第9話 化粧品作りは原料選びからもう楽しい

「ふむふむ、なるほどー……。この世界に生息している植物は、もとの世界とあまり変わらないんだね。呼び方はちょっと違うみたいだけど」


 銀縁の丸眼鏡をかけた陽葵ひまりは、分厚い植物図鑑を読んでいる。図鑑には、バラ、ラベンダー、ヒマワリ、ガーベラなど見覚えのある植物がイラスト付きで記されていた。


 真剣に文字を追っていた陽葵だったが、だんだん文字がぼやけて読めなくなっていく。どうやら魔法の効力がなくなったらしい。


「ティナちゃーん、また読めなくなっちゃった」


 レジスターの前から声をかけると、棚の掃除をしていたティナから面倒くさそうな視線が飛んできた。


「またか。まだ読むのか?」

「うん。もうちょっとだけお願い」


 両手を合わせてお願いをすると、ティナは小さく溜息をついてから呪文を唱えた。


「パラドゥンドロン」


 すると再び図鑑の文字が読めるようになる。


「ありがとー! ティナちゃん」

「言っとくけど、これが最後だぞ。さっさとこの世界の文字を覚えろ」

「はーい」


 陽葵はこの世界の文字が読めない。そんな欠点を魔法で補ってもらっていた。


 いま陽葵がかけている眼鏡には、誰でも文字が読めるようになる魔法が込められていた。効力は約30分と少し短めだけど。


 そして効力が切れる度に、ティナに魔法をかけ直してもらった。ちなみにいまので3回目だ。


「だいたい急に植物図鑑が読みたいってどういうことだ? 何を企んでいる?」


「企んでるなんて人聞きの悪い! 私はただ、化粧品の原料になりそうな植物を探しているだけだよ」


 化粧品を作るなら原料が不可欠だ。もとの世界とは勝手が違う異世界で、どんな原料があるのか調査したかった。


「それで、良さそうな植物はあったのか?」

「うん! 私の知っている植物もたくさんあったから作れそうだよ」


 植物図鑑には、化粧品の原料になりそうな植物もたくさん記されていた。アロエにカモミール、ローズマリー、ヘチマ。どれも市販されている化粧品にも使われている人気の成分だ。


 原料選びから楽しくなってしまう陽葵は、植物図鑑を眺めているだけで心が躍った。


 そんな陽葵を呆れたように眺めながら、ティナが尋ねる。


「だいたい化粧品を作るって、何を作るつもりなんだ?」


 そういえばティナにはまだ伝えていなかった。陽葵は植物図鑑をレジスターの隣に置いてから、えっへんと胸を張りながら告げた。


「まずは化粧水と乳液を作るよ。スキンケアの基本だからね」


 ティナは眉を顰めながら首を傾げる。


「化粧水は分かるけど、乳液ってなんだ?」


 聞きなれない言葉に戸惑っているようだ。そこで陽葵は化粧水と乳液の役割を伝えた。


「化粧水はね、肌に水分を与える目的で使うものだけど、化粧水を付けただけだと表面の水分がどんどん蒸発していっちゃうんだよ」


「それじゃあ意味ないじゃないか」


「全部が蒸発するわけじゃないから意味がないってことはないんだけど、効果は薄れちゃうよね。そこで役に立つのが乳液なの。乳液には水分だけでなく油分も含まれているから、肌表面の水分を逃がさないように蓋をする役割があるんだぁ」


「要するに、セットで使うことで効果を発揮するというわけか」


「さすがティナちゃん、理解が早い!」


 大袈裟にぱちぱちと拍手をして見せると、ティナは鬱陶しいと言わんばかりに顔を背けた。相変わらずクールな魔女さんだ。


 若干の寂しさを感じながらも、陽葵は再び植物図鑑を手に取る。


「化粧水と乳液を作るためにも原料が必要なんだけど、どれにしようかなー」


 パラパラと植物図鑑をめくっていると、再びティナから質問される。


「この前使った蜂蜜とオレンジフラワーウォーターじゃダメなのか?」


「うーん、蜂蜜化粧水でも悪くはないけど、べたつきが強いから好き嫌いが別れそうなんだよねー……」


「あーあ、確かに肌がぬるっとした感じになったな」


「べたつきって、結構嫌う人がいるからね。せっかくならサラッと使える万人受けする化粧水が作りたいなぁって」


 蜂蜜化粧水の欠点を補える原料を探していると、化粧品にもなじみ深い植物を発見する。


 数珠玉のような種子を付けたイネ科の植物、ハトムギだ。


 ハトムギエキスは化粧品原料としても人気の成分だ。プチプラのハトムギ化粧水は幅広い世代から支持を集めている。


 過去に陽葵もハトムギと日本酒で化粧水を作ったが、肌がしっとりしつつもサラッとした使い心地で、かなり上出来だったのを覚えている。


「ティナちゃん! この植物って入手できる?」


 手招きをしながらティナを呼ぶ。ティナは渋々ながらも陽葵のもとまでやって来て、植物図鑑を覗き込んだ。


「ああ、これか。この植物はこの辺りには生息していない。もっと南の方に行かないと取れないぞ」


「えー……そうなんだぁ……」


「馴染みの商人に頼めば取り寄せられないこともないが、いまから頼んでもひと月はかかるだろうな」


「それだと遅いなぁ。もっと身近で手に入る材料で作らないと……」


 陽葵はもう一度、植物図鑑を眺める。


「このあたりだと、どんな植物が入手できるの?」

「そうだなぁ……」


 ティナは植物図鑑をひょいっと奪うと、パラパラとページをめくる。そしてある植物を指さした。


「この辺で大量に取れる植物といったらラバンダだな」

「ラバンダ?」


 陽葵は植物図鑑を覗き込む。そこには紫色の小さな花穂をたくさんつけた植物が描かれていた。その花には見覚えがある。


「ラベンダーだね」


 ティナが示したのはラベンダーによく似た植物だった。見た目だけで判断するなら瓜二つだ。


「どれどれ~。特徴は……心地よい香りが魅力のハーブで、精油として使われることもある。背丈は20~130cm。寒さに強いって、ほぼラベンダーだね!」


 図鑑に書かれていた特徴までもがラベンダーとほぼ一致していた。陽葵が納得していると、ティナが補足をした。


「昨日見せた通り、アトリエにはラバンダウォーターもあるし精油もある。好きに使え」


「精油もあるんだ! それならラベンダー精油を化粧水と乳液の共通成分にしようか! リラックス効果抜群だよ!」


 1つ目の成分はラベンダー精油に決定した。


 とはいえ、水と精油だけでは保湿力は不十分だ。前回は蜂蜜を入れたように、保湿成分を入れたいところではある。


「うーん……。グリセリンがあれば一番いいんだけど……」


 グリセリンとは化粧品や医薬品などに用いられるアルコールの一種だ。粘り気のある無色透明の液体で、高い保湿作用を持っている。


 グリセリンはドラッグストアでも手に入るから、陽葵も化粧品作りでよく使っていた。だけどこの世界にも存在するのかは、ちょっと怪しい。


 独り言のようにボソッと呟いた陽葵だったが、ティナから意外な言葉が返ってきた。


「グリセリンならあるぞ」

「あるの!?」

「ああ、ヤシ油から精製したもので良ければ」

「十分だよ!」


 まさかグリセリンが存在するとは思わなかった。何たる奇跡……と感動したが、よくよく考えてみればそこまで不思議ではないことに気付いた。


「そういえば、バスルームに石鹸があったもんね」


 石鹸の製造方法には、けん化法と中和法の2種類がある。けん化法は、油脂を苛性ソーダで加水分解して作る伝統的な製法だ。


 けん化法で製造した場合は、石鹸の副産物としてグリセリンができる。それらを分離できる技術(もしくは魔法)があれば、グリセリンが存在していても不思議ではない。


「グリセリンがあれば、勝ったも同然だね!」

「何に勝ったんだよ……」


 拳を握ってガッツポーズをする陽葵を見て、ティナは冷ややかにツッコミを入れた。


 勝ったというのは大袈裟かもしれないが、グリセリンがあれば様々な化粧品に応用できるのは事実だ。これを使わない手はない。


「それじゃあ保湿剤はグリセリンを使うとして……」


 着々と成分が決まりつつあるが、まだ足りない。残りの成分を決めるためにも、陽葵はティナのもとに駆け寄った。


「ねえねえ、ティナちゃん。アトリエに保管してある原料をもう一度よく見せてくれないかな? もしかしたら使える原料があるかもしれないし」


「ええー……」


 めんどくさっといわんばかりに顔をしかめるティナ。渋る魔女さんを説得するため、陽葵は両手を合わせてお願いする。


「お願い! ティナちゃん! この通り!」


 必死で頼み込むと、ティナは溜息をつきながら折れた。


「しょうがないな、ついてこい」

「わーい! ありがとー! ティナちゃん」


 こうして陽葵は魔女のアトリエに案内されたのだが……ティナのアトリエには想像以上に色んなものが揃っていた。


「すっごい! こんなのもあるんだぁ!」


 もとの世界にもあるような原料をいくつも目の当たりにして、陽葵は目を輝かせた。


 前途多難に思えた化粧品作りだったが、何とか実現できそうな兆しが見えた。

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