第3話 閉じ込めていたはずの記憶
兄さんが希望をくれたあの日から俺の怠惰な生活はだんだんと改善されていった
数学英語理科がほぼビリに近い順位で、唯一知識に頼らなくても点が取れてしまう現代文が他の科目に比べて相対的に点数が高い(それでも平均点程度だが)という典型的な劣等生の俺だったが、意外にも勉強にはすんなりと取り組めた。
参考書が学校の授業より分かりやすかったのもあるが、今までの辛い練習による身体的疲労と比べたら椅子に座って勉強しているほうがよっぽど楽だと感じたからだ。といっても脳を長時間行使することにはまだ慣れていないのでこまめに休憩をしているが…
料理や家事に関しても本を読んだり、Youtubeを見ながら実践を重ねたおかげで、人並み程度には自炊や掃除が出来るようになったと思う
そんな感じの生活が続いていき、夏休みが残り1週間となったある日のこと
「あーー疲れた」
数学の勉強に疲れたので休憩しようと思い、今はもう自分専用となっている3人掛けのソファーにバフンっと音を立てて座り、リラックスした面持ちでテレビをつけると、N〇Kの番組が表示された。
運命の悪戯だろうか…
そこに映し出されていたのは全日本中学校陸上選手権大会の1500mの決勝のライブ中継だった
急いでチャンネルを変えたがもう遅い…
二度と思い出すことのないように何重にも施錠をした心の鍵を一瞬で解除してしまう程の鮮明な光景…
普段のポンコツな頭はこういう時に限ってフル活動して、フラッシュバックのように閉まったはずの記憶を脳内に駆け巡らせる
「来年は全中上位入賞間違いないだろうな。」「いや優勝するでしょ。」「中2で1500m4分切るとか未来のオリンピック候補じゃない?」「中学卒業してからも楽しみだな~ どこまで成長するんだろ」
…やめろ
「千条君中2で全国大会の決勝に出るとか本当にすごいよ!どうやったらそんな速く走れるの?」「俺達みたいな凡人じゃ何十年努力したってあいつに追いつけねえよ…」「俺、絶対応援しに行くから!」
やめろやめろやめろやめろ
「来年は君と、ここで最高の勝負が出来る気がするんだ」「おい千条、うかうかしてたらいつでも追い抜いてやるから覚悟しとけよ」「来年はこの4人で1234フィニッシュして会場をあっと驚かせてやろうぜ!ま、優勝するのは俺だけどなw」「おい優勝するのは俺だって言ってんだろッ!」 「「「「あはははははっ!」」」」
いくら叫んでも降り注ぐ言葉の槍は止まることなく、俺の胸に刺さり続ける
周囲の称賛、クラスメイトからの羨望、普段の練習、強化合宿、ライバルとの会話、あの日誓った約束などの思い出の数々は今や、体中を駆けずり回るゴキブリのように全身を蝕む忌まわしき黒歴史で、いくらジタバタしたって振り払われることなく、自分の意思とは真逆に治まる様子がない
もう夢を追うことを諦めたはずなのに、自分が立っていたはずの舞台をリアルタイムでテレビで見ることがこんなにも辛いとは思わなかった
まだ勉強のノルマが達成できてないし、溜まったごみを明日のごみ回収日に備えてまとめておく予定だったが、全てに関して無気力になったこの日は飯を食うこともなく、風呂に入ることもなく、何をすることもなく、ソファーの上でふて寝して一日を終えた
兄さんから希望を貰っても再び、陸上をやろうという気持ちにはなれなかった
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