第8話 平気。

志津は簡単に昼食を済ませて、お茶を飲む。相変わらず月路は香りや温度だけで済むようだ。随分とエコな体だと思う。しばらくお昼の情報番組を一緒に眺めて、14時過ぎ。

「これから夕飯の買い出しに行こうかと思うんだけど、月路はどうする?」

「俺もついていっても良い?この町のこと、知りたいし。」

志津は頷いて、エコバックに財布とスマートホンを突っ込んで玄関に向かった。その後ろを、月路が嬉しそうについてくる。

外に出ると、昼下がりの柔らかい空気に満ちていた。かつん、かつんと一人分の靴音を響かせて、二人はアパートの階段を下っていく。道路に出ると反対側の塀の上、猫がじっと見つめてくる。

「あ、つん。」

猫の存在に気が付いた志津が声をかけた。

「つんって言うの、あの子。」

「そう。いつもつんつんしてるから、つん。勝手に命名したの。」

月路が手を振ると、猫はそっぽを向いて再び寝入ってしまう。

「本当だ。つんってしてる。」

ふは、と月路は吹き出して笑う。

「またねー。」

志津が手を振ると、猫はしっぽを僅かにゆらゆらと降ってくれるのだった。


社会人になってから同じ町に住み続ける志津には、馴染みの深い商店街に訪れた。昔ながらの個人商店が多く、大手スーパーで一気に買うよりも手間だが店の主人との会話が楽しく、志津はよく利用していた。

「おや。早瀬ちゃん。平日のこの時間に会うの、珍しいね。」

惣菜屋のおばちゃんが、志津に気軽に声をかける。

「仕事、休みなんです。」

「そうかい、じゃあ休みついでに家事も休んで、お惣菜を買っていかない?」

志津はうふふと朗らかに笑う。

「相変わらず、商売上手ですね。このかき揚げを一パック、くださいな。」

「はいよ!焼売一個、おまけしてあげる。」

作りたてのかき揚げの横に詰められた焼売が窮屈そうだった。

「ありがとうございます。嬉しー。」

手を振って別れ、志津はのんびりと歩いて行く。その前を月路が楽しそうに大股で歩き、志津を振り返った。

「何を買ったの?」

「ん。野菜と魚介類のかき揚げ。プラス、焼売一個。」

志津は嬉しそうに、エコバッグに入れたパックの惣菜を確認するように見る。

「一個とは?」

微妙な個数に、月路は首を傾げる。どうやら彼女たちのやりとりの際、別のところを見ていたらしい。

「あそこのおばちゃん、よくおまけしてくれるのよ。」

「そうなんだ。ね、何だか楽しいね。」

月路は心の底から楽しいと笑った。

「そう?普通の日常じゃない?」

「俺、最近は宅配の食事ばかりだったから。お店の人と直接の会話って、いいねえ。」

会話を交わしていると、小さな女の子が志津を不思議そうに見つめているのに気が付いた。

まだ、3歳ぐらいだろうか。

「おねえちゃん。」

「ん?なあに。」

不意に声をかけられて、志津は女の子と目線を合わせるようにしゃがみ込む。

「だれと喋っているの?」

「…。」

ちらりと月路を見る。女の子は首を傾げている。

そうか。他の人には、月路が見えていない。…と言うことは独り言の多い変な人じゃん、私。

「…秘密?」

事細かに説明したらそれこそ変人だと思い、誤魔化してみる。疑問形になるのはご愛嬌だ。

「そっかー。」

誤魔化されてくれたようだった。

女の子は、やがて母親らしき女性と合流して去って行く。


「ばいばーい。」

無邪気に手を振られて、志津は手を振り返す。その背中が見えなくなった瞬間、隣に立つ月路がそっと志津に声をかけた。

「ごめんね。俺の所為で、志津ちゃんが変な人になってた。」

「なってた!?」

誤魔化しきれてない?

「うん。」

頷く月路を見て、志津は肩を落とした。

「マジかー…。」

「外で喋るときは注意するね。」

しゅんとする月路の姿が、何故か子犬のそれと重なってしまう。

「小さい声で喋るから、平気だよ。」

心をそのまま伝えられたら良かったのだが、自分が死んだとしてそんな特殊能力を使えるようになれるとは思えない。実際、月路にも思っただけでは言葉は伝えられなかった。ままならないものだ。

「うん…。でも、無理しないでいいからね。」

時としては居ないものとして扱って、と月路は寂しそうに呟くのだった。

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