第54話 葱を背負った鴨 パート1

「綾、どうした!?」


 つい声を荒らげてしまい、たまきと白銀も席を立ちこちらに耳を傾けてくる。


「何が――」


 尋ねようとした白銀を、俺は唇の前に指を立てて制止する。


「綾、今何処にいるんだ」


「『それが……きゃっ――』」


 綾の声が遠ざかる。電話を無理やり取られたんだろう。


「『用件は一つ。先ほどお前にした提案、それを受けてもらう』」


 なるほど、やっぱり転売ビジネス目的か。


「それはさっき断ったはずだ」


「『だが今回は違う。もし断れば、この女を海外へ売り飛ばしてやる。それが嫌なら、提案を受け入れるんだな』」


 奴ら、そんなに俺を怒らせたいようだな。


 だがここで癇癪を起しても、綾の身が危ない。そしてまだ、取れるカードはいくらでもある。


「……なら、交渉がしたい」


「『交渉?』」


「そうだ。そっちの提案を受け入れるとしても、細かい話は直接会って話した方がいいだろう?」


「『ほう……』」


 相手の男は、意味深な相槌を打つだけだった。


「分からないか? 俺が言いたいのは、アンタらの要求を受け入れるとして、そっちにも細かい条件を付ける余地を与えようってんだ」


 そう伝えると、しばらく沈黙が続く。


 三十秒程か、向こうは「なるほど」と漏らした。


「『いいだろう。待ち合わせ場所は後で地図を送る』」


「よし」


「『それと、もしこの件を警察か相応の機関に告げ口したら、女の身は保証しない。分かったな』」


 人質事件によくある通例文句だな。


「ああ、いいだろう」


 でも頷いておく。むしろ俺としても、そっちの方が好都合だからだ。


 電話はそこで切れた。俺はスマホをポケットに仕舞う。


「何があったの?」


 白銀は先ほどしかけた質問をしてくる。


「知り合いが人質に取られた」


「人質って、どうして……」


「さっきあって来た奴らが、俺にムカついたんだろうよ」


 あるいはあらかじめ計画していたか。戎谷の家を出てからまだ三時間と経っていない。その間に綾を誘拐するには、あらかじめ綾の動向を抑えておく必要があったはずだ。


 恐らくは俺が断った時用に備えていたんだろう。


「と゛う゛す゛る゛の゛?」


「向こうは俺をご所望みたいだから、会って話してくる」


 そう告げてさっさと向かおうとしたが、白銀に手を引かれる。


「待って。いくら貴方でも一人では危険だわ」


「う゛ん゛。わ゛た゛し゛た゛ち゛も゛い゛く゛よ゛」


「いや、別に一人で十分なんだが……」


 別に無策で会いに行くわけではないんだし。そう思っていても、白銀もたまきも心配なのか、なかなか引っ込んでくれない。


「これでも私は鑑定局主任捜査官なのよ。いざという時には、部下を総動員させられるわ」


 ああそうか。もしこの一件を片付けるなら、鑑定局の人間がいたほうがいいかもしれない。


 この状況は、俺たちが抱えている問題を全て解決できる絶好の機会でもあった。


「わ゛た゛し゛も゛」


「いや、たまきは家で休んでたほうがいいだろ。クシナの事もあるし」


 たまきに期待できる事は、現状あまりない。なので大人しく家で待っていてくれた方が助かるのだが。


 不服気にふくれっ面を浮かべるたまきだったが、結局は頷いてくれた。


 そこへスマホに着信が入る。先ほどの人物が、待ち合わせ場所の地図を送って来てくれたようだ。


「じゃあ留守番頼むぞ、たまき」


「大丈夫。由倫の事は私に任せて」


「……う゛ん゛」


 俺たちは着の身着のまま、家を出る。今は時間が惜しい。こういう問題は、出来る限り早期に解決させた方がいい。


 少なくとも俺の考えでは、人質が無事でいられる猶予時間のリミットまではかからないだろう。いや、そうじゃなくても今日中に終わらせてやる。





 例の人物が指定したのは、人気のない埠頭の倉庫だった。


 埠頭には錆びて動かなくなった巨大なクレーンやエンジンとタイヤのないフォークリフト、雑草の生えた空きコンテナであふれかえっていた。既にここで業務は行われていないのだろう。


 暗い倉庫群の中に一つ、かすかに明かりがついている倉庫があった。そこが待ち合わせ場所だ。


「……嫌な予感がするわ」


 当たり前だが、こういった状況で平穏に事が済むはずがない。


「けど行かなきゃ綾が危ないだろ」


「その子って、配信に出演してた……」


「ああ」


 奴らが何故綾を攫ったのか。恐らく配信に出ていたから、俺の知り合いだと踏んだんだろう。後は一体誰が、綾の情報を漏らしたか。いや、配信を見てりゃ誰でもわかるか。


 今日攻略したダンジョンから逆算すれば、俺たちの活動範囲などある程度分かる。無論、その状態での捜索範囲はあまりにも広い。だが不可能ではない。人員など、金さえあればいくらでも補充できるからだ。


 明かりのついたコンテナに近づくにつれて、わずかではあるが人の喧騒が聞こえて来た。どれもガラの悪そうな男の声ばかり。


「やっぱり応援を呼びましょう」


 白銀がスマホを手に取ったが、俺はそれを止める。


「大丈夫だ」


「いくら貴方でも無茶よ。ざっと数えても相手は十人以上いるわ」


「別に喧嘩なんかしねぇから大丈夫だ」


「でも……」


「とにかく、白銀はここにいろ」


 俺一人ならともかく、白銀付きだといろいろとよじれそうだからな。


「……分かったわ。でももし危ないと思ったら応援を呼ばせてもらうから」


「そん時は……まあ好きにしろ」


 どっちにしろ、その必要はなさそうだがな。白銀は近くの物陰に身を潜めた。俺は明かりのついた倉庫の戸を開ける。


 瞬間、喧騒がぴたりと止み、全員がこちらを振り向く。


 思ってた通り、全員ガラの悪そうな人間だった。左手には顔にピアスを埋め込んだり、入れ墨を入れたヤンキーの集団。右手には高級そうなスーツに身を包むも、顔に浮かぶ刃物の傷痕や白くなった片目、これまたシャツの中からかすかに見える入れ墨と、まるでヤクザのような集団。


 その中心にどっと構えていたのが、ワインレッドのシルクシャツに身を包んだ戎谷だった。


「よぉ。約束通り来てくれたようだな」


「時間がないから手短に要求を言う。綾を解放しろ」


「いいぜ。てめぇがこっちの要求を呑むってんならな」


「ならその答えを、この場で言わせてもらおう」俺は深呼吸をする。「お断りだ」


「なら、あの女を売り飛ばしていいんだな?」


「いいや、綾をお前らの好きにはさせない」


 そう答えると、戎谷は周りにいた男たちを見回す。


「てめぇが出来んのは分かってる。でも流石にこの数が相手じゃ無理だろ」


 ざっと見流しても、二十人は固いだろう。それに何人かは金属バットや鉄パイプ、ナイフや床屋で使うタイプの剃刀を持っている奴もいた。


 一方で俺は武器の類を持っていない。はたから見れば不利だろう。


 尤も俺は、こいつらと殴り合いをするつもりはない。


 恐らくこいつらは、戎谷が金で買った用心棒と言った所だろう。ただ奴は、こいつらの脳みそを高く買いすぎた。突く余地を与えてくれたのは有り難い。


「確かにな。俺は武器も持ってないし」


「なら、てめぇが選べる道は一つだけだ」


「いいや、もう一つある」俺はゴロツキどもを見回した。「アンタら、そこの男にいくら貰った?」


「……何言ってやがるてめぇ」


 ゴロツキ共に変わって、戎谷が答える。


「お前には聞いてない。で、いくら貰った?」


 すると頭の悪そうな、背の低い半裸のヒョロガリがベロを出しながら掌を見せる。


「ザっと五ってとこだァ……」


「五万だな」


「テメェみてえなガキ潰して五万だ。しかも全員にだぜ?」


 右手側の集団にいた、アゴのしゃくれた男がさらに付け加える。


「なるほど。よく分かった」俺はうなずき、ポケットに手を入れる。すると全員が武器を構えたが、俺は直ぐに制止した。「武器じゃない。スマホを出すだけだ」


 宣言通り親指と人差し指でスマホを出すと、全員武器を降ろす。


「てめぇ、サツでも呼ぼうってか」


「いや、ただ……」再びゴロツキ共を見回す。「誰か口座番号教えてくれないか?」


 するとごろつき共は互いの顔を見合い、どっと大きく下劣な笑い声をあげた。


「こいつバカだぜェ!」


「ガキがいっちょ前に口座番号だぁ!?」


「さっさとぶっ殺しちまおうぜェ!?」


 そう叫ぶごろつき共。内一人、虹色に髪を染めたヤンキーがが完全に馬鹿にしたような笑みを浮かべながら、スマホを取り出す。それからこちらに歩み寄ると、画面を見せてくれた。


「募金お願いしまーす……ププッ!」


 おどけたように告げるヤンキー。再び沸き上がる笑い声。


 だが俺は口座番号を確認し、そこへ入金手続きを済ませた。


 スマホに通知の音が鳴り、ヤンキーはメッセージでも来たのかと嘲り笑いながら確認した。その表情が一転して、驚愕の文字を浮かべる。


「……んなっ!?」


 それからヤンキーは、仲間達の下へ駆け戻る。


「んだよテメェ、どうした」


「だってホラ、アイツ寄越してきやがった!」


「何言ってんだてめ――マジじゃねぇか」


 虹色髪ヤンキーのスマホを見て、仲間達も一斉にたじろぐ。


 そこへヤクザ側の一人が近づいて、スマホを見せるように手を差し出す。ヤンキーは画面だけ見せてやると、すぐに俺の方へふり向き直した。


「もし俺の依頼を受けるってんなら、あんたら全員に同額を支払う。真ん中のゴキブリ野郎は除いてな」


「な……てめぇっ!!」


 二勢力の中心にいた戎谷が、あわてふためく。


「んで、テメェの依頼ってのは」


 ヤクザ側の一人が尋ねる。


「簡単だ。中心で得意顔になってるマヌケをとっちめりゃいい」


 するとヤンキー側、ヤクザ側双方が戎谷を睨む。


「……待てよお前ら。金は払っただろ」


「十五万も貰えるんだぜェ? ヤルよなフツー?」


 ヤンキー側の一人が仲間達に声をかける。同調する仲間は「オーッ!」と一斉に声を張り上げた。


「馬鹿一人ぶっ飛ばして十五万も貰えんだ。こんないいシノギは他にねェぜ」


 ヤクザ側も、猛獣のような眼差しを戎谷に向けつつ頷く。


「待て。じゃあ額を増やそう。それなら――」


「なら俺は奴が提示した額の二倍払おう。百万でも、一千万でも」


 預金は充分にある。その気になりゃ、このゴロツキ全員に億を払うのもやぶさかではない。


 綾を助けられるなら、金などいくらでもくれてやる。


 それでもう戎谷は、完全に優位を崩された。膝から落ちて、双方を交互に見やる。


「待ってくれ。頼む、助けてくれ」


「で、全員にいくら払うんだ?」


 俺は戎谷の下に近づき、尋ねる。


「分かった、オレの負けでいいから、頼む、命だけはぁ……」


 戎谷は笑いながら、瞼に涙を浮かべる。


「嫌だと言ったら?」


「違うゥゥゥ! オレじゃない! 誘拐しようって提案したのはオレじゃないんだよぉぉぉぉ!」


 途端に子供みたいに泣きわめく戎谷。


「お、責任逃れか。だらしないなお前」


「本当なんだよォ!! し゛ん゛し゛て゛く゛れよ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛!!」


 嗚咽を上げながら、俺の足もとに突っ伏す戎谷。濁点交じりの声はたまきで十分なんだがな。


 このまま泣かれては時間の無駄なので、さっさと本題に入るか。


 俺はその場でしゃがみ、戎谷の髪を引っ張り無理やり顔を上げさせた。


「綾はどこにいる?」


「言えばゆるじでくれるんだよなぁっ?」


「で、どこにいる」


「……わからねぇ」


「じゃあしょうがない」


 しらを切るってんならそういう事だろう。俺は立ち上がり――。


「まっでぐれぇ!! いぎざぎはほんどにじらないんだぁぁぁぁ!!」


 鼻声になりながら、俺のズボンに縋る戎谷。


「汚ぇな、離せよ」


 俺は足蹴にして引っぺがす。


「でもぉ、ぐうごおにいぐっでいっでだ!」


 ついには呂律すら回らなくなってきていたようだ。空港、となるとやはり海外へ行くつもりなのか。


 この時代で、北海道や沖縄へ行く以外に空の便を使う者はいない。そして国内で人を売るなら、飛行機を使わない場所で十分だからだ。


 都内には、そういうのにおあつらえの歓楽街もあるようだし。


「どこかは――知らないんだよな」


「おでがじっでるのはぞこまでェ! あどはぼんどにじらねぇんだよぉぉぉぉ!!」


「そうかそうか」


「だのむ……だずげでぐれぇ……」


「さて、どうするか」


「お゛ね゛か゛い゛し゛ま゛す゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛!! た゛す゛け゛て゛く゛た゛さ゛い゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛!!」


 戎谷の喚き声は、広く何もない倉庫の空気によく響いた。耳に不快感を覚えたごろつき共も、耳に手を当てる。


 俺としては、お手上げ状態だった。ごろつき共には約束しちまったし、それにもう、一人にはちゃんと支払ってしまったのだから。


 一度した契約は、しっかりと履行しなければならない。金銭のやり取りが行われたなら猶更だ。これは社会人として、至極真っ当な常識である。


「……お金欲しい人、手挙げて」


 試しに尋ねると、ごろつき共は全員頷いたり、両手を挙げてばたつかせたりしていた。


 それから全員スマホを出して、口座番号を見せてくる。


「ホラ、おれのだ!」


「十五万くれぇ!!」


「おかねちょーだーーーーい!」


 などと言われてはもうしょうがない。俺は一つ一つを確認して、全員に十五万きっちり支払った。


 一人だけ得をしたんじゃ、公平じゃないからな。


「じゃ、後はどうぞお好きに」


「待ってえええええええええええええええ!!」


 叫ぶ戎谷だったが、俺は踵を返す。


「だって、もう支払いは済んだからな」


 さいごにそう告げて、俺は倉庫を出ようとした。


「いやだあああああああああああああああああああああああ!! こ゛め゛ん゛な゛さ゛い゛ぃいいいいいぃぃぃぃぃぃぃいいぃぃぃ!!」


 俺は戎谷の謝罪を受けず、倉庫を出た。最後にごろつき共の歓喜と戎谷の断末魔が聞こえたが、すでに俺の知った事ではなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る