第2話 超常現象に遭遇しました
~回想 17時の
「佐倉さん、試作品の化粧水なんだけど、ぜんっぜんダメ。仕様と違い過ぎてモニターにすら出せない」
カツカツとヒールを鳴らしながら研究室にやって来た女性。その顔を見た瞬間、陽葵の心臓が縮こまった。
彼女は企画部の
ひっつめた髪と跳ね上げたアイラインが威圧的なオーラを放っている。美人であるのは間違いないのだが、陽葵の目にはヴィランズの一人にしか見えなかった。
陽葵はなんとかお姉さまの機嫌を損ねないように、張りついた笑顔を浮かべながらお伺いを立てる。
「えっーと、具体的にどのあたりがダメなのでしょう?」
すると、お姉さまは不満を爆発させたように一気に捲し立てた。
「まずテクスチャーがダメ。仕様書ではとろみを出してって伝えたのに全然出てない。もはや水じゃん。それにしっとり感がイマイチ。もっと保湿剤入れられないの? ベンチマークの商品は使った? 比べてみて、まったく別ものって分からない? ちゃんと自分で使ってみて、いいと思ってから企画部に回して」
「は、はい。そうですよね……」
張り付いた笑顔で頷いて見せるが、そんな小手先の共感ではお姉さまの怒りは鎮まらなかった。
陽葵だってお姉さまの言い分は理解できる。ベンチマークとして渡された商品と、陽葵の提出した試作品とでは似ても似つかないことは分かっていた。
だけどこちらにも事情がある。
「仰ってることは分かるんですけど、コストを考えるとこれ以上セラミドを入れるのは厳しくて……。そ、それにベンチマークの商品って2万円越えのデパコスですよね。それを定価2000円で売るうちが同じように作るのは、ちょっと無理があるんじゃないかなーっといいますか……」
おずおずと言い訳をすると、バンっと机を叩かれた。同時に陽葵の肩もビクンと跳ねる。
「それを何とかするのが、そっちの仕事でしょ!」
「で、ですよねー……」
なんとか調子を合わせて宥めようとする。
陽葵では埒が明かないと気付いたのか、お姉さまは研究室をぐるっと見渡す。
「
「先輩は……えっーと、さっきまでデスクにいたんですが……」
村橋先輩は企画部のお姉さまが来る前まではデスクでパソコンを弄っていた。しかし、いまはもぬけの殻だ。
これはアレだな。逃げたな。
(せんぱーい! 逃げるなんて卑怯ですよー! いくら企画部のお姉さまが怖いからって、後輩をおいて逃げるなんて酷すぎるー!)
頼れる相手が不在と知り、陽葵は心の中でジタバタと暴れまわった。
お姉さまからギロっと睨まれながらも、陽葵は何とか言葉を続ける。
「先輩は、またお煙草かと……」
狭い社内で行くところなんて限られている。行先の候補を伝えると、お姉さまはチッと舌打ちをした。
「クソが……」
お美しいお顔に似合わず、お下品なお言葉が飛び出す。陽葵は乾いた笑顔を浮かべながら打開策を提案した。
「とりあえず、村橋先輩と相談して試作品を作り直します。いつまでに提出すればよろしいですか?」
イライラマックスのお姉さまにさっさとお引き取り頂くためにも、話をまとめようとする。提出期限を尋ねると、衝撃的な言葉を告げられた。
「明日の朝までだね。もともと今日からモニターを始める予定だったんだから。これ以上後ろ倒しにはできない」
「明日の朝って、それは急すぎじゃ……。せめて昼まで待っていただけると……」
いまの時刻は17時。定時まであと1時間。
流石にこの忙しいタイミングで定時ダッシュを決め込もうという度胸はないが、ここから試作品を作り直すとしたらどう考えても終電コースだ。
少しでも猶予を与えてもらおうと交渉してみたが、至極まっとうな理由で却下される。
「明日の昼までに提出して、今日みたいなクオリティだったらどうするの? そこから15時までにリカバリーできる?」
「そ、それはちょっと厳しいかもです。はい……」
「だったら今日中に提出して。確か佐倉さんって、会社から3駅先のアパートに住んでたよね? 終電は0時過ぎまであったはず……」
最寄り駅を特定されて、終電の時刻まで調べ上げられている。ここまで追い詰められたら言うべきことはひとつしかない。
「がんばります」
陽葵は終電コースになることを甘んじて受け入れた。
交渉成立すると、お姉さまはヒールをカツカツと鳴らしながら去っていく。ホッとしたのも束の間、扉を開ける直前にチラッと振り返って声をかけられた。
「試作品できたら内線して。私も終電までいるから」
どうやらお姉さまも終電コースらしい。何となくそんな感じはしていた。
ファンデーションを塗った頬はカサカサとごわついて、すっかりお疲れ顔になっていたから。忙しいのはうちの部署だけではないらしい。
「了解でっしゅ」
若干噛みながら陽葵は空元気で返事をした。明るく取り繕っているが、もう一度お姉さまと顔を合わせなければならないと思うと気が重くなった。
それから先の行動は早かった。
喫煙室で呑気に煙草を吸っている村橋先輩を引っ張り出して研究室に連れ戻した。
後輩をおいて逃げたことを咎めると、村橋先輩は「だってあの人怖いんだもん~」なんて情けないことを言っていたから、軽くお尻を蹴り上げてやった。それくらい手荒な真似をしても許されるような関係性は築けている。
それから問題点を洗い出し、上長にも相談をしながら、なんとか試作品を完成させた。
23時過ぎにお姉さまに提出すると、「まあ、これなら合格かな」と涼し気な顔で言われ、なんとか解放された。
~回想終了~
そしていまに至る。
大好きだった化粧品作りも、いまとなれば楽しいのかよく分からない。コストやスケジュールに縛られて、仕様通りに作るので精一杯だった。
何より自分が誰かの役に立っているとは思えない。
企画部のお姉さま一人ですら満足させられないような自分が、誰かに喜んでもらえるような化粧品を作れるとは思えなかった。
(本当はたくさんの女の子を笑顔にできる化粧品を作りたいのにな……)
理想と現実があまりにかけ離れ過ぎていて、希望が見えなくなっていた。
いっそのこと仕事をやめてしまえば楽になれるのかもしれない。化粧品作りはただの趣味にしてしまえば、こんなに苦しむことはないような気がしてきた。
月明かりに照らされながら、陽葵はアパートまでの道のりをトボトボと歩く。帰り道は分かっているけど、心はすっかり迷子だった。
住宅街を進み、小さな公園の前を通りかかる。そこでふと足を止めた。
(そういえば、この公園を突っ切ればショートカットできるんだよね)
そんなことを思い出していた。
夜の公園というのは何かと物騒だ。酔っ払いや変質者が潜んでいる可能性があるから、普段は避けて通るようにしていた。
だけど今日は、早く家に帰りたい欲が勝って公園を突っ切ってショートカットすることにした。
真っ暗な公園を早足で歩く。念のため、防犯ブザーはすぐに鳴らせるように準備していた。
警戒していた陽葵だったが、ふと別のことに気を取られる。
視界の端では、月明かりとも街灯とも違う光がチラついていた。
驚いて視線を向けると、砂場の中央に金色の光の球が埋まっていることに気付く。それは夜空に浮かぶ満月よりもずっと明るくて、目を細めてしまうほどの眩しさを感じた。
バレーボールくらいのサイズだった光の球が少しずつ大きくなる。気付けば砂場全体を覆うほどに巨大化していた。
(なにアレ? 超常現象?)
非現実的な現象を前にして、心臓が激しく暴れまわる。光の正体が知りたくて、陽葵は砂場に近付いた。
初めは遠くから覗くだけのつもりだった。
だけど近付いた瞬間、まるで掃除機を向けられたように一気に吸い込まれていった。
「ちょっと待って! ええーーーー」
成す術なく、陽葵は光の中に落ちていった。
◇◇◇
本作をお読みいただき誠にありがとうございます!
「クールな魔女さんと営む異世界コスメ工房」はカクヨムコンに参加中です。
「続きが気になる」「陽葵ちゃん頑張って!」「ブラック企業許すまじ」と思っていただけたら、★で応援いただけると嬉しいです!
次回はいよいよクールな魔女さんが登場します。お楽しみに!
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