七章 兄弟喧嘩①

 そこは木々がのびのびと枝葉を広げ、色とりどりの花が咲き乱れた、どこか現実感のない天国か楽園を思わせるような庭園だった。青空のもと時折心地の良い風が吹き抜けていくこの場所が、実は建物の中だとは一見しただけではまずわからないだろう。


 見たこともないような美しい色をした小鳥が飛んできてさえずり、時にや空想上の生物が現れ、その宝石のようなきらきらした目でルカを見つめた。


 美しい場所だった。木やつたや花で作られた優美なデザインの東屋も、そこに用意されたティーセットもなにもかもが、美麗で品よく完璧な調和を見せている。


「……」


 けれどルカは、その美しくきらびやかなものの影に潜む、じっとりとした不穏を感じていた。


 応援に駆けつけた現場でコンテナに閉じ込められた後、計測器の類が使用できなくなったため、あくまで地図と推定上の走行距離や曲がった場所を掛け合わせて割り出した現在置しか把握できていない。しかしそれが正確であれば、ここは東京湾だった。東京湾の、海の上ではなく空中にいるのだ。


「さぁ、そろそろいいかな」


 ルカの目の前に腰掛けて優雅に紅茶を淹れている男は、まるでこの庭園の主人であるかのように風景の中にしっくりとおさまっていた。髪の色はルカとよく似たミルクティー色。目はアメジストを思わせる深い紫。その容貌はルカよりもひと回り上の世代に見えるようにつくられている。


「君はキャンブリックティーが好きだから、いい蜂蜜を用意しておいたんだよ。なにしろ私がバベルタワーを出て以来、本当に久しぶりの再会だからね」

「……」

「さぁどうぞ」


 ルカの疑惑の滲む眼差しを気にすることもなく、記憶にあるいつも通りの、いや穏やかさで、テオドールは茶を勧めてきた。


「……テオ、ですよね……?」


 ティーカップには手を触れず、ルカは彼の表情をうかがう。


「おやおや。私の弟ときたら、ほんの数年会わないだけで私のことがわからなくなってしまったのかい? 私はテオドール。間違いなく君の兄だよ」


 テオドールはくすくすと笑った。


「……教えてください、テオ」

「なんだい?」

「どうして、一切の消息を断つようなことをしたんですか?」

「それはもちろん、私がどこで何をしているかに勘付かれたら、こういうことになるだろうとわかっていたからだよ」


 彼は磨き上げられた銀のティースプーンを手に取ると、くるくるとかき混ぜる。紅茶と牛乳と蜂蜜が渦を巻き、すぐにまろやかな色合いに馴染なじんだ。


「現にこうして、君が日本に派遣されてきた。他の兄弟たちも、そろそろ集結してくる頃合いかな?」


 どこか満足気な笑みを浮かべて、テオドールは続けた。


「やはり色んな国に情報をいておいて正解だったね。一気に来られるとさすがに対応が大変だ」

「……なぜ」

「大事なたくらみに、邪魔が入ると困るだろう?」


 彼はなんでもないことのように言って、紅茶に口をつける。


「……今は、あのブライアン・ブラウンの下にいるんですか?」

「ライアンの? いいや」


 テオドールは軽く笑った。


「君も知っての通り、私は今、役目のない余生を楽しんでいるところだ。ドクター・エイビスでさえ、主人足りえない。ついでに付け加えるなら、ライアンは私が誘ったんだよ。このネオ・アヴァロンにね」

「……じゃあ、やっぱり」


 ルカが言葉を絞り出すと、紅茶の湯気の向こうで紫の双眸そうぼうが細められる。


「マスター権限を解除さえすれば、私を連れ帰れると思った? タワーの誰も、私を疑わなかった? ドクターは君に警告をしなかった?」


 カップをソーサーに戻し、ルカを真っ直ぐに見たテオドールは、これまで一度も見せたことがないような笑みを浮かべた。


「そうだとしたらご愁傷様だ、ルカ」


 背筋が薄ら寒くなるような、悪意のしたたる笑みを。

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