だけど「別々に入ると最初に入った人が時間を気にしないといけなくなるよ」と伝えると、「確かに……」と一緒に入ることのメリットに気付いてくれた。魔女さんは意外と合理性を重視するらしい。
そういうわけで、陽葵とティナは一緒にバスタブに浸かっている。銭湯のように広々しているわけではないけど、陽葵の住んでいたアパートのお風呂よりはずっと広い。二人で入っても、そこまで窮屈には感じなかった。
お風呂に入ると、つい色々喋りたくなってしまう。昔からそうだ。普段は話さないような話もお風呂の中でなら自然と話せる。
多分、服を脱いだのと同時に、心も裸になるんだと思う。今日も普段はしないような話がしたくなった。
「ティナちゃんはさ、ずーっとここでお店をやってたの?」
「ああ、150年くらいはここで店をやっている」
「一人で?」
「そうだな」
「家族はいないの?」
ティナに家族の話を聞くのは初めてだ。気を悪くしないかと少し心配をしていたが、ティナは躊躇いなく話してくれた。
「魔女は12歳を過ぎたら親元を離れる風習があるんだ。私もそれに倣って家を出た」
「12歳? そんなのまだ子供じゃん」
「魔女の世界ではもう大人だ。自分のことは自分で決められるし、基本的な魔法も習得している。私も12歳になるまでに魔法薬の調合方法をみっちり仕込まれた」
「逞しいんだね、魔女さんは」
人間とは価値観がかなり違うようだ。もとの世界では12歳で独り立ちなんて考えられない。陽葵が12歳の頃は、まだまだ親に甘えていた気がする。
感心していると、ティナはふっと小さく息をつきながら話を続けた。
「人間とは家族の概念が違うんだよ。魔女の親子は、人間のようにべったりしていない。どちらかといえば師匠と弟子のような関係だな。だから一人前になったら巣立っていく。そういうものだ」
「寂しくないの?」
「寂しいという感情自体がよく分からない。一人でいるのが当たり前だったからな」
「そっかぁ」
「ああ、ただ……」
「ただ?」
陽葵は聞き返す。数秒の沈黙が流れた後、ティナは答えた。
「退屈ではあったな」
退屈。そう感じてしまうのも無理はない。150年もの間、一人きりで店を切り盛りしていたのだから。
来る日も来る日も同じことを繰り返して、変わり映えのない毎日が単調に続いていく。そんなのは退屈に決まっている。想像するだけで気が滅入る。
しかしティナの話はそこで終わらなかった。
「けど最近は違う。ヒマリが来てから変わった」
「私が来てから?」
「ああ、ヒマリが来てからは毎日が賑やかになった。いまはもう、退屈じゃない」
その言葉で胸が軽くなる。退屈だったティナの毎日に彩を与えられた。そう考えるだけで、この世界に来た意味があるような気がした。
「そういうお前はどうなんだ?」
「え? 私?」
「ああ、いままでヒマリ自身の話は聞いたことがなかったからな。もとの世界の話とか」
「もとの世界の話かぁ」
ティナにはもとの世界の話をしたことがなかった。別に隠しているというわけではなく、単純に話すタイミングがなかった。
「お前はもとの世界にあまり帰りたがらないが、お前のいた世界はそんなに劣悪な環境なのか? 自由に生きられる権利がないとか、紛争が絶えなくて命の危険に晒されているとか、明日の食べ物に困るくらい貧困に陥ってるとか、そういう世界なのか?」
陽葵は考える。確かにそういう状況に陥っている地域もあるけど、少なくとも陽葵の周りはそうじゃない。
「ううん。ここと同じくらい平和な世界だよ」
「じゃあ、どうして帰りたくないんだ?」
「うーん、どうしてだろうね」
陽葵は口元までお湯に浸かってぶくぶくしながら考える。考えてはみたものの、簡単には答えは出ない。陽葵はバシャンと水音を立てながら体勢を戻した。
「別にさ、もとの世界を嫌っているわけじゃないの。自分の居場所はちゃんとあるし、家族や友達もいる。好きなものだってたくさんある」
その言葉に嘘はない。もとの世界でも何不自由なく暮らせるし、それなりに楽しみもあった。絶望するような状況では決してない。
それでも素直に帰りたいと思えない何かがあった。
「もとの世界での暮らしはね、ものすごく忙しいんだ。やらないといけないことに常に追いかけられている状況だったから。そんな毎日に疲れちゃったのかもね」
この世界に来る前、陽葵は疲れ切っていた。役に立っているのか分からない環境で、毎日毎日遅くまで働いている状況に。何のために頑張っているのか分からなくなっていた。
「じゃあ、もとの世界に帰る方法が分かったとしても、帰らないつもりか?」
帰るか、帰らないか。その選択肢があるとは思わなかった。帰る方法が分からないいまの状況では、考えるだけ無駄なような気もするけど。
だけど、もとの世界に帰る方法が分かったとして、自分は素直に喜べるだろうか? いますぐ帰りますと胸を張って言えるだろうか?
正直よく分からない。かといって、この世界で一生暮らしていくと宣言できるだけの覚悟もなかった。もう二度と家族や友達に会うことはできないと考えると、少し怖い。
「分からないや」
いまはまだ、結論は出せない。帰りたいと思える何かも、ここに留まりたいと思える何かも見つかっていない。
「そうか」
曖昧な返事を非難されると思いきや、ティナは端的な言葉を残すだけだった。やっぱりクールな魔女さんだ。
「私がもとの世界に帰ったら寂しい?」
「どうだろうな」
試すような質問に、ティナは鼻で笑いながら答えた。相変わらず釣れないなぁと思っていると、意外な言葉が返ってきた。
「だけど、退屈にはなるだろうな」
陽葵は咄嗟に振り返る。ティナは背中を丸めながら膝を抱えていた。その姿はいつもよりずっと小さく見える。
はっきりとは言葉にしないけど、寂しいと言われているような気がした。そう考えると、胸の奥がぎゅっと切なくなる。
自分がいなくなれば、ティナは再び退屈な毎日を繰り返すことになる。森の中で一人ぼっちで……。
ティナが一人で店を切り盛りする姿を想像してみた……が、すぐにそうではないと気付く。いまはもう、昔とは違う。
陽葵は背中を合わせたまま、ティナの頭にこつんと頭をぶつけた。そして穏やかな口調で伝えた。
「大丈夫だよ。ティナちゃんはもう一人じゃない。リリーちゃんだって、ロミちゃんだって、アリア様とセラさんだっている。だから私が帰ったとしても、退屈にはならないよ」
コスメ工房を開いたことで、新しい繋がりができた。きっと陽葵がいなくなっても、この繋がりが途切れることはないだろう。だからティナは一人ぼっちにはならない。
そのことに気付いたことで、胸の内に潜んでいた切なさはスーッと消えていった。
「そうだな」
振り返ると、ティナは目を細めながら笑っていた。その笑顔を見て、胸の中が温かくなった。
~*~*~
「良いお風呂だったね! バスソルトを作って正解だった」
お風呂から上がった陽葵は、バスタオルで髪を拭きながらティナに声をかける。ティナは未だ服を着ることなくバスタオルを巻いた状態でフラフラとしていた。
「ああ、むしろ良すぎるくらいだ」
「良すぎる?」
おかしなことを言うティナを見て、陽葵は首を傾げる。ティナの目は焦点が合わずに虚ろになっていた。
「ティナちゃん、大丈夫?」
明らかに様子がおかしい。そう思った直後、ティナはバターンと床に倒れ込んだ。
「ええー! ちょっとティナちゃんどうしたの?」
慌てて駆け寄り身体を揺さぶる。すると弱々しい声が聞こえてきた。
「湯に浸かりすぎて、のぼせた……」
どうやら長風呂が過ぎたようだ。陽葵は急いで二階のキッチンへ走る。
「待っててねっ! いまお水を持ってくるから!」
階段を駆け上りながら陽葵は思った。バスソルトの注意書きにも「長風呂に要注意」と書き加えておく必要がありそうだ。
◇◇◇
ここまでお読みいただきありがとうございます。
「続きが気になる」「陽葵ちゃんの気持ち分かる!」と思っていただけたら、★★★で応援いただけると嬉しいです!
次回はコスメ工房に聖女様がやってきます。その依頼内容は責任重大なもので……!?
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