七章 兄弟喧嘩③

 ルカの怒りなど気にもとめずに、テオドールは軽く頷く。


「当然だとも。伝えるために、わざわざあそこにおしゃべりをしに行ったのだからね。知ってもらった方が、彼をより引き込みやすくなるだろう? 最終的な手数が大きく減らせるのなら、途中の手間は惜しまずにいる方が効率的だ。そして君のサルベージャーもオロチの遺産も、どちらも手に入れられればそれが一番いい」


 彼は一息おくと、にこりと微笑んだ。


「兄思いの弟に、とても感謝しているよ。君がここにとらわれたことで、ユージーンは我々のテリトリーに来ざるを得なくなる」

「どうでしょうねぇ? 生憎ですけど、今や彼は私でも手を焼くほどの生粋の人工人類嫌いになっているんです。オロチのことは大切に思っていても、私のことはそうじゃありません。上からの命令でバディを無理やり組まされて、日々うんざりしていましたから、わざわざ取り返しに来るなんて到底思えませんけどね」


 ルカのせめてもの足掻あがきを見透かしたように、テオドールは唇を吊り上げた。


「伝えなかったのだろう? 彼は。〝兄〟が、〝テオ〟が、君の持っている特別なものを奪い取ろうとしていると。そのボディだけを強奪して、するつもりだと」

「……」


 悠仁があの時、なぜあんなに躊躇ためらいながらも必死で警告をしてきたのか。ようやくそのわけを、ルカは知った。自分が壁になって棘を食い止めることで、彼がルカの心をなんとか守ろうとしていたということも。


「君への気遣いで、伝えるべき正確な情報を伝達しなかったことが、今回のユージーンの敗因だね。そういう情が生じている以上、たとえ先端技術犯罪対策局ACBが動かなかったとしても、彼が君を取り返しに来る確率は九十九%だ」

「……テオ」

「まぁ現時点では、オロチの遺産が我々の望む形をしているかは定かではないけれど……それでも彼は有能だ。何かしらの使い道はあるだろう。ライアンは彼自身の意思で穏便に仲間に引き入れたいようだが、そんな悠長なことを言っている場合ではないしね。ひとまず連れ去って、どうしても首を縦に振らなければなんらかの材料にするという手もあるし」

「……テオドール……!!」


 ルカの怒鳴り声が、庭園中に響き渡った。


「……そんなに怒った君は、初めて見たな。相棒を罠にかけたのか気に食わなかったかい? それとも材料にすると言った方が気に障ったのかな? ああ、どちらもか。……よろしい。では我々も、初めての兄弟喧嘩といそしもうじゃないか。ただし……生存を懸けた少しばかりシビアな、ね」


 そう言って紅茶を口に運んだテオドールが視線を上げた時には、ルカの姿は目の前から消え去っている。下草を踏む音があっという間に遠ざかり、ややあって、ルカが走り去っていったのとは反対の方向から足音が近づいてきた。


「あれ? ルカとお茶をするのではなかったのかい?」

「つい今しがたまでしていたよ」


 現れたブライアンが見下ろしたテーブルの上には、なみなみとミルクティーががれたティーカップが所在なさげにたたずんでいる。


「どうやら弟の機嫌を損ねてしまったようでね。姿をくらましてしまったんだ」


 テオドールはそう笑って、しばらく板状のデバイスをいじっていたが、やがて首を振った。


「やはり捕捉できないな」


 ブライアンは眉根を寄せる。


「姿を眩ましたって……全域管理されているこの島の中で、どうやって見失えると?」

「ルカは我々兄弟の中で、一、二を争うほどそういうことがうまいんだ。いつだったか兄弟全員でかくれんぼをしてみたことがあったんだけど、一人だけ最後まで隠れきったからね。これは探すのに骨が折れるかもしれないなぁ」


 テオドールはどこか楽し気に笑った。


「まぁ、いずれ嫌でも出て来なくてはならない時がくる。それまでは久しぶりに、可愛い弟と遊ぶことにするさ」

「……性格の悪い兄を持つと大変だな」


 ブライアンがどこか同情するように呟いた。


「せっかく久しぶりに兄弟に会えたのに、殺伐としすぎじゃないか? こんなに景色のいい場所にいるのだから、もう少し平和に過ごせばいいのに」

「それはそうさ。どんなに上面うわつらを美しく取りつくろったところで、ここは結局は楽園たりえない戦場だ。ハリボテの平穏を同じように気取ったところで、大した意味などないだろう?」


 その皮肉な物言いに、ブライアンは眉根を寄せる。


「テオ、上辺だけなんかじゃない。我々の願いが成就じょうじゅすれば、これこそが世界になるんだ」

「……踏みにじり合いの果てに、そのような世界が本当に生まれるのだろうか? 私はそれには懐疑的だね」

「……ではなぜ、君はここにいるんだ。テオドール」


 紫色の目のアンドロイドは笑みを浮かべたまま、ただただ黙ってブライアンを見返すばかりだった。

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