第8話 可愛くなりたいと願うのは異世界でも同じでしょ?
「よし、お肌に異常がないことも分かったし、さっそく化粧水を使ってみよー!」
無事に化粧水が完成し、パッチテストもクリアしたところで、さっそく化粧水を使ってみる。まずはお手本を見せるように
手のひらに500円硬貨大の化粧水を垂らしてから、両手を使って人肌に温める。それから両手で包み込むように顔に化粧水を塗った。
「カラカラだった肌がヒタヒタに潤っていく~」
ふわっと漂うネロリの香りに癒されてうっとりする。そんな陽葵をティナが引いたように見つめていた。
「顔に水を塗っただけで喜んでる……」
まるでおかしな人でも見たような反応だ。
陽葵は温度差をものともせず、ティナにも化粧水の入ったビーカーを手渡す。
「ほら、ティナちゃんも塗ってみて」
「これを顔に塗ればいいのか?」
「うん。こすらないように優しくね」
警戒していたティナだったが、陽葵に促されたことで化粧水を手のひらに垂らす。両手に広げてから、恐る恐る顔に付けた。
ギュッと目を瞑っていたティナだったが、害がないと分かると、ゆっくりと目を開く。
「良い香り……」
紫色の瞳で、手のひらに残った化粧水をまじまじと見つめていた。そのまま指先で頬に触れる。
「いつもより肌が柔らかくなった気がする……」
初めて体験した感覚に戸惑いつつも、感動している様子だった。
「どれどれ~」
陽葵は指の第1関節と第2関節の間を使って、ティナの頬骨に触れてみる。ひんやりむにっとした感触が伝わった。
「おいっ! 何やってるんだ?」
ティナは驚いたように跳びはねて距離を取る。すると陽葵は悪びれもせず、頬に触れた正当性を明かした。
「肌に水分が行き渡ったか確かめたんだよ。ちゃーんと保湿されてるみたいだね」
ティナは「驚かすなよ」と不貞腐れたように呟く。そして陽葵から逃れるようにそっぽを向いた。
その直後、ティナは壁に掛けられた鏡に視線を止めた。そのまま引き寄せられるように鏡の前に向かう。
「なんだ? 肌がツヤっと輝いて見える……」
ティナは鏡をまじまじと見つめながら頬に手を添えている。
「肌に潤いが行き渡った証拠だね」
ティナは依然として鏡の中の自分を見つめている。あまりにまじまじと見入っているものだから、声をかけることすら憚られた。
しばらく様子を見ていると、ティナは静かに語り出した。
「私、町の娘たちよりも顔の色つやが悪いことがコンプレックスだったんだ。魔女だし森に引きこもってるから仕方ないって諦めていたけど、この水を付けたらちょっとはマシになった気がする」
「あー、それは乾燥によるくすみが原因かもね」
陽葵は冷静に分析をする。
肌の水分量が低下すると透明感がなくなってくすんだ印象になる。水分をたっぷり含んだ新鮮な野菜は艶やかに見えるとけど、干からびた野菜はくすんで見えるのと同じ理屈だ。
肌も水分を与えることで、ツヤのある状態に整う。
陽葵にとっては当たり前の理屈だったが、化粧水を初めて使ったティナにとっては衝撃的だったようだ。
「私の肌もこんな風に変わるとは思わなかった。こんなのは魔法じゃないか」
「魔法なんて大袈裟だよ!」
陽葵は両手をひらひら振りながら謙遜する。本物の魔女さんから魔法を使ったと疑われるとは思わなかった。
照れ笑いする陽葵のもとに、ティナはカツカツと靴のかかとを鳴らしながら近付いてきた。
目の前までやって来ると、ティナはほんのり頬を染めながら躊躇いがちにお礼を告げた。
「ありがとう、ヒマリ。お前のおかげで、ちょっとはこの顔が好きになれた」
紫色の瞳は、落ち着きなくうろうろと視線を彷徨わせている。素っ気ない態度ではあるが、感謝してくれていることはちゃんと伝わった。
目の前で照れる魔女さんがあまりに可愛くて、陽葵はティナの両手を握る。胸の奥から温かい感情が溢れ出した。
「こちらこそありがとうだよ! ティナちゃん」
そのままブンブンと両手を上下に振ると、ティナはあからさまに迷惑そうに顔をしかめた。
「離せ、腕が吹っ飛ぶ」
「そこまで強くはやってないよ!」
「いいから離せ。鬱陶しい」
はっきり拒絶されたことで、陽葵は渋々ティナの手を解放する。
感謝こそされたけど、ティナはやっぱりクールだった。
~*~*~
「ヒマリ、狭い。もっと向こうに詰めろ」
「えー、無理だよー」
小さなベッドで、陽葵とティナは窮屈そうに寝転がる。陽葵のベッドがまだ確保できていないため、やむを得ずお邪魔させてもらうことになった。
ティナは迷惑そうにしていたが、床で寝ろとは言わなかった。クールではあるが、根は優しい女の子なのかもしれない。
「こうして一緒に寝ていると、姉妹みたいだね。妹ができたみたいで新鮮だなぁ」
呑気に話すと、ティナは複雑そうに目を細めながら指摘した。
「妹って……私は200歳を超えてるんだが?」
「めちゃくちゃお姉さんだった!」
「人間と魔女の寿命は違うんだよ。魔女は1000年生きる」
「うう……やっぱりここは異世界なんだね。シクシク」
わざとらしく泣き真似をする陽葵を、ティナは鬱陶しそうに見つめる。それから布団をわさっと被って、陽葵に背中を向けた。
「もう寝るぞ」
「えー、もっとお話しようよ」
「しない。おやすみ」
「釣れないなぁ、ティナちゃんは……」
異世界の話をもっと聞かせてもらいたかったけど、今夜は叶いそうにない。陽葵は諦めて目を瞑った。
興奮が冷めないせいか、なかなか睡魔がやって来ない。布団にくるまりながら、陽葵は今日の出来事を思い返した。
公園でおかしな光に吸い込まれたら、異世界に転移していた。そこには本物の魔女さんがいて、箒で空を飛べるファンタジー世界が広がっていた。
そして致命的なことに、この世界には化粧品の概念がない。もとの世界とは何もかも違っていた。
パニックになってもおかしくない状況だけど、いまの陽葵はあまり焦っていない。まったく不安がないと言えば嘘になるが、どうにかなるだろうと楽観視していた。
こんな心境でいられるのは、可愛い魔女さんが隣にいるからだ。ティナと一緒なら、この世界でもなんとか生きているような気がした。
(化粧水を作って喜んでもらえたのも嬉しかったなぁ)
初めてだった。自分の作った化粧品で誰かに感謝されたのは。
日本の法律では、手作り化粧品を人に譲渡することは禁止されている。化粧品製造販売業許可を取得していなければ、販売はもちろんプレゼントすることすら許されていなかった。
だから自分で作ったコスメは自分で楽しむほかない。
化粧品の開発職に就いて、ようやく誰かのためにコスメを作れるようになったが、人に喜んでもらえるコスメは簡単には作れなかった。
だけど異世界にやって来て、状況が一変。
可愛い魔女さんから感謝されたことで、自分の作った化粧品が誰かの役に立てることを実感した。それは胸の内に渦巻いていたモヤモヤが一気に晴れるような出来事だった。
(私がやりたかったのは、こういうことなのかもしれない)
思わず頬が緩む。ティナから感謝されたことで達成感に包まれていた。
たくさんの女の子を笑顔にできる化粧品を作りたい。
その夢に一歩近付けた気がした。
次の瞬間、陽葵はハッと気づく。
「そうだよ! 化粧品を作って売ればいいんだよ!」
陽葵は勢いよく身体を起こして叫んだ。
突然、陽葵が叫び出したことで、夢うつつだったティナも身体を起こす。
「なんだよ、急に……」
目をこすりながら抗議するティナの肩を、陽葵はガシっと掴む。
「この世界には化粧品の概念がないんだよね? それなら私たちが作って売ればいいんだよ」
「作って売る? さっき作った化粧水を売り物にするのか?」
「その通り! だってさ、可愛くなりたいって願うのは、異世界の女の子でも同じでしょ? だからきっと流行るはず!」
意気揚々と提案する陽葵の言葉に、ティナはやや落ち着いたトーンで反応する。
「なるほど、確かにやってみる価値はあるな……」
初っ端から否定するわけではなく、陽葵の提案に可能性を感じているようだった。
その反応を見て、陽葵はさらに乗り気になる。
「せっかくだし、化粧水だけじゃなくて、乳液やクリームも作りたいな。あとあとっ、口紅とかファンデとかメイクにも手を出したいよね。シャンプーもないんだし、ヘアケアに手を出すのもアリだよね~」
ベッドの上でゆらゆらと身体を揺らしながら、これから作る化粧品を想像する陽葵。次から次へとアイディアが浮かんできて止まらなかった。
妄想に浸る陽葵だったが、隣にいるティナはそのテンションにはついて来ていない。ジトっとした目をしながら、冷静に窘めた。
「興奮しているとこ悪いが、今日はもう寝ろ。うるさい」
その言葉で陽葵はハッと我に返る。
「ご、ごめんね! 勝手に盛り上がってー」
咄嗟に謝るも、ティナは不機嫌そうに布団をバサッと被って背中を向けた。
可愛い魔女さんの機嫌を損ねてしまったことに反省しながらも、陽葵は大人しく布団に潜った。
~*~*~
こうして陽葵は、異世界で手作り化粧品を販売することを決意したのだった。
◇◇◇
ここまでお読みいただき誠にありがとうございます!
「続きが気になる」「異世界で化粧品を売るなんて面白そう!」と思っていただけたら、★で応援いただけると嬉しいです!
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