闇の先の向こう側

蒼開襟

第1話 あめがふる

 藍色の空が紫に変わっていく。

 そこから漆黒に染まる頃には星がゆったりと顔を出す。

 今夜の月は丸く、見上げた戦儀雨芽(そよぎあめ)は顔色をにごらせた。



 コートの襟を立てて視線を低くする。長い前髪と眼鏡で顔を隠すと早足に歩き始めた。



 まずい、まずい、まずい。こわばって足が縺れてしまう。不安からかポケットに突っ込んだ両手が小刻みに震えている。



 こんなことなら独りで外出するのではなかった。人通りの多いはずの道に出て辺りを見回すがこんな日に限って誰もいない。



 ああ、これは本当にまずい。まずい、まずい。雨芽は出来るだけ外灯のついた場所を選んで歩くも、ふと顔を上げたときにそれを見つけてしまった。



 道の向こう側、真っ暗闇にぼんやりとわかる電柱の後ろ。白い顔がぷかりと浮かんでいる。



 それはゆっくりと這い出てくるように白を大きくした。雨芽はできるだけ目を合わせないように宙を映す。何も聞こえないフリ、何も見えないフリをして震えている足に喝を入れて歩いていく。



 ここでもし振り返って道を戻ったら確実に付いて来る。あれはそういうものだ。



 だからと言ってこのまま進めばついてこない保障はない。落ち着け、落ち着け、いち、に、さん、し。



 いつものように数字を数えて隣を通り過ぎる。

 何も知らないフリをして通り過ぎふと顔を上げるとそこに白い顔がぷかりと浮かんでいた。



 白い顔は顔と呼ぶにはおかしかった。目や鼻の位置がおかしい。しかし雨芽の目をしっかり捉えるとその口はおかしそうに笑った。



『ね、見えテル?体ホシい?ほしイ?ホしい?』



 何か電子音のような声が聞こえて雨芽は固まった。しまったと思った。

 背中が凍り付いている。足も冷たく動かない、こんなときの対処法は聞いているはずなのにポケットに突っ込んだままの手が動かない。



『あああああアアアアあア…。』



 雨芽の体を舐めるように白い顔がずるずると動く。まずい、まずい…このままだと死ぬかも。



 雨芽が視線を落として地面を見ると遠くで携帯電話の着信音が鳴った。

 軽快な音楽は止まらずに雨芽にすがり付いていた白い顔もそちらに興味を惹かれているようだった。



 曲は流行のポップスでサビ前でぷつりと切れると何かジャリジャリと音がした。

 雨芽は動けずにいたが白い顔が離れたようで体が軽くなると少しだけ振りかえった。



 和服の足元が見える。足袋に草履、もしかして…寺生まれの?なんて少し前に流行った怖い話を思い出して息を吐く。少ししてその足が近づいてくると肩を捕まれた。



『大丈夫?』



 肩から氷が解けるように力が抜けて雨芽はそこにへたり込んだ。

 目の前には和服の若い男がいる。



 その片手には握り締められた白い何かが暴れている。雨芽がそれを見て声を上げると、彼はああ、と笑って地面にたたきつけた。



『ぶ…物理なの?』

『ああ、俺はね。それより大丈夫?もうこいつ祓っても祓っても出てくるの。ごめんねー。』そう言うともう一度地面にたたき付ける。



『あの…なんかぐったりしてますよ、それ。』

 男の手から伸びた白いそれは地面にぐったりとへばりついていた。



『ああ、じゃあもういいか。』

 彼はそう言うと胸元から白い紙を出してライターで火をつけた。そして何かブツブツ言いながら白いものの上に置く。すると白いものは紙と一緒に燃え上がり少しの煙だけ残して消えてしまった。



『うん、これでいいでしょ?で、君は大丈夫なわけ?』

『はい。あの…寺生まれの?』

 雨芽の言葉に彼は鼻で笑うと首を横に振った。



『Tさんじゃないから。つうか君、足笑ってるじゃん?』

 そう言われて視線を下ろすとガクガクと足が震えている。



『ああ、ほんとだ。やべ。』

 雨芽が両手で足を触ると男は雨芽をひょいと抱き上げた。



『お、軽い。お家は?』

『え?いや…知らない人ですし。』



『ならウチね。すぐそこだから。』

 男が歩き出すと雨芽が抵抗した。



『ちょちょ、待って。おかしいおかしい。』

『うん?大丈夫よ、うちは何もいないから。それにここほら…あそこ。』



 男は少し先の闇を指差した。暗闇にボウッと浮かび上がる白い何かが瞬きのたびに数を増やしているようにも感じられた。



『ひえ…。』

『よし、ほんなら行こう。』

 男は雨芽を担いだままタッタっと走りだすとその場を立ち去った。



 

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