第16話

 クレオンの講じた策により、魔界と人界の境目にある砦は無事突破に成功した。バトレーツキィを砦に残したまま、クレオンは魔族を率いて長い道のりを進む。日中はなるべく森の奥や洞窟で身を潜め、陽が沈めば足を進めていく。空を飛んではという案も、彼の脳裏によぎった。しかし肝心の空模様は、一層金色に染まりつつある。大群で空を飛ぼうものなら、逆に目立ってしまうだろう。結果、徒歩で移動するしかなかった。

 長い行軍を行う事数十日。ついに一行は、王都近辺までたどり着く。彼はバトレーツキィの到着を待つため、誰にも見つからないよう洞窟で野営を張る。自分達の居場所が分かるように、洞窟の入り口に狼の首を三つほど突き刺しておいた。この狼たちは無謀にもクレオンに挑み、無様にも狩られた哀れな三匹である。

 一日程待つと、バトレーツキィは無事――かどうかは定かではないが、少なくとも目立つ傷はなくクレオンたちのいる洞窟へやって来た。この日、運よく雨が降っており、進攻および潜入にはもってこいだった。


「ただいま戻りました」


 バトレーツキィはやつれた声で告げると、小さな岩の椅子に腰を掛ける。手足や蝙蝠のような羽こそ怪物の類ではあるが、二足歩行という点では人間と相違ない造りであるため、座るなどという動作も行える。


「遅かったな。脱出に手こずったのか」


 クレオンは不愛想な返事を寄越す。


「お言葉ですが、砦にいた兵士たちの目をかいくぐるのに、どれほどの労力が必要かお分かりでしょうか」


 いくらしもべとはいえ、バトレーツキィにも思う所はある。それにクレオンに対して、未だに完全な忠誠を誓っている訳ではない。


「分かってるさ。おかげで同胞たちは助かったんだからな」

「ええそうですね」バトレーツキィはぶっきらぼうに答える。「それで、いつ王都を襲撃するんです? 不本意ですが、今は丁度悪天候に見舞われていますから、襲撃にはもってこいだと思いますよ」


 ため息交じりに提案するバトレーツキィ。彼としては休みたいところだが、クレオンの待ちきれなさそうな表情を読み取るとそうはいかないと考えた。


「そのつもりだ。行けるか?」

「……仰せのままに、魔王様」


 不満げながらも、バトレーツキィは跪く。クレオンは頷くと、他の魔族たちの方へ向く。


「お前達も、準備はいいか」


 一方である程度休息が取れた魔族たちは、気合十分とそれぞれ鼓舞しあう。それからクレオンたちは、洞窟を出て王都へと足を進めた。

 雨降りしきる中、空はかろうじて雲に包まれていた。空が黄金に輝いている間は、地上も明るくなってしまう。クレオンが早めに侵攻を行いたかった理由の一つでもある。しかし悪天候で在れば、空の色など関係ない。月明かりもなく、灰色の雲が果てしない空を隠してくれている。

 森の中を抜けて、ようやく王都の門が見えた時。クレオンたちはそこでいったん足をとめた。そうせざるを得ない理由があったからだ。


「……あれは何です?」


 門前の様子に気がついたバトレーツキィが尋ねた。そこでは兵士たちが集まり、何かを話したり訓練したりしているようだった。松明の明かりが一点に集まるせいか、付近はかなり明るい。


「分からない。訓練をしているのか」

「魔王様でもご存知ないと」


 バトレーツキィ、及び魔族たちに不安が募る。早速案が潰されてしまうのでは、と、一様に危惧した。


「夜が明けるまではまだ時間がかかる。しばらくはこの辺りで様子を伺おう」

「その方がよろしいみたいですね」


 魔族たちは解散の指令を聞いて、各々休みを取り始めた。仮眠を取る者や、静かに話をするもの。クレオンとバトレーツキィは、見張りを始めた。

 しばらく待ったものの、門前の兵士たちは一向に解散する気配がない。魔族たちも先ほどと比べて、仮眠を取る者が多くなっていた。起きている者も、二人の様子を見ているだけだった。


「……全く動きませんね」


 バトレーツキィはうんざりしたように呟く。


「いずれは解散するだろう」

「それまでどうしてろと?」


 ふとクレオンは、バトレーツキィの方へ顔を向ける。


「そういえば、お前のことについてあまりよく知らなかったな」

「私の話をしろと?」

「構わないだろ。それとも、俺の”魔族殺し”の話でも聞きたいか」

「……分かりました。まあ別に減るもんじゃありませんし」バトレーツキィはその場に座ると、ぼうっと王都の方を見つめる。「私が生まれたのは、もう何千年も前の話です。人間達がまだ文明を築き上げ、我々を迫害する前の話です」

「随分長生きしているんだな」

「不死身ですからね」

「その時は、魔族と人間は共存していたのか」

「とんでもない。当時から険悪でしたよ」バトレーツキィは話を変えるように、席払いをする。「当時も魔王様はいましたが、およそ五百年ほど前に、我々がよく知る魔王様に変わったんです」

「神王が倒した?」

「そうです。魔王様は、それはとても力のある方でした。我々はかつて、魔王様の誇る精鋭として仕えた者です」


 バトレーツキィは懐かしむように、遠くを見つめた。


「精鋭? そんなの、俺が魔王を倒そうとした時には見かけなかったが」

「当然です。私以外は、奴に倒されましたから」


 奴、というのは神王ジークヴァルドの事だろう。クレオンは頷く。


「でもお前は不死身だから、生き残ってしまった」

「ええ。ですから前も言った通り、魔王様が不在の間は、古参である私が同胞たちの面倒を見ていたのです」


 なるほど、とクレオンは魔族たちを見る。また数体ほど、魔族が仮眠を取り始めていた。


「ところで、人間の言葉をどうやって覚えたんだ?」

「大したことじゃありませんよ。長く生きていれば、人間の言葉を覚える時間など充分ありましたから」

「まあ確かにな」


 そこで会話は止まってしまった。雨はいっそう強くなり始めており、門の前にいた兵士たちも訓練どころではなくなってきたのか、動きが鈍くなってきていた。やがて彼らの上官が号令をかけると、門番役の兵士数名を残して王都へ戻っていく。それを確認して、クレオンとバトレーツキィは顔を合わせた。


「そろそろ行くか」

「ええ。では同胞たちをたたき起こします」


 バトレーツキィは背後を振り向くと、人間には聞こえない声で魔族たちを起こす。彼らは眠い目をしばたかせながらも、時が来たと知ると自信満々に立ち上がる。


「それで、策に変更はありませんね」


 再び振り返り、クレオンに確認するバトレーツキィ。


「ああ。お前達は門の前――可能なら王都に侵入してもいい。とにかく騒ぎを起こせ」

「魔王様は直接、あの憎き勇者を倒すんですよね」

「そうだ。奴を討った後、城に火を放つ。それが見えたら、すぐに王都周辺を離れろ」

「魔王様とはどこで待ち合わせれば?」

「追手の様子次第だ。もし兵士たちが王の死に気がつけば、お前達どころではなくなるはず。ただしこの森まで来てまだ追いかけてくるようなら、昨日寝泊りした場所がある。場所は仲間に聞け」

「かしこまりました」バトレーツキィは丁寧なお辞儀をしてから、不安そうな表情を浮かべた。「……本当にあの王を討てると?」

「それはお前達次第でもある。被害が大きく成れば、精鋭も出てくるだろう。その時は、お前が同胞を守れよ」

「結局そういう役回りなんですね」バトレーツキィがため息をつく。「まあこれがうまく行けば、我々の野望にも一歩近づきますからね。分かりましたよ」

「頼むぞ」


 バトレーツキィは頷くと、魔族たちへ号令をかける。すると彼らは、すぐさま森を出て王都へ進軍を始めた。

 最初に門番たちへ奇襲をかけると、彼らは数の暴力にあっけなく倒されてしまう。それを見た他の兵士が、眠りに着こうとしていた仲間達をたたき起こす。魔族たちは王都への侵入に成功し、戦いの火種は大きくなっていった。

 クレオンがそれを確認すると、彼も行動を始めた。闇夜と雨に紛れて動き、王都城壁をくるりと回っていく。やがて城の背後へたどり着くと、鉤を取り付けたロープを取り出す。かつて旅をしていた際、これを使う者と出会った際に作り方を教えてもらっていた。それを城壁の上へ投げる。鉤はうまく城壁のへりに差し込まれ、クレオンはロープを引いて落ちないかを確かめると登り始める。兵士たちはほぼ全員が門前へと駆り出されたのだろう。近くを通る者は誰もいなかった。

 城壁をのぼり終わった頃には、騒ぎもだいぶ大きくなっていた。一部では民家が焼けたようで、煙もあがっている。陽動に成功したと知ると、彼はすぐさま駆けだして王の居場所を目指す。

 城内へ入ると、騒がしい外とは違い静まり返った光景になっていた。本来はいるはずだろう王の側近や近親者、あるいは訪問していた貴族が見当たらない。彼らは魔族の侵攻に右往左往しててもおかしくないはず。クレオンは怪訝に思った。

 とはいえ、向かってきたものは斬り伏せればいい。彼は鞘から剣を抜き、ゆっくりと歩いていく。まずは王の寝室へと向かった。

 進んでいくにつれ、彼は一層訝しんだ。この非常時でも、守衛の数人は場内をうろついているはずだろう。しかしいくら進んでも、誰一人見かけない。廊下も暗く、窓からも光は差し込んでこない。

 やがて唯一、明かりの点いている部屋を見つけた。そこは他でもない、王の寝室だった。まさか王が待ち構えているのかとクレオンは思い、剣を強く握る。そして呼吸を整えて、一気に部屋へ押し入る。

 剣を構えた先で、一人の男が立っていた。男の出立は王というより、魔術師のようだった。だがそこらにいるような魔術師ではない。来ているローブには地位を現すように、金細工が施されていた。


「おやおや、やっと来たのですか」


 そう告げると、男はおもむろに振り返る。やせ細ったひげ面に、金細工のネックレスに腕輪。クレオンは見覚えがあった。


「お前、王宮魔術師か」

「こうして話をするのは初めてですね。貴方にとっては」男は訳の分からない話をして、丁寧にお辞儀をする。「改めまして、宮廷魔術師を務めます、ヴァルタルと申します」


 ヴァルタルと名乗った王宮魔術師は、不気味な笑みを浮かべて一礼する。

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