第15話

言葉をしゃべる魔物は、降伏を示すようにクレオンの足もとへ頭を垂れた。


「なんだお前、普通に喋れるんだな」

「はっ! 普段は人間を遠ざける為ですが」

「まあいい。俺の話を聞く気になったか」

「ど、どうぞ何なりと!」


 魔族がそう告げると、他の魔族もひれ伏すように地面へ体を預ける。その姿に、クレオンは若干愉悦感を感じた。


「お前たちに提案がある。魔王の仇を討ちたくないか?」

「魔王様の、ですか」

「そうだ」

「な、何故そんな事を、人間である貴方が?」

「それはどうでもいい。やるか? やらないか?」

「できれば、是非と言いたいところですが……」魔族は背後を振り返る。「ご存知でしょう。以前貴方がここに押し掛けてきた時、我々魔界の戦力は大半を失った。それだけではなく、魔王様が無くなって以来、我々には統率できる者もおりません」


 クレオンは違和感を覚えた。魔族の言い方だと、まるで魔王がとっくの昔に死んでいたようだったからだ。


「待て。数日前まで魔王がいただろう?」


 すると魔族は、顔を上げると人間らしく首をかしげる。


「何を仰っているのやら。魔王様は随分前に討死しましたが」

「いや、いただろう。俺はまちがいなく、そいつを殺した」


 クレオンが必死に弁明するも、魔族にはてんで心当たりがないのか首を横に振る。


「お言葉ですが、貴方が魔界へ来た際、魔王様は不在でした。亡くなって以来、今日までずっと」

「そんなはずは……なら俺が倒したのは……?」


 クレオンは困惑した。必死の思いで倒した魔王は何だったのか。魔族の反応からして、彼らが嘘をついているとは思えない。だが彼は確かに、魔王を倒した。その矛盾は、世界の理を超えているようなものだった。


「せっかくの機会ですからお尋ねしますが」魔族はこれまた人間らしく、手のような部分を怪しく握り合わせる。「貴方は何の目的で、以前こちらへ進攻をしたのでしょうか」


 その質問は、クレオンの理解が及ばないものだった。彼が倒した魔王とは、ならば何故、王は魔王討伐のため、勇者を集めたのか。誰かが嘘をついているのだろうか。彼の脳裏で、永遠に終わらない堂々巡りが繰り広げられようとしていた。


「……いや、そんな事はどうでもいい」思考の底なし沼に浸かる前に、クレオンは考えを振り切る。「それで、俺の案に乗って王都を襲撃するか?」

「ですから、以前貴方が進攻した際に、我々は優秀な兵士を失ってしまったんです。今魔界で戦える者は、ここにいる者で全員です」


 魔族の言葉に、クレオンは一面を見回す。数は百を優に上回るが、とても精鋭とは言えない面々だった。大半は蛙頭の魔族で、これらはクレオンならば片手間に斬り伏せられる。一般市民であれば簡単に屠れるだろうが、武器を持ったものが相手であれば互角といったところ。他も、優秀そうな魔族はいない。


「本当か」

「もちろんです」


 仕方のない事である。魔族の要である魔王は、既に神王ジークヴァルドが討ち取っている。その間に育った魔族の精鋭たちも、数週間程前にクレオンたちが斬り伏せてしまった。後は辛うじて前線を免れた魔族のみであるが、一国を陥落させるのはおろか、砦の制圧すら難しい。


「なるほど、よく分かった」クレオンは悪だくみをするように、にやりと笑う。「もしこの状況が分かれば、王都の連中がここを責めに来るだろう。お前達は家族もろとも蹂躙される」

「それは分かっていますが、しかし今の我々では……」

「だからと言って戦わないのか? 過去にお前達が、ある小国を責めたのを知ってるぞ」

「あれは私の方針に従えなかった愚か者どもです。魔王様不在だというのに、我々に人間界を襲撃できる能力は――」

「お前、さっきからやけに魔王の不在を憂いているよな」


 クレオンは食い気味に話を変える。


「ええ。貴方がた人間に統率者が必要であるように、我々にも統率者が必要なのです」

「ならお前がやらない理由は?」


 蝙蝠の魔族は、人間のように呆れた様子で首を横に振る。


「私には人間で言う……”器量”がないのです。貴方の話に上がったように、反旗を翻されてはどうしようもできないのです。我々も人間と同じよう、言葉と力で束ねる存在が必要なんです」

「思っていたよりも人間みたいなんだな、魔族ってのは」

「我々としては、これ以上ない皮肉ですが」


 蝙蝠の魔族は、これまた人間らしく自らを嘲笑する。クレオンは魔族たちを見回した。人間の顔をしていないものの、皆が一様に不安そうな表情をしているのが分かった。彼らも生きるためには、子孫を繁栄させなければならない。だが今や、絶滅の危機にある。人間側からすれば、これ以上ない喜びでもあろう。かく言うクレオンも、魔族が滅ぶことに際しては肯定的であるが。


「ならばこうしよう」さりとて、今はこの頼りない魔族たちが必要だ。クレオンは剣を地面へ突き立てる。「この瞬間から、俺がお前達を導いてやる」

「なにを仰るかと思えば……人間ごときが、魔王になるおつもりですか」


 クレオンののっぴきならない宣言に、降伏を示したはずの蝙蝠の魔族も難色を示した。人間が魔王になるなど、彼の中でも初めてだった。


「力は示しただろう。ならば今すぐ、ここにいる同胞を抹殺してもいい」


 すると魔族たちは、最後の生存をかけた戦いに臨もうとした。だがそれを蝙蝠の魔族が止める。


「待ちなさい、お前達。この者は既に、同胞を数十ほど倒している。とてもじゃないが、勝ち目はありませんよ」


 でも、と魔族たちは、声に出さずとも目で訴えてくる。


「俺はどちらでも構わない。だが、これだけは約束する」クレオンは剣を地面から抜くと、それを魔族たちへ向ける。「もし俺に従うというのであれば、お前達に繁栄を約束しよう。従わないのであれば、この俺がとどめを刺してやる」


 彼の言葉は、全くのでたらめだった。心には彼らを憂う気持ちなど一切なく、体よく使い潰そうという魂胆しかない。だがそれを見透かされては誰もついてこないと、彼は旅の経験から学んでいる。それも自らが被害者となって味わった、苦い経験ではあるが。


「その為に、この戦力で王都を襲撃しろと」

「策はある。勿論お前達にも被害は出るだろう。だが、魔王の仇は必ず取る」


 いくら神王と言われる者であれ、彼は既に老体。勇者だった頃と比べれば、力も落ちているだろう。倒した相手は違えど、自分は同等の力を得ているはず。クレオンは完全にタカをくくっていた。


「策とは?」


 蝙蝠の魔族は、慎重に尋ねる。


「夜襲をかける。王都の守衛も、最近はたるんでいるみたいだからな。脅かしてやれば、しばらくは慌てふためくだろう」

「しかし人間の王まではどうするおつもりで? 奴らには精鋭が揃っておりますよ」

「馬鹿正直に真正面から突っ込む気はない。お前達が騒ぎを起こしている間、俺が背後から周り王を叩く。魔族の侵攻ともなれば、そちらへすべての戦力を回すはず」

「まさか、自分だけ逃げる気じゃありませんよね」

「そのつもりなら、危険を冒してまで魔界へ来たりしない。お前も魔王の仇が取りたいように、俺も奴の首に用がある」


 クレオンの殺意に気がついて、蝙蝠の魔族は目を伏せる。


「本当に、我々と共に征くおつもりですか」


 クレオンは深くため息をついて、遠くを見る。


「俺も魔王を倒せと言われたが、その結果仲間を失った。王が何故仲間達を殺したのか、俺を殺そうとしたのかは分からない。だが、これは明らかな裏切りだ。なら俺は、このまま黙って見過ごすつもりはない」

「こう言っては何ですが、他に人間の仲間に頼ればよかったのでは?」

「一番頼れた者がいたが、断られた。後は全員牢屋にいるか、既に処刑されている」

「それで、我々魔族を頼ろうと」

「言葉が通じる奴がいて良かったと思う。でなきゃとっくに、お前達を壊滅させていたかもな」


 蝙蝠の魔族は、同胞たちへふり返る。彼らはどうすればいいのか、分からない様子でいた。このまま人間を信じていいのか。だからと言って信じなければ殺される。クレオンの冷ややかな眼が、その機会をうかがっていた。

 彼らも魔族とはいえ、生きる者。生存本能は存在する。種の繁栄のためには、頷きたくない場面でも頷く必要も出てくるだろう。彼らの真意を受け取り、蝙蝠の魔族が再びクレオンの方へ向く。


「最後に一つ、お聞きします」

「なんだ」

「人間側が我々の絶滅を望むように、我々も人間の絶滅を望んでいます。貴方は本気で、同胞を殺すというのですか」

「その馬鹿げた質問に答えてやるよ。世界が俺を裏切ったのだから、当たり前だろ。裏切った向こうが悪い」


 そう告げるクレオンの脳裏には、まだ生きている仲間達の姿が見えた。女王として、一国の主となったカーネリア。彼女がいた時と同じ時期に旅をした、傭兵カシウス。特にカーネリアは、魔族に対して猛烈な復讐心を抱いている。偉大な両親の命を奪った魔族たちに、容赦などしないだろう。

 だが結局、クレオンが取ったのは復讐であった。カーネリアと話しても、復讐心が消えなかったからだ。セルマとは、結婚するつもりでいた。心から愛していた。それは若者特有の、中途半端な恋愛ではない。本当の意味で全てを捧げられる女性こそが、セルマだった。

 アーレントとレンカに際しても、彼はいつだって勇気を分けてもらっていた。逆境に討ち負けそうになった時も、二人はクレオンを鼓舞した。アーレントの知恵と、レンカの勇気が、彼の旅を最後まで導いてくれたのだ。旅の経験から、心を許せる人間は多くないと知った彼にとって、二人もまた全てを許せる友人であった。

 そんな大切な仲間を殺した王と黒騎士が、憎くてたまらなかった。今すぐに奴らの首根っこを掴み、はらわたを抉って首に巻き付けてやる。クレオンの脳裏では、憎き二人の死にざまに思いをはせていた。

 クレオンの恐ろしい表情に、魔族たちは怯えすくんだ。この人間は、本気で同胞を殺すつもりでいる。そう受け取り、全員が跪く。蝙蝠の魔族も、目を伏せて膝をついた。


「……この時より、貴方を魔王としてお迎えします。我々に長き繁栄を。そして、人間共の絶滅を」


 蝙蝠の魔族が告げる。クレオンは誰にも聞こえない声で、皮肉だと呟いた。かつて倒そうとした魔王に、自分が鳴り果てるとは。とはいえ復讐のためには仕方のない事である。誰もが神王ジークヴァルドに立ち向かわないのであれば、この者らを番える他ないと。


「約束しよう」


 クレオンは再び剣を地面へ突き刺す。尤もその言葉は、全くの嘘であった。寄る辺のない彼らにとっても、再び魔王が降臨する事はめでたい事である。たとえ人間であろうと、よすががあるという安心感を再び味わえた魔族たちは、不満など言えなかった。


「では改めまして、魔王様。これより貴方の……人間の言葉で言う執政を担当させていただきます、”バトレーツキィ”と申します。以降は、そうお呼びくださいませ」

「魔族にも名前があるんだな」


 一切悪意のない質問に、バトレーツキィと名乗った魔族は僅かに苛立ちを覚える。


「……人間みたいだと、皮肉ではありますが」


「まあいい。バトレーツキィ、含めて全ての”同胞たち”。早速だがこれより王都への侵攻にかかる」

「魔王様、お待ちを!」クレオンが踵を返したところで、バトレーツキィが呼び止める。「魔界と人間界をつなぐ境界には、人間どもの砦があります。しかも戦力的にもこちらが不利。どうやって切り抜けるおつもりですか」


 言われてクレオンも、砦の件に関しては完全に忘れていた。魔界へ来る際は一人だったため、闇夜にまぎれれば簡単にたどりつけた。しかし魔族たちを率いるとなれば、隠れながら進むのにも限界はある。ふとそこで、クレオンはバトレーツキィを見る。


「お前、確か不死身だったな」

「ええ。人間共では私を殺せませんが」

「ならばお前が殿を務めろ。兵士たちがお前に気を取られている間に、俺たちは通り抜ける」

「……簡単に言ってくれますねぇ」バトレーツキィは笑顔を見せつつも、はらわたは煮えくりかえっていた。「いくら私とて、痛みの感覚はあるんですよ。それに不死身だからと言って、串刺しになりたがる者がいるとお思いですか?」

「ならば同胞たちが死ぬだけだ。お前の我儘でな」


 バトレーツキィは落胆のあまり、頭を垂れた。かつての魔王でも、これほどまでの無茶振りをしただろうか。


「……分かりました。では戻る時も?」

「ああそうだ。だがそのためには、砦を抜ける際にも、目的を果たした後でも見つからないよう動く必要がある」

「まあ苦手ではありませんから、その辺りはお任せを」

「よし。ならば出立しよう」

「今からですか? しかしまだ他の者が……」


 バトレーツキィが振り返り、クレオンも同胞となった魔族たちを見回す。一見、装備が必要な用には見えないが、と彼は訝しんだ。


「何か準備でもあるのか」

「彼らにも家族はおりますので、せめて挨拶くらいは……」


 バトレーツキィは一本角のような手を擦り合わせる。


「俺を誑かすつもりなら、やめたほうがいいぞ」

「滅相もありません! 申した通り、我々魔族も人間と似た”文化”をお持ちなのです。大変皮肉ですが」

「さっきから聞いてたが、そんなに共通点があるなら共存もできるんじゃないのか」

「それは不可能です。我々はただ人間に絶滅してほしいのではなく、生きる上で人間が害となっているのです」

「人間からの害とは?」

「逆にして考えてみましょう。もし我々が王国とやらを築き、逆に魔王様ら人間族が、今の我々みたいに迫害を受けていたら?」

「まあ、戦うだろうな」

「そういう事なのです、魔王様。人間と我々には深い共通点がありすぎる故、相容れない存在となってしまったのです。尤も、それは人間同士でも同じなのでしょう?」

「確かにな。人間同士でも諍いは絶えない」


 クレオンはかつての旅を思い出す。彼もよく、人と人のぶつかり合いを目の当たりにし、問題に飛び込み、解決してきた。同じ種とて、争いは避けて通れぬもの。仮に人間と魔族が共生の道を歩めたとして、必ずどちらかが迫害を受ける。クレオンは旅すがら、そうして見捨てられた少数種族もいると知ってしまった。


「たとえ共存できたとしても、いずれは迫害を受けるでしょう。結局、こうして全てを分かつほうが良いのです」

「なるほどな」

「……さて、そういう訳ですから、彼らに時間を与えても?」


 クレオンは自分達が何の話をしていたのか、つい忘れてしまった。何とか魔族たちが、家族と顔合わせをさせるという内容だったのを思い出すと、彼は頷く。


「いいだろう」

「ありがとうございます」

「だが早くしろと伝えておけ。移動は陽が沈んでいるうちに済ませたいだろう?」

「仰る通りです」


 魔族にとって、太陽はさほど天敵ではない。だからと言って好物でもなく、特に明るい時間だと自分達の出立がはっきりとわかってしまう。その為できるならばと、彼らも日の光は避けるようにしている。

 バトレーツキィは魔族たちへ声をかけると、彼らは一斉に散り散りになった。それから振り返ると、何故か背を伸ばす。


「魔王様」

「どうした。畏まって」

「貴方のお陰で、私の肩の荷もおります。どうか、彼らを導いてやって下さい」


 何であれ、バトレーツキィの同胞を思う気持ちは本物だった。長年魔王がいない間、彼はずっと頼りなくも魔族たちを取り持っていた。それでも自分が目を向けられるものには限度があり、全員が彼に従っていたわけではない。しかし、こうして魔王が再臨したおかげで、彼は一歩引いた側から支えるだけの役職へともどれた。彼の言葉には、並ならぬ感謝の気持ちで溢れていた。

 だがそんなものは、クレオンにとってどうでもいい事であった。既に彼の耳からは、バトレーツキィの感謝は抜け落ちてしまった。彼の頭には、既に復讐を果たせることへの喜びのみしかない。ようやく、王を殺せると。

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