第9話 奪うよ。
夕飯にかき揚げを食べ、志津はアルコール缶のプルトップを開けた。
「志津ちゃんって、お酒飲むんだ。」
意外そうな表情で、月路は志津を見た。
「嗜む程度だよ。」
そう言いながら、缶を傾ける。
舌にはしゅわしゅわとした炭酸の刺激が残る。苦みのあるアルコール成分が喉の粘膜に染みこんでいくようだった。
「嗜む程度っていう人が一番酒豪説~。」
ははは、と月路は声を出して笑い、志津の頬に触れた。
「あ、でもほっぺ熱いね。」
「…そう?」
ひやりとする月路の肌が思いのほか、心地良い。
「心が荒れてるみたいだね。どした?」
「…。」
月路はいいこ、いいこするように志津の頭を撫でた。その優しい手つきが、今は何故か気にくわなかった。他人の心の機微に敏感な月路が憎らしい。
「貸して。」
志津はその手を取って、手のひらにキスをする。驚いた月路はひゅっと息を呑んだ。
「月路は、ここに居るんだよ。」
「志津ちゃん…?」
「感情を持って、自分の足で立ってる。ただ体が無いだけ。」
だから、と言葉を紡ぐ。
「居ないものだなんて、悲しいこと言わないで。」
自殺するほど苦しんだ人が死んでも尚、悲しい思いをする様子なんて見たくないし、聞きたくない。
本当は、酔って言いたくなかった。でも飲まずには居られなかった。神様の意地悪に耐えられなかったから。
「ねえ、月路。昼に私と性的接触をしようって手を繋いだとき、気持ちいいって言ったよね。それって未練が少しは晴れたってことなのかな。」
「言ったけど…、」
月路は言葉を濁す。
「確かに人肌が恋しかったのかもしれない。けど、成仏するとは限らない。」
彼の真摯な瞳が、私を更に酔わせるようだった。
「でも、成仏するかもしれないんだよね。可能性はあるんだよね。私は月路に納得して、満足して成仏してほしい。」
これ以上、月路が傷つくのを見たくなかった。
あなたが空から落ちてきて。体を亡くして、たった一日。だけど、その一日で私は月路のしあわせを願うようになれた。
「試してみようよ。」
「何、を…。」
「セックス。」
月路が瞳をぱちぱちと瞬かせているのがわかる。自分でも随分と思い切ったことを言ってしまったと理解しつつ、もう後には引けない。
「来て。」
志津は月路の手を引いて、ベッドへと誘った。そして彼を座らせると、目の前でシャツを脱いだ。露わになるブルーの下着姿に月路は慌てて止めに入った。
「ストップ。志津ちゃん、酔ってるでしょ。」
なるほど、アルコールの摂取後はこういう弊害があるのかと志津は冷静に思う。だが、こちらちとしては全く引く気はない。
「酔ってないよ。」
「酔ってる人ほど、そう言うよ。」
月路はベッドにあったブランケットでまるっと志津を包み込んだ。紳士な態度に胸が詰まる思いだが、志津は気に入らなかった。
涙がほろりと、一粒零れる。
その涙を見て、月路は慌てたように志津をブランケット越しに抱きしめた。
「なんで泣くの。」
「…私の体が、あなたに満足してもらえるなんて思ってないもん。」
ぐすぐすと泣きながら、志津は自分の精神年齢が下がっているのを感じた。理解しつつも、言葉は止められない。
「でも、それでも成仏できたら嬉しいじゃない。これ以上、月路に傷ついてほしくないの。」
「志津ちゃんは優しいなー。」
そういう月路の声色自体に、優しさが滲んでいた。
「っしょ、と。」
月路は志津の膝裏に手を入れて抱え直す。そして幼子にするようにゆらゆらと体を揺らし始めた。その緩やかな刺激と甘い温もり。そしてアルコールの影響で眠りそうになるが、志津は唇を噛んで我慢する。
「わざとでしょ。」
唸るように月路を威嚇する。
「何が?」
口元に笑みを浮かべて余裕ぶっているところが憎らしくて、志津は月路の頬をつまんで引っ張った。
「痛ててて。」
「思ってもねーことを。月路、私を寝かしつけようとしてんの見え見えなんだから!」
「そんなこと言ったって、」
月路が何かを言う前に、彼の髪の毛を引っ張り近づいた唇をキスで塞いだ。
頑なに閉じた唇を強く噛む。驚いて僅かに開かれた瞬間を逃さずに、自らの舌を口腔内にねじ込む。月路の薄荷のように清涼感のある唾液を味わいながら、志津は角度を変えつつ何度も貪った。
息継ぎのために、ぷは、と口を離すと月路は困ったように首を傾げながらも、ふうふうと呼吸をしていた。
「志津ちゃん…、」
「私、謝らない、から。」
俯いて、濡れた唇を嚙みしめる。月路にそんな表情をさせるつもりはなかった。
「セックスをして、成仏できるかもわからないんだよ。」
「…。」
月路は志津の手をそっと取る。
「俺みたいな男に体を許す道理もない。」
ちゅ、ちゅ、と志津の指に月路はキスをしながら、言葉を紡ぐ。言葉とは裏腹な行動に、志津は微かな混乱と相反する快感を覚えた。
「それでも、いいの?」
志津が視線を持ち上げると、月路がじっとその深層を探るような瞳で見つめていた。
「…うん。」
返事を聞くや否や、月路の手のひらが志津の後頭部を固定するように回されて、そのままぐっと力をこめられる。
「きゃ、わ。」
唇を奪われて志津は驚きつつも、すぐに月路を受け入れた。彼の欲情に火を点けられたことが嬉しい。
「…ぅ、う…ン。」
月路の分厚い舌で志津の口の中がいっぱいになる。上あごを撫でるように攻められて、喉の淵をえぐるように蹂躙する舌は暴力的なまでの情熱が満ちていた。
志津は自らの体温の急激な上昇と酸欠によって、目の奥でチカチカと火花が散る。限界の意味を込めて、月路の胸を拳で叩くが志津の意志は無視された。
「…っ!」
口の端から飲み切れなかった、どちらかともいえない唾液が溢れる。肩が震えて、苦しさから生理的な涙が零れた。意識が途切れる、と思った刹那、月路のキスから解放される。
「は…っ、あ…、」
息が切れて、志津の肩が激しく上下する。
「はは…っ、可愛い顔。」
月路は唾液に濡れた唇を手の甲で拭い、危なげに笑った。
「…、何。どこでスイッチ入ったの。」
月路に頬をあむあむと食まれながら、志津は問う。
「抱かれるためにお酒で気合を入れるところとか。自分に自信がないくせに俺のためを思って、覚悟してくれたところとか。…普通に、堪らないよ。」
そう言うと月路は志津を抱え直した。志津の頭が枕の上に着地して、すぐに月路も覆いかぶさってきた。圧をかけられて苦しい思いをしながらも、志津は抱きつくように彼の背中に手を回した。月路はよしよしというように志津の頭を撫で、改めて聞くのだった。
「最終確認。…本当にいいの?」
こんなにも甘ったるい声が出るだなんて、知らなかった。
志津は何回目かとも数えていない溜め息を零す。それを感じ取った月路は、志津を抱く腕に力を込めた。
「ー…志津ちゃん?」
「…な、に…。」
「そんなに硬くならなくていいんだよ。」
月路は強張る志津の体を宥めるように、優しく撫でていた。だが志津にとってはその刺激は、余計に緊張を高めるに過ぎなかった。下着の布越しに触れられる体は徐々に火照っていく。月路は後ろから彼女を抱いて、耳を食んだ。
「きゃ…っ、」
思わず耳を塞ぎかけた志津の手を月路は取る。
「…唇、が赤くなってる。」
月路の顔がぐっと近づいて、志津は息を呑んだ。そして結んだ唇に温かく滑った何かが押し付けられる。それが月路の舌だと気が付いて、志津はふっと笑ってしまう。
「月路って、キスが好き?」
「ん。好きだよ。」
月路の欲がこもった声が鼓膜に響く。その掠れたような色っぽい声に、下腹部がじんと痺れて、生まれた熱を出してしまいたくて、きゅっと腿の間が引き締まった。
「緊張してるね?」
こくりと頷いて見せると、月路は志津の頭を幼子にするように優しく撫でた。恥ずかしくて、でも、止めてほしくなくて。志津は自分でも矛盾した気持ちに動揺した。月路は志津の目尻に滲んだ涙を一滴、人差し指にすくって口に含んだ。
「かわいい。志津ちゃん。」
志津の額に、瞼に。頬に、唇。月路から志津へキスの雨が降った。いくつもの熱が花火のように咲いては、パッと散っていく。しなやかな腕を伸ばして、志津は月路に抱きついた。
「…っ、」
志津に抱きしめられて、月路は彼女の胸になだれ込む。とくん、とくん、と生きている証。心臓の音が強く大きく響いていた。
「志津ちゃん、落ち着いてね。…ゆっくり触るから。」
その言葉通り月路は少し起き上がって、柔くゆっくりと志津に触れ始めた。
月路は志津の首元に顔を埋め、鎖骨を舌でなぞった。時折、歯を立て、唇で吸う。志津の肌に紅い花が散っていく。
「…、」
切なげに眉根を寄せた月路は、志津の耳元で囁いた。
「志津ちゃんを、奪うよ。」
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