第14話
ある晩、クレオンは繁みの中から王都騎士が駐留する砦を見張っていた。砦の重大さは、静かな夜でもせわしなく行き交う松明が物語っている。彼から見えた数は、両手でも足りない程。時折部隊長あるいは指揮官の怒声が響きわたる。兵士たちも口答えを一切せず、身を引き締める。
クレオンはこの砦に用がある訳ではない。行き先は砦の先、果てなく続く不毛の地。だがそこへ至るまでには、砦以外の遮蔽物はない。彼が今身を潜めている丘を降りれば、後ははげかけた草原が続いているだけ。闇夜にまぎれて動こうにも、明かりを向けられれば発見されてしまうだろう。
この砦は、不毛の地へ行くものがいないよう、あるいはそちら側からやって来る『望まれない来客』への対処を行うために建てられたものだ。ゆえに兵士たちも厳しい訓練を積み、人々に仕えることを心から誓った献身者のみで構成されている。彼らは行き来する者を、たとえ虫一匹でも見逃さない。小さな虫が望まれない来客でもあったり、あるいは不毛の地へ向かおうとする自殺志願者を止めるためだ。
クレオンにとって、この砦を突破するのは容易ではなかった。以前はジークヴァルド王から言伝を授かり、その旨を伝えれば喜んで送り出してくれた。しかし今は誰の許可も得ていない。もし見つかれば、ただでは済まないだろう。それが王の殺そうとした、勇者であるならば尚更。
幸いと言えるのは、月が隠れた空模様だ。たとえ数十人が松明を持ち、周囲を警戒していても隙は出来る。クレオンはひたすら機を待つ。睡魔は復讐心がかき消していた。
しばらく待つと、巡回する兵士たちもわずかに気のゆるみが出来ていた。司令官か隊長だろう兵士が床に就き、しばらくが経過していたからだ。兵士の中に欠伸をするものや、ついうたた寝に身をゆだねようとする者が現れた。その度に彼らは、自らが身命を賭して誓った使命を思い出し、踏みとどまる。僅かな隙でこそあったが、クレオンには十分すぎだった。
やがてあらゆる状況が飽和点に達し、大きな隙が出来る。クレオンはおもむろに茂みから出て、音を殺しながら中腰のまま駆ける。姿が松明に照らされないよう気を付けながら、砦を中心に大外を回る。ふと気づかれたのか、塔から見張っていた兵士が松明をクレオンの方へ向ける。彼は明かりに気がつくと、ぴたりと動きをとめてじっと待つ。ふと彼と砦の間を、水滴のようなものが通り過ぎる。兵士は気づかず、そのまま振り返ろうと――したが、目端で水滴を見つける。水滴は脈絡なく動いており、明らかに不自然だった。
「魔族が侵入したぞーっ!」
兵士が声を上げるやいなや、すぐさま砦は慌ただしくなった。警鐘が鳴り、一瞬にして兵下たちが水滴の方へ駆けだす。寝ていた者達もまばたきする間もなく起き上がり、すぐさま武装して砦の中をかけていく。
幸運にも、魔族らしき水滴はクレオンの進行方向と逆へ向かおうとしていた。お陰で不毛の地側は手薄になり、彼はすぐさま駆けだす。
砦の喧騒が遠のいたころ、ようやく彼は走るのをやめた。辺りは剥き出しになった岩肌や、まるで灰のような土が辺り一面に広がっている。地べたではぽつぽつと、この地で花を咲かせようとした草花の骸が顔をのぞかせていた。水もなく、太陽もない。枯れ果てた地に、人影はいない。
突然、クレオンは鞘から剣を抜く。彼は遠目ながら、こちらにやってくる影に気がついていた。影は空からやってきており、翼のようなものを生やしていた。それが数十匹。
彼はその場で立ち止まると、剣をかまえる。やがて飛来してきたそれは、姿を現した。蛙か飛蝗のような頭部に、蝙蝠のような翼。かつてクレオンたちが戦った魔族の一つである。
この不毛の地は、ほかならぬ魔族の住処『魔界』であった。クレオンは向かってきた魔族を斬り伏せていく。最後の一匹になったところで、彼は魔族の翼を掴むと地面へ叩き付けて、頭部に剣を突き立てる。
「俺の言葉が分かるか」
魔族は不快感あふれる鳴き声を上げる。
「今、魔界を仕切っているのは誰だ」
魔族は答えないのか、答えられないのか、鳴き声を上げ続けた。
「今すぐそいつを呼んで来い。貴様らの王を殺した勇者が、会いたいと言ってるとな」
「ニンゲンフゼイが、ナンのヨウだ」
ふと、つたない声が聞こえてくる。クレオンは魔族を足蹴にして、そちらを向く。目の前にいたのも魔族だった。蜥蜴のような胴体に、これまた蝙蝠のような羽をもつ魔物。さらに特徴すべきなのは、人間と同じ二足歩行だったという点か。
「貴様が今の魔王か」
「ホザケ。ニンゲンにはカンケイない」
「関係ある。魔王がいるのならば、今すぐここに連れてこい」
「ダマレ。オマエはイキてカエサナイ」
蝙蝠の魔族の背後から、次々と他の魔族が現れる。それぞれ蟻や蜘蛛、鳥といった同粒を象った姿をしていた。
「お前達と争う気はない」
「ナラバ、ココでシネ」
クレオンはため息をついた。彼は出来るなら、他の魔族を倒したくはなかった。しかし他の魔族は彼に襲いかかって来る上、意思疎通が出来そうな蝙蝠の魔族はこの始末。
どちらにしろ、彼がここへ来たのは賭けみたいなものだった。クレオンは左手に治癒の神聖魔法を唱えると、その手で蝙蝠の魔族を掴む。人間にとっては傷をいやす神聖魔法も、魔族にとっては毒となる。魔族はクレオンに触れられた部分から、徐々に腐敗していく。悶える魔族に、彼は一直線に斬る。他の魔族は彼の神聖魔法と、今しがた斬られた同胞に狼狽えた。
「俺の話を聞け」クレオンは止まった魔族へ、声をかける。「お前達と争うつもりはない。ある提案を持って来た」
「テイアン、だと」
ふと突然、倒したはずの蝙蝠の魔族が起きあがる。
「貴様……」
「ワタシ、フジミ。ニンゲンごときではタオセナイ」
魔族はけたけたと笑う。クレオンは再び剣を構えた。
「よく見れば、貴様あの時の」
ふとクレオンの脳裏に、ある光景が思い浮かぶ。かつて魔王を倒そうと、魔界を進んでいた際。魔王の前座として蝙蝠の姿をした魔族を斬った。今彼の前に立ちはだかる魔族こそが、当時斬り伏せたはずの魔族だった。
「オモイダシタカ。オマエをコロしたいとずっとオモッテタぞ」
すると再び、蝙蝠型の魔族は同胞へ号令を――駆ける前に、クレオンが再び斬る。青色の血が噴き出て、魔族は倒れた――が、再び起き上がる。
「イッタロウ、ニンゲンゴトキではタオセナイ」
クレオンはため息をついた。目の前にいる魔族は、不死身である。だがあまりにも弱く、斬り続けると考えると気の遠い話だ。
「諦めろ。お前如きでは俺は倒せないぞ」
「ダマレ」
問いかけに対し、魔族は拒否した。
「なら仕方がない」
クレオンは再び剣を振るう。魔族は死ぬが、生き返る。再び剣を振るうクレオン。魔族は死んで、生き返る。何度も繰り返される光景に、他の魔族たちもじっと様子を伺うしかなかった。彼らとて生きとし生けるもの。無意味な死は避けたかった。
やがてこのやり取りが数百ほど行った。クレオンはこれほどまでに剣を振ったにもかかわらず、涼しい顔をしている。対して魔族の方は、既に周囲を夥しい青い血で染め上げ、顔も疲労が見て取れた。
「まだやるか? 一日中こうしててもいいんだぞ」
「ウルサイ!」魔族は同胞たちへ振り替える「オマエラ、ナニしてる! ニンゲンをコロセ!」
「いいとも。歯向かって来た奴らは、この神聖なる光で焼き殺してやる」
クレオンはこれ見よがしに、治癒の神聖魔法を左手に顕現させる。その光は魔族にとって、本能から逃げなくてはと思わせる程強烈だった。蝙蝠の魔族も、神聖魔法で焼かれた部分はもとに戻っているとはいえ、食らって気持ちのいい物ではない。
「お前は永遠と焼かれたいみたいだな」
「ダ、ダマレ……」
魔族はクレオンの神聖魔法に後ずさる。逃げないよう考えても、本能がそうさせる。
「ならばお望み通り、貴様の醜い姿を焼ききってやる」
「……マ、マッテクレ!」あわてたように、魔族は地面へ足を付けると跪く。「――いえ、貴方に従います! どうかご慈悲を!」
ふと突然、魔族は流ちょうな人間の言葉を話す。その不気味さに、クレオンも一旦剣を降ろす。
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