第40話 図書室でのひと時

 あのままテラスにいたら、二人とも我慢できなくなってしまうだろう。そう考えた俺は適当な理由を見繕い、何とか二人の元を離れた。


 昼休みが終わるまではまだ時間もあり、どこかで時間をつぶさないといけない。こういう時に一人でいられる空間があれば……。


 と、転校初日の俺も考えた。その結果見つけたのが、図書室である。


 放課後あたりでは利用する生徒も多い図書室だが、昼休み――それも半時間経過してからの時間は基本的に利用者がいない。入室自体は出来るが、貸し出しはやっていないからだ。


 おかげで昼休みだけならば、人目を逃れてゆっくりとくつろげる。そう思い、今日も図書室へとやって来ていた。


 喧騒を背に戸を開けると、すぐに利用していた女子生徒と目が合ってしまった。あれ、普段人はいないはずなのに。


「あ……」


 女子生徒は俺に気がついて、読んでいた本で口を隠す。右目がやや隠れ気味な前髪に、後ろ髪は肩まで程度のセミロングの黒髪。自身のなさが分かるような目つき。


「……なんだ。誰かと思ったら玄野くろのか」


 女子生徒は他でもない、俺のクラスメイトである。転校初日、皆がひっきりなしに押し寄せて来た中で、彼女は唯一来なかった人物だ。


 ただし引っ込み思案な性格らしく、来なかったのも頷ける。教室内でもひときわ浮いている存在みたいだからだ。


「……え?」


 なぜか玄野は、持っていた本をそのまま手放す。ついでに口も開いたままだった。


「ああ悪い。読書の邪魔をするつもりはなかったんだ」


 邪魔になったら悪いだろうし、今日は諦めて帰るか。そう踵を返し――。


「……待って……ください……!」


 大声にならない叫びで、玄野は呼び止めて来た。


「いや、本当に読書の邪魔をするつもりじゃなくてだな……」


 もしかして怒らせてしまっただろうか。まあ読書の時間を邪魔されれば、誰だってキレると思う。


「ち、違います……! そうじゃなくて……」


 しかし玄野は首を横に振る。


「ん? じゃあなんで俺を?」


「その……」


「?」


 言葉を待ってみたものの、玄野は顔を赤らめるだけで何も言って来ない。ただ何となく、彼女が何を言おうとしているのかは分かる。


 多分玄野も、俺のファンなんだろう。それを伝えたくても、口下手だから伝えられないのだろう。俺も過去に、似たような経験をしたな。そん時は相手がキレやがって嫌な思いをしたので、俺は待ってみる事にした。


 それから一分ほど経過して、ようやく玄野は決心したように首を縦に振る。


「……その……松谷丹君……わたしの……名前……憶えてて……くれたんだ……」


 俺は首を傾げた。一応、転校初日にクラスメイト達が簡単な自己紹介をしてくれたのだが、玄野もその一人だ。それに覚えにくい名前ではないのだから、数日経てばクラスメイトの名前も完全に覚えられるだろう。


「そりゃあ、クラスメイトだからな」


「じゃなくて……! その……」


「違うのか?」


「あの……わたし……あんまり名前を……覚えてもらえなくて……」


「そうか? 玄野綾くろのあやって、そんな覚えにくい名前じゃないだろ」


 何なら俺のほうが良く間違えられているほどだ。特に多かったのが、苗字をと間違えられたパターンか。いや俺、春って季節そんなに好きじゃないし、亡くなった友人もいないぞ。


「本当なの……何度名前教えても……皆わたしの名前……すぐに忘れちゃう……」


「でもそういう時、あだ名とかつけて覚えてもらえるだろ?」


「う……」


 玄野は突然、辛そうに眉間へ皺を寄せる。もしかすると踏んではいけない地雷を踏んでしまっただろうか。


「あ……悪い。何か嫌な事思い出させちまった」


「ち……違うの……ただ……そういう友達が……できなくて……」


 考えていた程深刻ではなさそうだったが、本人にとっては死活問題だろう。


「今まで誰か、仲のいいヤツとかいなかったのか」


 玄野は静かに首を縦に振る。


「……わたし……あんまり名前とか……覚えてもらえないし……それに……影が薄いって……よく言われるし……」


 後の方にいくにつれて、声が小さくなっていく玄野。


「玄野は友達が欲しいのか?」


 しかし玄野は、すぐに返事を寄越さなかった。それを直接言うのは気恥ずかしいだろうし、仕方ないだろうが。


 返事を待っていると、ふと校庭の方へ目が行く。昼飯を食べ終わっただろう男子生徒の一団が、サッカーを始めていた。玄野が欲しいのは、ああいう関係なのだろうか。


 っても、薄い関係は煩わしいだけだと思うが。何せ下手に付き合いを断ったりすれば、すぐに仲間外れにされるし。正直、玄野にそういうのは辛いだろう。


「あの……!」


 などと勝手に推測していると、玄野が声をかけてくる。


「どうした」


「その……!」


「?」


  顔を真っ赤にしながら、玄野は口をもごもごさせていた。まさかいきなり付き合ってとか――。


「わ、わたしとっ……お友達になってくだっ!」


 噛んだな。今絶対噛んだろ。本人もそれに気がついて、気恥ずかしさのあまり顔をうずめてしまった。


 ただ俺の方は、どちらかというと安堵したというのが大きい。兼木然り、クシナ然り、白銀然り。普通はもう少し知り合ってから付き合うものなんだがな。そこは流石都会育ち。常識をよく弁えておいでだ。


「ああ、俺でいいなら」


 勿論、答えはすぐに出た。ここまで赤裸々に語ってくれた以上、にするのは申し訳ないし。


「……ほ……ほんとに……?」


 玄野は恐る恐るという言葉が似合うように、ゆっくりと顔をあげる。


「まあ俺自身もあんまし友達いない方だし、友達作るってんなら気の合う相手の方がいいからな」


 愛人は三人もいるけど。


「あ……ありがとう……! 松谷丹君……!」


「別に由倫でいいぞ。友達なら名前で呼ぶものだしな」


「じゃ……じゃあわたしも……綾って……呼んで……!」


「ああ。よろしくな、綾」


 と呼びかけたはいいが、なぜか玄野――いや――綾は硬直してしまった。


「……どうした?」


 すると綾は、蒸気でも出しそうな勢いで顔を赤く染めた。


「はふぅっ……! あの由倫君に……! あの由倫君に……!」


 おかしな息を漏らしながら、ひとりでに興奮を隠せない様子の綾。


「あのぉ、綾さぁん……?」


「はふぅっ……! はふぅっ……!」


 あー駄目だこのパターン。こういう場合、大抵は落ち着くのを待ったほうがいい。しばらくすれば興奮も冷め止むだろう。どれくらい時間がかかるかはその人次第だが。


 ただ、そんな事を分かる自分が何となく悔しい。


 綾の場合、終わりは唐突に訪れた。ふと目が合うと我に返ったようで、机に顔を突っ伏して頭を本で守ろうとしていた。


「うう……ごめんなさい……」


「いや、別に気にしてないって」


 どちらかというと困惑の方が大きいか。


「その……由倫君に……名前で呼んでもらえたのが……嬉しくて……!」


「そう言ってもらえるのは有り難いけどな」


 なだめると綾は顔を上げた。


「あの……もう一回……綾って……呼んで……?」


 よほどうれしいのか、おかわりを要求してきた綾。


「いいけど、は無しだぞ」


「ううっ……」


 また顔を突っ伏してしまう綾。何だか話すたびに、面白いリアクションを取って来るな。それが可愛いと思ったが、本人に言ったら……大変なことになりそうだ。


 ひとまず俺は咳払いをして、しっかりと綾を見据える。


「……綾」


「きゅぅ……!」


 本当はがしたいんだろうが、無理やり押し込めた結果、息だけは漏れてしまったんようだ。その代わりに、足を小さくばたつかせていた。


 そんな訳でしばらく綾に付き合いながら、昼休みを終えた。思えばあんまり気休めにならなかった気がするが、まあ新しい友人ができたし良しとするか。

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