第10話 シロイテ

 その日から時々雨芽の肩に白い手が現れるようになった。家で一人きりの時に、雨芽が、お姉ちゃんと呼んだ時に。



 雨芽は嬉しくて何かある度に、お姉ちゃんと呼び、白い手が肩に現れるのを期待した。けれど父が来ている時には現れず、雨芽はどこか特別な感じがした。



『雨芽、この間の話だけどね。そろそろ本当にお父さんかお母さん、どちらかを選んでくれないだろうか?一人では心配なんだよ。』



 リビングの明かりの元で父が座っている。雨芽は電話台の傍に立つと俯いた。



『…うん、けど…まだ決められないよ。お父さんも、お母さんも…一緒にここじゃ駄目なの?』



『お母さんは彼氏と暮らしたいって言ってるし…もう離婚も成立してるから。あとは雨芽だけなんだよ。この家も雨芽とお父さんだけが暮らすにはあまりに殺風景さみしすぎるだ。どうだろう?お婆ちゃんとお爺ちゃんは雨芽が来てくれるのを心待ちにしてるよ。』



『そっか…けど…まだお姉ちゃんのこと忘れられなくて。もう少し考えたい。お父さんたちが心配してくれてるのもよく分かってる。だからもう少しだけ…ここにいたい。』



『わかった。ごめんよ、雨芽。』



 父は立ち上がると雨芽の頭を撫でて家を出て行った。玄関ドアが閉まると一人きりの部屋には灯りが強かった。無性に泣きたくなってその場に座り込むと両手で顔を覆った。



『お姉ちゃん…。』



 現れた白い手は雨芽の肩を優しく摩る。冷たくて肩の先から凍ってしまいそうなのに何度でもお姉ちゃんの手を呼びたくて仕方なかった。



『どうしたら…いいの?居場所いくところがないよ。』

 白い手は肩を摩るだけで何も答えはくれない。ただ優しく冷たい手がそこにある。



 姉の日向はいつも暖かい手をしていた。冷え性だという割には薄いピンク色の指先で綺麗な爪が素敵だった。



 雨芽は鼻をすすりながら顔を上げる。視線を肩に寄せると白い手はまだあった。冷たい感触でゆっくりと肩を摩っている。ふとその白い手が姉の日向の手には似ていないことに気付いて声が出た。



『お姉ちゃん…だよね?』



 白い手は何事もなかったようにするっと背中に降りて消えた。姉だと思っていたその手が違うと分かったとき、背中がぞくりとしたが優しく撫でてくれる感触が姉のそれと同じで、もしかしたらお化けになったら変わってしまうのかも知れない、などと思い込んでしまった。



 それから姉の手ではない白い手が出てきても、いつものようにお姉ちゃんと声をかける。本当は姉でなくても良かったのかも知れない。



 独りが嫌で、本当は誰かに傍にいて欲しくて、白い手だけのその存在にどこか救われていたのかも知れない。



『雨芽?ご飯を食べているのかい?』

 ぼんやりとしていたのか目の前の父が心配そうな顔をしている。そういえば父が来ていたのにどこか上の空だった。



『ああ、食べてる。大丈夫。』

『そうか?お父さんもカップメンばかりでなく色々もって来たいが雨芽は食べないだろう?…女の子だからダイエットでもしているのか?』



『してないよ。大丈夫。昨日も…食べたよ。』

 そう言って、何を食べたっけ?と視線を落とす。確かに学校へ行って外にはいたが…どこか店に寄っただろうか?それでもお腹は満たされているし問題はないだろう。



『雨芽…お父さんとご飯を食べに行こうか?』

『いいよ。本当に、お腹いっぱいだから。』



 父の心配そうな顔がやけに気にかかって、また一人きりになると洗面台の鏡の前に立った。鏡に映ったのは青白くクマのできた雨芽の顔だった。

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