第12話 花屋
店内はたくさんの生花に囲まれて、甘い香りとほんの少し生臭いような匂いに満ちていた。月路は志津の邪魔にならないように、店のすみに身を寄せた。
志津はくるくると踊るように働く。
客の対応はもちろん切り花の水を補充し、日の傾きに合わせて鉢植えを移動したり。サボテンに霧吹きで水を与え、依頼のあった花束の作成などなど。
幼い子が憧れるような花屋の仕事に加え、随分と重労働な仕事も多いと知った。それでも志津は嫌そうな表情一つせずに、むしろ楽しそうに体を動かしていた。月路と比べると体力だけで言えば、確実に志津の方が上だった。
店員は正社員の志津に加え、アルバイトの学生を数人雇っているらしい。店長は別にいるらしいが、未だに現れることはなかった。
閉店の時間までフルに働き、志津は店の締めの作業に入った。ようやく志津と月路の二人きりなったところで、話しかける。
「お疲れ様、志津ちゃん。」
「ありがとう。…月路、結局ずっと店にいたね。」
志津は苦笑しながら、もっと色々なところに行っていいのに、と言う。
「うーん。特に思いつかないかなあ。それよりも、志津ちゃんの働きっぷりを見ていた方が楽しいよ。」
「そう?」
売上金の計算を終えた志津は、ノートパソコンの帳簿に打ち込む。
「どうだった?」
「ここ三か月で一番の売り上げだったけど…、めでたくはないな。」
と言うのも月路の死を悼む花の購入が、多くを占めていたからだ。
「嬉しくない?」
「嬉しくないよ。」
月路の問いに志津は即答してくれる。もっとも彼女ならそう答えてくれるだろうと、安心感があったからこその問いだったけれど。
「このお店って、店長はどこにいるの。もう実質、志津ちゃんが店長じゃん。」
きょろきょろと周囲を月路は見渡して言う。
「ん?ああー…、うちの店長はちょっと変わり者というか…。季節の美しい花を求めて、全国各地を回ってるの。店に配達される花は店長が手配したもので、それが無事の便りみたいなものかな。」
「誰が、変わり者だって?」
不意に背後から声をかけられて、驚きに志津は肩を揺らした。月路と一緒に振り向くと、そこには無精ひげを生やした長身の男性が立っていた。
「神谷店長!?」
志津は驚きに、声を張る。
「早瀬ちゃん、久しぶり~。元気そうだね。」
神谷と呼ばれた男は志津に手をひらひらと振った。月路はじっと観察する。
黒い短髪に、精悍な目つき。汚く見えない無精ひげが力強さを感じる男性だった。インドア派の自分にはない、筋肉のつき方をしていて全体的にがっしりとした印象を受ける。
「…。」
ふと、目が合った気がして月路は視線を反らす。
「いつ戻ったんです?ていうか、どこまで行ってたんですか。」
志津が気軽に、店長に声をかけた。
「うん?ああ、沖縄でプルメリアを注文してー…、知ってる?プルメリア。とてもかわいい花なんだよ。」
「南国っぽい花ですよね。」
「そう。雰囲気が明るくて、早瀬ちゃんっぽいなーと思ったら、随分と店に帰ってないことに気が付いてね。空港から家にも帰らず、直接来たんだ。」
まだ店に君がいると思ってね、と言葉を紡ぐ。志津や月路よりも年上らしいおおらかさを以て笑う。
「ところで、早瀬ちゃん。」
「はい?」
志津はノートパソコンを閉じる手を止める。
「随分と面白いものに憑かれてるね。」
「!」
月路が反射的に顔を上げると、店長と目が合った。その視線は隣の志津ではなく、確実に月路を捉えている。
「え…、神谷店長…?」
志津も困惑して、声を震わせた。
「気づいてないわけじゃないよね?さっき、会話をしていたみたいだし。」
そういうと一歩踏み出して、月路の前に立つ。
「見えるんですか?」
月路の気持ちを代弁するかのように、志津は問う。
「うっすらだよ。輪郭だけで、表情まではって感じ。」
「…。」
志津と月路は顔を見合わせる。
「君には見えているみたいだね。さっきも言ったけど言葉も…交わせるって解釈で間違いない?」
「…はい。」
志津が頷くと、ふーんと言って面白そうに笑った。
「彼?彼女かな。名前は?」
無精ひげを撫でながら興味深そうに聞いてから、そうだ、と言う。
「先に名乗るのが礼儀かな。僕の名前はね、神谷宗一郎。よろしくね?」
月路は自分と目線を合わせるように猫背になる宗一郎に対して、むっとしたように唇を尖らせた。志津とも親し気で、自分よりも大人の男性という感じが月路の男としてのプライドに触れた。
「ええ、と。彼は…、」
「志津ちゃん、ちょっと待って。」
月路は志津を遮って、前に出る。
「何かな?」
宗一郎は楽しそうに月路を見た。志津もどうしたのかと彼を見守る。
「…。」
月路はテーブルにあったじょうろから零れた水たまりに、指の腹を押し付けた。そして、力をこめる。
『山吹 月路』
水が線を引き、文字を書く。志津から見ると普通の景色だが、宗一郎からすればひとりでに文字が現れたように見えるだろう。
「へえ。山吹…、月路ね。なるほど、なるほど。」
宗一郎はジーンズのポケットからスマートホンを取り出すと、手早く画面をタップする。
「あれ?この前、自殺した人じゃない?」
あまりにもあけすけな聞き方に志津は、神谷店長、と名を呼んで諫めた。
「ああ、ネットシンガーなんだ。ふーん…。」
宗一郎は動画サイトに投稿されていた月路の楽曲を聞き始める。
「なんか、有名な曲をコピーペーストしたみたいな歌だね。」
「え…、」
志津は宗一郎の毒舌に、絶句した。そして慌てて月路を見る。
「…月路?」
初めて見る月路の表情は、無表情だった。
怒りも、悔しさも、悲しみも、戸惑いも感じられない、全くの無だった。
「月路、大丈夫…、」
「え?うん、どうしたの。」
ふっと月路は笑みを浮かべるが、そこはかとなく感じる凄みに初めて志津はゾッと背筋を凍らせる。
「あ、もう終業時刻を結構過ぎちゃってたね。早瀬ちゃん、店の締めは僕がやるからもう帰っていーよ。」
「はい…。じゃあ、失礼、します。」
宗一郎に笑顔で見送られて、志津はバックヤードから持ってきた荷物をまとめて店を出るのだった。
「月路、行こ。」
「それ、連れてくんだ?」
背後の宗一郎の発言に、志津は立ち止まる。
「…霊でも、人間ですよ。」
そっと振り返り、『それ』という言葉に対する意見を述べた。微かに感じられた志津の怒りに、宗一郎は肩をすくめるのだった。
再び志津は月路を促して、歩き出す。どこか気まずく感じられる帰り道だった。雑踏に紛れながら、二人は沈黙を貫いていた。午後に少しだけ降った雨のせいで、空気がむっとこもるような湿度の高い夜だった。人々は首元の襟を開き、涼を仰いでいる。駅前では居酒屋のチラシを配る店員が、冷えた生ビールの存在を告げていた。人の流れが多いこの時間帯、月路と志津だけが別空間に取り残されたかのようだった。
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