クールな魔女さんと営む異世界コスメ工房

南 コウ

第1話 憧れていた世界は全然キラキラしていませんでした

 ルピナスコスメ株式会社 研究開発部 佐倉さくら陽葵ひまり

 新卒2年目にして、もう会社を辞めたいです。


~*~*~


 終電に揺られながら、陽葵は深々と溜息をつく。ふと顔を上げると、窓ガラスに映ったくたびれた自分と目が合った。


 紺色のジャケットの背中を丸めながら座席に座る陽葵は、どこからどう見ても疲れ切った大人だ。モカブラウンに染めた前下がりボブが乱れていることに気付き、慌てて手櫛で整えた。


 この様子だと、コーラルピンクの口紅もすっかり色褪せているに違いない。いまの陽葵はまったくもってキラキラしていない。


 電車は速度を落とし、最寄り駅に到着する。停車したと同時に、陽葵は立ち上がった。


 電車から降りると、ふわっと夜風に晒される。空気の籠った車内と比べると、少しだけ息がしやすくなった。


 夜空を見上げると、見事な満月が浮かんでいることに気付く。大きな月を眺めていると、かぐや姫のお迎えがやって来そうな気がした。


 大学時代の陽葵だったら、いそいそとスマホを取り出して写真を撮っていたのかもしれない。だけど疲れ切ったいまは、月を撮影する余裕なんてなかった。


 それでも、月を見て綺麗だと思える情緒が残っていたことにはホッとした。


 くたびれたスーツのおじさんに続いて、改札を通り抜ける。駅から出れば、賑やかな商店街が広がっているはずだったが、深夜0時を過ぎたいまではどの店もシャッターが閉まっていた。


 すっかり眠りについた町を見て、陽葵は再び溜息をついた。


 終電帰りは今週に入って二回目。忙しいのは分かっているけど、こう何度も続くとさすがに堪える。


 今日こそは早く帰ってのんびり湯舟に浸かりたかったけど、それも叶いそうにない。せめてメイクを落として、シャワーを浴びるのだけは死守しよう。


 別に嫌いな仕事をしているわけではない。むしろ憧れていた仕事に就いているのだから恵まれているほうだろう。


 それでも満たされない何かがあった。


 陽葵は厳しい就活戦線を潜り抜け、高倍率の化粧品会社から内定を得た。大手とはほど遠い、名の知れぬベンチャー企業だったけど、念願だった化粧品業界で働けることに心を躍らせていた。


 化粧品業界を選んだ理由はいたってシンプル。化粧品作りが好きだったからだ。


 化粧水もクリームも石けんも、材料さえ揃えれば自分でも作れる。そのことを知ったのは、高校時代に図書館で見つけた手作り化粧品の本がきっかけだった。


 興味本位から本を借り、ネット通販で材料を取り寄せて作ってみた。


 最初に作ったのは化粧水だった。材料は精製水、グリセリン、無水エタノールなど聞きなれないものばかり。それらをキッチンのテーブルに並べ、匙で計りながらくるくると混ぜ合わせた。


 作業自体はとても単純だ。それでも陽葵の心はときめいていた。


 化粧品作りをしている時は、まるで魔女が魔法薬を調合しているような高揚感に包まれる。世の中にはこんなにもワクワクすることがあるのかと驚かされた。


 完成した化粧水は、市販のものと比べたらクオリティは落ちる。だけどそれ以上に、イチから化粧品を創り出すことに魅了されていた。


 それ以来、本やネットのレシピを参考にしながら化粧品作りに没頭した。

 化粧品を作っている間は、家のキッチンが魔女のアトリエに変身した。


 すっかり化粧品の魅力に取りつかれた陽葵は、化粧品開発の仕事に就きたいと決意する。大学は応用化学科を選択し、就職活動の時期になると化粧品会社に片っ端からエントリーした。


 そしてやっとのことで、いまの会社から内定を得た。


 ようやく夢が叶う。この先は大好きな化粧品に囲まれたキラキラとした社会人ライフが待っていると信じて疑わなかった。


 入社1年目は、研修のために製造部や営業部などを転々とした。そして入社2年目の4月からようやく研究開発部に配属された。


 ワクワクした気持ちのまま白衣に袖を通し、研究室に足を踏み入れたが……現実は思っていたほどキラキラしていなかった。


 配属されてすぐの頃は、ビーカーやフラスコの洗浄といった雑用ばかり。その点に関してはまだいい。新人なんだから仕方がないと割り切っていた。


 そして配属から3ヶ月が経過した頃、現実に直面した。OJT担当の村橋むらはし先輩の指示のもと、化粧水作りを担当させてもらえることになった。


 ようやく化粧品が作れる。陽葵はこれまで得た化粧品の知識をもとに「こんな成分を入れてみたらどうでしょう」「こんな香りにしたら素敵ですよ」とあれこれ提案をした。


 しかし村橋先輩は、黒縁眼鏡の奥で困ったように目を細めるばかり。


「……んとね、僕たちは企画部から上がってきた仕様通りに処方を組まないといけないんだ。佐倉さんの好きなようには作れないの」


 遠慮がちに現実を突きつけられた。


 決められた仕様通りに処方を組む。それが研究開発部の仕事だった。オリジナリティなんて端から求められていなかった。


 そして配属されて10ヶ月が経ったいま、仕様通りに作ることの難しさに直面していた。

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