第33話 口紅の金型がやってきました
とある昼下がり。お客さんの波が落ち着いてホッと一息ついたところ、入り口の扉がチリンチリンと音を立てて開いた。やって来たのは、大荷物を抱えたロミだった。
「ヒマリさん! 頼まれていたものが完成しましたよー」
「本当!?」
陽葵からキラキラした瞳で注目されると、ロミは持参した品物を自慢げに披露した。
「じゃじゃーん! 口紅を作る装置です!」
「わぁ! 待ってました!」
陽葵はパチパチと拍手をしながら歓喜した。
ロミがコスメ工房の機械屋として加わったところで、陽葵はさっそく口紅の金型を依頼していた。色を混ぜて液状にした口紅のベースを固めるための装置だ。
目の前の装置には、口紅のベースを流し込むための穴がいくつも空いている。この装置さえあれば、もとの世界でも売っているような繰り出し式の口紅が作れるはずだ。
「本当に作ってもらえるなんて驚きだよー! やっぱりロミちゃんは天才発明家さんだね」
「ヒマリさんの説明が丁寧だったからですよ! どんな構造になっているのか細かく教えてくれたので、イチから開発するよりもずっとスムーズでした」
実は装置を依頼する段階で、ロミと陽葵は打ち合わせをしていた。その中で口紅の金型がどんな構造になっているのか陽葵なりに説明をしていた。
陽葵は機械に関しては専門外だ。だけど入社1年目の工場研修で、好奇心から現場のおじさま方に機械の構造を根掘り葉掘り聞いていた。
工場の機械に興味を示す女性はかなり珍しかったのか、おじさま方は懇切丁寧に説明をしてくれた。その時の知識がいま役に立ったのだ。
「あの時、色々聞いておいて良かったぁ」
当時を思い返しながら陽葵はふふっと笑う。好奇心旺盛な性格が思わぬところで功を成した。
「それだけじゃありませんよ」
ロミはにやりと笑いながら勿体付けるようにもうひとつの装置を並べる。同時にあるものを取り出した。
「じゃーん! こっちは口紅の先端がリスの頭になるようにアレンジを加えたものです。この型に流し込めば、リス型の口紅もあっという間に作れますよ! 今回はチョコレートで実験してみました」
ロミが手に持っているのは細長いチョコレートバー。その先端はリスの頭の形をしていた。耳、目、口もちゃんと付いている。
「きゃわわわっ!」
あまりの可愛さに陽葵は悶絶した。チョコレートでも十分可愛いが、口紅で作ったらもっと可愛いに決まっている。数量限定で発売したらきっと人気が出るだろう。
盛り上がる陽葵とは対照的に、近くで傍観していたティナは冷静にツッコミを入れる。
「いやそれ、使ったら耳とか取れるだろう」
ティナの冷めた反応を目の当たりにして、陽葵はチッチッチと舌を鳴らしながら人差し指を左右に振った。
「ティナちゃんは、なーんにも分かってないんだね」
「は?」
意味が分からないと言いたげに眉を
「化粧品……とくにメイク用品はときめきも必要なの。ネコの形をしたリップとか、花びらのチークとか、宝石箱のようなアイシャドウとか! 確かにさ、ティナちゃんの言う通り、使ったら形は崩れちゃうよ? でもそんなのはどうでもいいの。お店で見て、一目惚れして、つい手を出してしまう。それがいいんだよ!」
「分かった……分かったから、そんなに熱くなるな」
ヒートアップする陽葵をなんとか宥めようとするティナ。その反応を見て、何とか冷静さを取り戻した。
「ロミちゃんはその辺を理解してくれているようで良かった! コスメ工房の機械屋さんとしては百点満点だよ」
「えへへ、せっかくなら可愛い方がいいですからね」
「その通り! 化粧品は可愛くてなんぼ!」
「なんぼですの!」
高らかに宣言する陽葵とロミを見て、ティナは頭を抱える。
「この二人が暴走すると手に負えないな……」
陽葵ひとりだったら対処できるが、ロミも加わってヒートアップした状態では止めることなどできなかった。
「よーし、さっそくカラーサンドを使って口紅の試作品を作ろう!」
「そうしましょう!」
「おい、店番は?」
「あの……休憩終わりましたー……」
「リリーちゃん、ちょうどいいところに! 店番は頼んだ!」
「ふえっ!?」
休憩から戻ったばかりのリリーを捕まえて店番を託す。リリーはアワアワしながら、陽葵とティナを交互に見つめた。
流石にお客さんが溢れ返っている状況で、二人に店番を押し付けるような真似はしない。お客さんの波が落ち着いて余裕があるから抜けようとしているのだ。
リリーが戻ってスタッフが二人になったところで、ティナも渋々首を縦に振った。
「まあ、リリーも戻ってきたし、いまならアトリエに行っても構わん。だけど、混み合ったら店に連れ戻すからな」
「ありがとー! ティナちゃん!」
お許しを貰い、さっそくロミと一緒にアトリエに向かおうとした。
その直後、またしても入り口の扉がチリンチリンと音を立てて開いた。やってきたのは、アリアだった。
「ヒマリ! 店の調子はどう?」
「アリア様! どうされたんですか?」
陽葵が尋ねると、アリアは得意げに笑いながら両手を組んだ。
「抜き打ち視察よ。投資先のお店がきちんと営業しているか見に来たの」
「なんと……」
抜き打ち視察があるなんて聞いていない。国から援助を受けている以上、サボることは許されないということだろうか?
視察というだけあって、今日のアリアは黒のフードを被っていない。お忍びで来たわけではなさそうだ。
「アリア様が来たということは、セラさんも……」
そう尋ねた直後、セラが店に入ってきた。
「お久しぶりです。ヒマリ様、魔女様。突然お邪魔してしまい申し訳ございません」
やはり専属騎士のセラも一緒だった。当然と言えば当然だ。
「いえいえ、びっくりしましたけど、構いませんよ」
セラに折り目正しくお辞儀をされて、陽葵は恐縮してしまう。するとアリアはイエローがかった澄んだ瞳でこちらを見つめた。
「そういえば、店の外まで賑やかな声が聞こえたけど、一体なんの騒ぎなの?」
どうやら先ほどの陽葵とロミの声は、外まで丸聞こえだったらしい。そう考えると、ちょっと恥ずかしい。
「あははは……新商品の試作をしようと思って、ちょっと盛り上がってしまいました」
「新商品!?」
その言葉を聞いて、アリアは目を輝かせた。そのまま陽葵のもとに飛んでくる。
「ついこの間、洗顔石鹸を出したばかりなのに、もう新商品を作るつもり? やるわねっ」
「お褒めいただき光栄です」
陽葵が照れ笑いをしていると、アリアはウズウズとした表情で陽葵に詰め寄った。
「ちょうどいいわ。私にも見学させて頂戴」
「ええー!? 見学ですか?」
見学したいと言われるのは予想外だった、王女様が見学するとなれば失敗するわけにはいかない。プレッシャーは計り知れないが、キラキラとした眼差しを向けられるとNOとは言えなかった。
「わ、分かりました。ぜひ見学していってください」
こうして王女様の監視のもと、口紅作りがスタートすることになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます