第56話 葱を背負った鴨 パート3
大勢が空港に集まった結果、内部ではちょっとどころではない騒ぎになりつつあった。
捜索を手伝ってくれた視聴者だけでなく、警察機構やあげく報道機関までがこぞってやって来ていたのだ。ネットでも掲示板や各まとめサイトでも一番の勢いを見せており、もはや大事件に発展しつつある。
改めて、自分の影響力を思い知らされた。空港に着いてすぐ、俺はそれらの洗礼を受けたからだ。
「とんでもない騒ぎになったわね……」
入り口前の人だかりに、白銀がげんなりした様子で呟く。想定外の事態を前に、部下は待機させる方針らしい。向こうにも、公務員のメンツみたいなのがあるとか。
「とにかく入るぞ」
「入るって……」
しり込みする白銀を余所に、俺は空港へ入ろうとした。すると集まっていた人々が、一斉にこちらを振り向く。
「おい、あの人が……」
「Sランク冒険者のダンジョン配信者、キーファンだ……」
報道関係者ならびに一般の人が、節々に名前を呟く。
中から数名、記者らしき者達がやってくる。
「あなたがキーファンさんですよね?」
「人質となった少女を助けに来たんですか?」
「今回の事件について、何かコメントをお願いします」
「すいません、急いでるんで通して」
俺は記者たちのあいだをむりやりこじ開けて、空港内に入る。
中に入ってすぐ、イベント会場のようながやつきが出迎えてくる。巻き込まれただろう一般人は、離れた場所で様子を伺っていたようだ。
彼らの目線の先に、今回の元凶がいた。ある入口の前で、大勢の人だかりができており、そこから無数の怒声やらが聞こえて来る。
「てめぇ乗らせねぇぞ!」
「今すぐその子を解放しなさい!」
「おらっ、さっさとしろクズ野郎!」
声の通りがいい罵声だけははっきりと聞こえたが、それ以外はがやによって消される。
「もう全く、こんな騒動になるなんて……」
そこへ白銀が息を切らしながら近づいて来る。額の汗を見るに、人混みをかき分けるのに苦労したんだろう。
「とにかく行くぞ」
俺は人混みへと向かう。
売店が立ち並ぶエリアを通り過ぎて、検査場の近くに人は集まっていた。俺は一番後ろにいた人たちの間を縫おうと声をかける。
「すいません、通ります」
「ちょ、何――って、キーファンさん!?」
振り向いた人物の声につられて、全員が一斉にこちらへふり向く。一瞬流れる沈黙ののち、人々は俺の名前を声高に叫ぶ。
「キーファンさんが来たぞォ!」
「ウワァキーファンさんだァッ!!」
「遅かったじゃないっすかァ!!」
「待ってました、キーファンさんっ!」
「キーファン様がお通りになるぞォ!!」
すると一斉に道を開けてくれた。まるでモーゼが海を割いたかのように、整然とした光景だった。どうやらこの人たちが、駆けつけてくれた俺のファンだったようだ。
「ど、どうも……」
何となく気恥ずかしくなってしまう自分がいた。
そこへ白銀が手を握り締めてくる。
「これだけの人望があるのよ、貴方には」
言葉通りに、ファンたちは今も俺に進むよう促してくれている。
ファン層はまちまちで、二十歳か三十そこらの若者や、中学生くらいの年下、中には六十代超えてるだろう老人も何人かはいた。男女比率はどちらかというと男性の方が多いが、三割程度は女性だった。
一か月前、底辺配信者だったはずの俺だが、今はこれほどのファンに囲まれている。しかもこれはまだ一握り。数えてみた限り百人程度しかいない。
もしファンが全員集まったらどういう光景になるか。全員が俺の名前を叫ぶ場面は、きっと度肝を抜かすだろうな。
などと考えながら、作られた道の先にいる人物に目を向ける。警官や空港の係員に囲まれた先で、紫スーツを着た瓜田と、不安でいっぱいの表情を浮かべた綾の姿があった。
歩き始めると、ファンたちが掛け声をかけてくれた。
「いけーっ!」
「がんばれー!」
「悪党をとっちめろ!」
いや、俺に出来る事なんてあまりないと思うが。警察が来ている以上、恐らく俺は話をするだけで終わるだろうし。
などと考えながら、段々と瓜田に近づく。そしてそれぞれの声が聞こえる距離まで来ると、向こうはこちらを見て一歩退く。
「……げっ、来やがった」
「由倫君……!」
隣にいた綾が駆け寄ろうとしたが、その肩を瓜田の手が止める。
声につられて、警官達もこちらへ顔を向けた。
「あなたがキーファンさんこと、松谷丹由倫さん?」
「ええ、そうです」
答えながら、俺は警官達の近くまでやって来た。
「今回の騒動を引き起こしたのはあなただと」
「あー、後ろの人たちの事ですよね?」
「まあそうですね」警官は手帳を取り出すと、それを開かず持ったまま話を続けた。「出来れば野次馬たちを帰らせてもらえませんかね。捜査に支障が出るので」
「と言われても、全員俺のファンですし」
「いや、事件には関係ないでしょ?」
「関係ありますよ。あの二人を探すのを手伝ってくれたんですから」
そう言ってやると、警官はため息をついて帽子を脱ぐと、額を袖で拭く。
「……まあいいでしょう。ただし終わったら必ず帰るよう指示してくださいね」
「どうも」
それから警官は、俺に話してもいいと言わんばかりに道を開けてくれた。俺はその先にいた瓜田の前に立つ。
「そんで、戎谷はどうした?」
「おいおい呼び捨てかよ」
「呼び捨ても何も、アイツはオレをこき使ってるだけのクズだったからな。で、どうなった?」
「その前に、お得意の似非関西弁はどうした」
「うるっせぇんだよテメェ。戎谷はどうなったかって聞いてんだ」
何故戎谷にこだわるかは不明だが、俺は首を横に振った。
「さあな。飼い犬に手をかまれたようだが、そっから先は知らん」
「へっ! ざまぁないぜ!」
何故か喜ぶ瓜田。
「その分だと、随分戎谷を嫌っていたようだな」
「ったりめェよ。アイツ、下っ端の稼ぎをぶっこ抜いてくしか能がないクズだったからな。こっちがどれだけ稼いだところで、全部アイツに持ってかれちまうんだよ」
「ならそのこじゃれたスーツは何だ?」
「はァ? スーツかって何が悪いってんだ!? ボロい服着てる奴が大金稼げるっつって、誰が信用するってんだよ!!」
ごもっともな話である。ネットでかじった情報だが、営業職につく人は借金してでも見栄を張る必要があるそうだ。そりゃあホームレスみたいな恰好をして「お金持ちになれますよ」「お得ですよ」なんて言ってくるようなのを信じるはずがない。
「俺が言いたいのは、その割には儲かってそうだって事だよ」
「儲かって悪いか? 儲けて悪いか? 金を稼ぐのがそんなに悪いかよ!?」
「別に悪いとは言わねぇけど、手段くらいは選ぶべきだろうが」
「うるせぇよクソガキが。世の中なぁ、金が全てなんだよ! どこへ行っても、何をしても金、金、金。金こそが正義なんだよ!!」
「……哀れね」
隣で静観していた白銀が、つい言葉を漏らす。
「なんだてめぇは」
「これは失礼」白銀はスーツのポケットから、身分を示す手帳を提示した。「鑑定局主任捜査官の白銀よ」
「鑑定局だとォ……?」
「後で貴方が行っている転売ビジネスについて、詳しく尋ねたいのだけれど……まずはその子を解放しなさい」
「へっ、それはどうかなァ!?」
すると瓜田はポケットからナイフを取り出して、綾の首に突き立てる。
「きゃあっ……!?」
「な、こら! 今すぐ武器を捨てなさい!!」
警官達もあわてて警棒を取り出したり、中には銃を取り出そうとするのもいた。
「動くな! 動いたらこの女を殺す!」
瓜田は完全に一線を越えてしまった。この時点で、もう完全に人質事件と言っていいだろう。
「瓜田、今すぐ綾を放せ」
「うるせぇ!! こうなりゃこの女も道連れにしてやる!!」
「綾は関係ないだろ」
「よく言うぜキーファン……いや、松谷丹由倫! これも全部てめぇの自業自得だ!」
「なんだと……」
「テメェが戎谷の提案に乗ってりゃあ、こんなことにはならなかったんだよ。何なら大人しくボコられてるかすりゃあな」
「お前、なんでそこまで俺に固執するんだ」
「テメェさえ引き入れりゃ、あの戎谷もオレを認めてくれただろうからだよ!! あんなクズ野郎でも、金持ってる事に変わりねェからな!」
さしずめ手柄を上げて、戎谷を見返してやろうと考えていたんだろう。だからって何も人質まで取らなくても。
「なのにテメェのせいで全部狂っちまった。むしろオレは被害者だ!」
狂乱し始めているのか、全く筋の通ってない話を始めつつある瓜田。
「馬鹿な事を。貴方は他でもない加害者でしょう」
「うるせぇぞテメェ。鑑定局みてぇな高給取りに何が分かる!!」
「……何が言いたいの」
「テメェらだって散々あくどい事してんだろうが! テメェらだって手数料だ何だいって自分の懐に入れてんだろうが。テメェら鑑定局にオレを批判する権利なんかあんのか!?」
「貴方、本当に何もわかってないのね」
「うるせぇってんだよ! テメェらは普通に法律違反だろうに、こっちの商売は別に法律違反でも何でもねぇだろうが! なのに何でオレらだけ批判されなきゃならない!?」
それについては、先ほどたまきと三人でした話が妥当な理由だろう。
だが、瓜田の言葉もあながち間違いではない。
「確かに、一部の品を除いて転売行為は認められている。転売自体、商売の基本だからな」
「だったら何でテメェは――」
「この手の話をする上では、やっぱりモラルや道徳性を使うしかない。お前の言う通り金を稼ぐのは悪い事ではないし、世の中もっとあくどい事して儲けてる奴もいる」
「そこまでわかって、何でオレにつかねぇんだよテメェは」
「簡単だ。お前の存在が、経済界におけるボトルネックだからだよ」
ボトルネック。首の細い瓶から取って、ある物事の妨げになっている事象を指す。
こいつにはその自覚がないようだが。
「ボトルネックだとぉ……」
「要はお前の存在自体不要なんだよ。ただ品物を買ってそのまま売るだけならともかく、不用意に値を吊り上げたりするのがな」
「だから、それの何が悪いってんだ。法律違反じゃねェだろ」
「経済は大勢で回すもんだ。どんな金持ちでも税金なり公共事業なりで、稼いだ分を世間に還元してる。ところがお前らは、ただ私腹を肥やすだけ。だから批判されやすいんだろ」
「そんなの嫉妬じゃねェか」
「半分はな。だからさっきも言ったように、この手の話になるとモラルや道徳といった話になっちまう」
「何がモラルだ。んなもん現代で守ってる奴なんかいねェよ」
「そうだな。だからこの決着は、昔ながらの民主主義に倣ったやり方で決めるか」
頭にはてなを浮かべる瓜田と綾。ひとまず二人は放っておき、ファンたちのほうへ振り返る。
「えー、これから多数決を取りたいと思います。皆さんに質問をしますので、もしそうだと思った場合は手を挙げてください」
ファンたちは意図を掴めなかったのか、一旦首をかしげる。
「では質問します。転売行為について、賛成の方は挙手を」
この質問に対して、挙手をする者はいなかった。全員が無表情、あるいは神妙な顔つきで微動だにしない。
それだけで答えが出ているも同然だった。だが一応と、俺は再び瓜田達へ向き直す。
「――反対の方ッ!!」
声を張り上げて促す。瞬間、無数の叫び声が空港を震わせた。
「うおおおおおおおおおおおお!! 反対だぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「転売は悪だああああああああああああ!!」
「転売なんか認めねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
「わたしたちの買い物を返せぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
声は全て、瓜田に投げかけらえたものだった。あまりの光景に、奴も冷や汗を浮かべつつあった。
「う、うるせぇっ……! 黙れてめぇら!!」
「往生際が悪いぞ。どう見たって満場一致で反対だろうが」
「関係ねぇっ!!」
「まだ分からないのか、お前」
「何っ……!?」
「見ろ。ここにお前の味方はいるか? 俺はいるぜ、大勢な」
瓜田にそちらを見るよう促すと、奴は悔しそうに歯をかみしめていた。
「……それが何だってんだよ」
「さっきの答えを教えてやるって言ってんだ。お前は転売で金を稼いだようだが、それしか得られなかったんだよ。でも俺は違う。ダンジョンを攻略して、配信をして、自分の足で稼いで来た。結果、俺は金だけじゃなく、名声と信頼を得られた」
「下らねぇ、それが何だってんだよクソガキが!」
「あのな、人が金で買うのは物じゃなくて、信頼なんだよ。そんなのも分かんないで商売してたのか、お前は」
「だから、そんなもん下らねぇって言ってんだよ……!」
「その下らないもんに、絶賛敗北中だろお前。ここにいる全員が、お前のしたことが間違ってるって証明したばかりだろうが」
俺の背後では、尚もファンたちが瓜田を睨んでいるだろう。その中に誰一人、奴を心配するものなどいない。
どれだけ金を稼いだとしても、信頼がなければ繁栄は続かない。長く商売を続けられる者は、どんな形であれ信頼に応えて来た。だからこそできる人脈や人望があり、それが結果的に富を生む。
金とは一人の人間が動かしているのではない。それは経済における大前提の一つだ。
「く……クソがぁぁぁぁぁぁぁ!!」
結果、瓜田が重ねてきた価値観は瓦解した。いや、元々脆いものがようやく崩れたんだろう。こいつは自分を正当化しなければならない程に弱く、その癖大金を手にしようとした。
最初から、瓜田は金持ちになる器じゃなかったって事だ。
ここに瓜田の仲間は居ない。いや、誰も奴の主張を受け入れたりしないだろう。それが奴の積み重ねてきたものだ。
「哀れね」
白銀がぽつりとつぶやく。その表情には笑みが浮かび上がっていた。
一方、瓜田は現実が見えてくると、膝から零れ落ちる。綾も解放されて、すぐにこちらへ駆け寄った。
「由倫くんっ……!」
「綾、大丈夫か」
と尋ねたものの、代わりに綾は苦しい程に抱きしめてきた。
「怖かったよぉ……!」
緊張が解けたからか、ぐずぐずと泣き始める綾。その度に体に回された腕が、俺の身体を締め付ける。
「ちょっ……苦しい」
「あらあら……」
白銀に助けを求めようとしたが、面白おかしそうに傍観しているだけだった。これは死ぬまで終わらないだろうな。
「おっと、もう解決しちゃってたんですねっ!」
ふと突然、近くで快活な女性の声が聞こえてくる。それによって綾も済し崩し的に離れてくれた。
「貴女は……!?」
白銀が驚愕したように一歩下がる。その先にいたのは、一人の美女だった。
桜色の長い髪。整った顔立ちはアイドルのような愛らしい笑みを浮かべて、しかし服装は黒いスーツを着こなしていた。
明らかに只者ではない。俺の直感がそう告げた。
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