第51話 誘い

 クシナを抱えながら、ダンジョンを出たところだった。


 スマホに着信が入る。宛名は瓜田だった。


「何だ。今忙しい」


 通話を推してすぐに伝える。クシナだけではなく、綾のほうもうつむいたままだった。


「『ああすんまへん。配信終わったところやし、ちょいとお話聞けそうかな思うたんで』」


 いろんな意味でくたくたな今は、瓜田の似非関西弁が耳に障る。ていうか、配信見てたなら話しどころじゃないって分かるだろうに。


「で、用件は?」


「『実は、キーファンさんに会わせたいお方がおるんですわ。その人は、まあウチのボスみたいな方でして……』」


 願ってもない展開だった。しかしまずは、クシナを家に帰さないといけない。


「一旦家に帰ってからになるがいいか」


「『それはあきまへん。ボスはめっちゃ忙しくて、一時間後には東京を出なあかんねや』」


「そんなに忙しいなら、今から向かっても間に合わないんじゃないか」


「『大丈夫ですわ。キーファンさんがいらっしゃるダンジョンから近い場所に住んどりますんで』」


 このダンジョンから自宅までは、およそ一時間弱かかる。往復すれば二時間半以上になってしまうだろう。


 しかしクシナと綾を放っておくわけにもいかない。特にクシナは、自分で立てない程疲弊しているからだ。


 ようやく目的を達せられそうな所だが、仕方がない。俺は断ろうと――。


「……由倫様」ふと、目を覚ましたクシナがかすれるような声で囁く。「わたしの事は大丈夫です。どうか彼奴の根城へ……」


「馬鹿言うな。そんな状態で放っておけるわけがないだろ」


「由倫様。わたしは、足手まといになりたくありません。それに、辺りの木陰で休めば、いずれ回復するはずなので」


「けどな……」


 だからと言って、俺の方が心配になる。こんな何もない場所で放置していくのは可哀そうだ。


「……ゆ゛倫君っ……」ふと、一瞬高い声になりながら綾が呼びかける。「クシナちゃんは……わたしが……送っていくから……」


「綾、大丈夫なのか?」


「クシナちゃんに比べたら……わたしなんか……何でもないよ……」


 そう告げた綾だが、拳を固く握って震えていた。綾だって精神的に参っているはずなのに。


 でも今は、二人に甘えたほうがよさそうだ。これを逃せば、瓜田のボスとやらに会える日は遠のく。全てを決めるなら今日しかない。


「分かった。家はクシナに聞いてくれ」


「うんっ……任せて……」


「由倫様、力及ばず……」


「いや、今日もクシナのお陰で助かったんだから。今日はゆっくり休んでくれ」


「……はい」


 クシナは返事を寄越すと、うなだれてしまった。だいぶ無理していたんだろう。


 綾にクシナを預けると、二人はそのまま去っていく。俺は放置していた瓜田に声をかけた。


「おい、まだそこにいるか?」


「『なんか、すんまへんねェ。無理言ってしもうたよォで』」


「いいさ」尚の事、甚振るのが楽しみになって来たぜ。「で、どこへ行きゃいい?」


「『今キーファンさんのいるところの近くに、公園がありますやろ? そこでお待ちしてるんで』」


 確かこのダンジョンに来る際、ブランコとベンチしかない公園があったような。


「青いブランコとベンチがある公園か?」


「『ええ、そこですゥ』」


「分かった。すぐ行く」


 瓜田が返事を寄越したが、俺は最後まで聞かずに通話終了ボタンを押す。俺はバックパックを背負い直して、ひとまず公園へと向かう事にした。



 ◇



 待ち合わせ場所の公園は、ダンジョンから数分歩いた先にあった。そこで待っていた瓜田は、以前会った時と違う紫のスーツに身を包んでいた。靴や腕時計も、以前のものと違う。


 共通点があるとすれば、高級なブランド品という点だろう。


「お待ちしとりましたで、キーファンさん」


 向こうは俺に気がつくと、軽く頭を下げる。


「で、アンタのボスがいるってのは」


「ええ、この辺りに住んどります。時間もあらへんし、早う行きましょうや」


「いいだろう」


 ペースを握られるのは癪に障るが、ここでぐだぐだと話すつもりもない。時間が惜しいのはこちらも同じだ。


 辺りは都心から離れた郊外というのもあり、閑静な住宅街が広がっていた。休日の昼間だというのに、人の通りは余り少ない。いくつか店を素通りしていったが、人の入りは殆どなかった。


 途中で商店街に差し掛かる。だがどこもシャッターは閉じていて、錆びた看板が空しく降ろされていた。かつても似たような景色が広がっていたみたいだが、第二次世界恐慌で完全にとどめを刺されたようだ。店軒の上にある賃貸にも、人が住んでいる気配がなかった。


 寂れた商店街を抜けて、再び住宅街へ。だがそれらにも人が住んでいる様子はなく、庭に雑草を生やしたままだったり、入り口をロープでふさがれているような場所が目立つ。


 その先で、あまりにも不釣り合いな豪邸が見えて来た。あのカフェと同じ感じの白いモダニズム建築で、柵の中には広々とした中庭があった。恐らくはここだろう。


「ここが、ボスの住んどる家ですわ」


 言われなくても分かっていた。寂れた街に似つかない建物は、まさに貧富の格差を示している。


「なかなかええ家でっしゃろ?」


「ああ」


 俺の家よりも随分と立派な住まいだった。だからと言って、別に負けたといった感情はない。


「ウチもこんな家に住んでみたいもんですわ」


 などとのたつきながら、瓜田はインターホンを鳴らす。しばらくして、がちゃりと受話器のような物を上げたような音が聞こえた。


「『はい、戎谷えびすだにです』」


 声こそ粗暴だが、丁寧な言葉遣いの男の声だった。


「どもっ、瓜田です!」


「『……お待ちを』」


 通話が切れると、数秒後にオート式の門が開く。


「ささ、入りましょうや」


 俺は特に返事もせず、瓜田の後に続く。レンガ張りの道の傍らには、花畑が続いていた。これらは全て、専門の業者によって手入されたのだろう。自分でやるにしては、面積が広すぎる。


 中庭の中心には、天使の像が置かれた噴水があった。特に宗教的な意味合いはなさそうで、高級そうだから買った感しかない。


 その先に、玄関口があった。傍らにはスーツを着た大男が並んでおり、さらに全員坊主頭でサングラス姿だった。まるでクローンのような奴らだったが、幸い後頭部にバーコードはなかった。


 などとボディーガードどもを眺めていると、玄関が開けられる。中から二人の男が現れた。


 一人はスーツにベスト姿で、オールバックの髪型に眼鏡をかけた男。


 そしてもう一人、赤いシルクのシャツから入れ墨をはだけさせた、金髪の男。片手をポケットに突っ込み、もう片手にはワインの入ったグラスを手にしていた。


「そいつが例のキーファンだな?」


 赤シャツの男が、グラスを持った手で指をさす。


「ええそうです! がキーファンです!」


 何故おまえにコイツ呼ばわりされなきゃいけないのか。一瞬瓜田を睨んだのち、俺は再び戎谷の方へ顔を向ける。


「で、あんたが戎谷か」


「そうだ」


 戎谷はそう言い放ち、ワインをひと口飲む。


 てっきり「口の利き方に気を付けろ」と言われると思ったんだが。だからと言って、こいつが優しい人間ではないというのが分かる。奴はずっと、俺を見下したような目で見ているからだ。


「お二方、どうぞ中へ」


 隣にいたベスト姿の男は、丁寧なお辞儀をして家の中へ手を差し伸べた。俺たちは頷き、戎谷の家へ入っていく。

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