第3話 魔王のいない平和な異世界に転移しました

「おーい、大丈夫かー? 生きてるかー?」


 目を覚ますと、とんがり帽子を被った少女に見下ろされていた。小さくて華奢な身体には真っ黒なワンピースをまとっている。


 陽葵ひまりは仰向けになりながら、目の前の少女をまじまじと見つめた。


 腰まである長い黒髪に、雪のような白い肌。紫色の瞳はまるでアメジストのように神秘的な輝きを宿していた。やや幼さの残る顔立ちから、年齢は10代半ばと想像できる。


 とっても可愛らしいのだけど、どこかミステリアスな雰囲気がある。それはまるで……。


「魔女さん?」


 目の前に佇む少女は、ファンタジー世界に登場する魔女のような風貌だった。


「ああ、私は魔女だ」


 咄嗟に出た感想は、あっさりと受け入れられる。自ら魔女だと認めるなんて、よっぽどユニークな子なのかもしれない。


「それってコスプレなの?」


 私服にしては個性的過ぎるファッションから、コスプレイヤーの可能性が浮上する。もしそうだとしたら、かなりクオリティが高い。


「なんだそれは? 私は魔女のティナだ。城の北西にあるキコリの森で、魔法薬の店を開いている」


「城? キコリ? 魔法薬?」


 ファンタジー要素満載の言葉が飛び出して、陽葵は目をぱちぱちさせる。


 嘘をついているにしては随分スムーズに説明をする。もしや彼女は中二病と呼ばれる類の子なのか?


 一度状況を整理するため、陽葵は地面に手をついて身体を起こす。

 あたりを見渡してから、ようやく事の重大さに気付いた。


 目の前に広がっていた光景は、公園でもアパートでも会社でもない。木々が重なり合うように覆い茂った森の中だった。


 どこからともなく小鳥のさえずりが聞こえる。大きく息を吸い込むと、湿った土の匂いを感じた。


「ここどこ? 東京じゃないの?」

「とうきょう? なんだそれは? ここはソワール王国だ」


 聞き覚えのない地名が告げられる。海外の地名はあまり詳しくないが、少なくとも日本からすぐに行き来できる場所にそんな国は存在しないはずだ。


 陽葵は何とか状況を把握しようとする。記憶を辿っていくと、公園で見た光の球を思い出した。


 光の中に落ちた途端、見知らぬ国にいるとなれば、考えられる可能性はひとつしかない。


「もしかして、これって異世界転移?」


 アニメや小説ではお馴染みのアレだ。剣と魔法の世界にやって来て、魔王討伐をしたりスローライフを送ったりするアレだ。


 まさか自分の身に起こるなんて想像もしていなかったけど、目の前の状況から察するにそうとしか思えない。


 異世界という可能性も否定できないが、死んだ記憶はないから転生ではないと信じたい。現に陽葵の身体も、もとの世界のままだ。


 丸みを帯びたモカブラウンの前下がりボブに、見覚えのある紺色のジャケット。それらは間違いなく佐倉陽葵のものだった。


 転生だったらもっと別の身なりをしているだろう。もしくは赤ん坊からやり直すパターンもある。


 きっと異世界転移だと自分を納得させていると、目の前の魔女さんは冷静にいまの状況を捉えていた。


「なるほど、異世界転移者か。だからそんなおかしな格好をしているのか」


 納得するように頷く。その反応に陽葵の方が驚く。


「異世界から来たって信じてくれるの?」

「ああ、そんな奴が稀にいると噂で聞いたことがある。私は初めて見たが……」


 どうやらこの世界では、異世界転移に理解があるらしい。それなら話は早い。


「私、これからどうすればいいのかな?」


 何かしらの使命が与えられると思いきや、目の前の魔女さんは素っ気ない反応をした。


「知らん」

「ん?」


 予想外の答えが飛んできて、陽葵はきょとんとする。想像していた展開とはだいぶ違う。


「こういう場合ってさ、王様のところに行ってスキル鑑定をしてもらうんじゃないの? ステータスオープンってやつ。その後はさ、勇者パーティーに入って魔王を討伐するんじゃ……」


 アニメや小説のテンプレ展開を思い出しながら語ると、魔女さんは淡々とした口調で告げた。


「安心しろ。魔王は400年前に滅びた。いまは種族間の争いもなく、みんな平和に暮らしている」


「種族間?」


「ああ、人間も魔女もエルフも獣人もドワーフも、みんな仲良く暮らしている」


「モンスターはいるの?」


「いるけど下手に手出しをしなければ襲われない。野生動物と同じと考えればいい」


「要するに、危ない世界じゃないってことだよね」


「まあ、そうだな」


 その言葉を聞いて、陽葵はホッとした。


「良かったぁ。勇者になって魔王討伐しろって言われたらどうしようかと思ったぁ」


 ひとまず闘いに駆り出される心配はなさそうだ。安堵する陽葵に、魔女さんは至極まっとうな現実を突きつけた。


「まあ、さっきみたいに森の中で寝ていたら、モンスターやら野生動物やらに襲われるだろうけどな」


「ひえっ!」


 モンスターや野生動物の餌食にされるのはごめんだ。争いのない世界とはいえ、最低限の身の安全は確保しないといけないらしい。当然といえば当然だ。


 陽葵が状況を理解し始めたところで、魔女さんはくるっと踵を返す。


「じゃあな、せいぜい頑張れよ。異世界転移者」


 魔女さんは無慈悲にも、陽葵を置いてその場を立ち去ろうとする。陽葵は慌てて魔女さんの袖を掴んだ。


「待って待って! 置いてかないで! こんなところで野放しにされても困るよ!」


 陽葵はなんとか魔女さんを引き留めようとする。


 この世界で安全に生きるためには、誰かに頼るほかない。この世界の常識を知らない陽葵が、たった一人でこの窮地を切り抜けられるとは思えなかった。


 もとの世界に帰る方法も、すぐに見つかるとは思えない。となれば、目の前の魔女さんを頼るほかなかった。


 自分より年下に見える女の子に縋るのは何とも情けない話だけど、背に腹は代えられない。陽葵は魔女さんの手を握り、必死にお願いをした。


「お願いです! もとの世界に帰るまでの間、私を保護してください!」

「えぇー……」

「そんな嫌そうな顔しないで!」


 咄嗟に突っ込んでしまったが、魔女さんは渋い顔を浮かべるばかり。


「いやぁ……ただでさえ生活が苦しいのに、もう一人養うなんて……」

「そこを何とか! 異世界転移者は保護しなければならないって法律はないの?」

「ない」

「ないんだ」


 陽葵はガックリ項垂れる。だけどここで諦めるわけにはいかない。


 目の前の魔女さんに見捨てられたら、途方に暮れてしまう。陽葵はなんとか説得を試みた。


「保護してもらうからには、ちゃんと働きます! 一人暮らし歴が長いから大抵の家事はできるし、学生時代はドラッグストアでバイトしてたから物売りだってできるよ!」


「物売り?」


 陽葵の言葉にティナがぴくっと反応する。


「店を手伝ってもらうこともできるのか?」


「もちろん!」


「無給で?」


「う……うん! 宿を提供してもらえるならタダ働きだって構わないよ! 店番だって呼び込みだって何でもします」


「なるほど……」


 魔女さんは考え込むように両腕を抱える。陽葵を保護することが、損か得か判断しているようだった。


 陽葵は畳みかけるように頭を下げてお願いをする。


「お願いします! 何でもするので私を保護してください!」


 異世界転移した途端、危険に晒されるなんて御免だ。身の安全を確保するためにも、必死で魔女さんに頼み込んだ。

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