六章 強奪③

「……滅びを避けたければ、人類の新たなる境地を模索せよ?」


 悠仁は思わず眉根を寄せて聞き返した。想像していたものと、随分と毛色が違っていたからだ。


「まぁ、よくある世紀末的予言の雰囲気ですよね。可能性を模索せよ、と焚き付けている点は少々違うかもしれませんが。でも、あの頃ウェブ上では、それがまことしやかに囁かれていたんです。世界は滅びるかもしれない。ならば我々は、自分たちの可能性を拡張して道を繋ぐ必要があるって。真っ赤なでたらめだ、いや本当だ、嘘と真実が入り混じっている、といくつもの派閥ができて大論争になっていました」


 川上飛鳥はそう苦笑する。


「そもそもこの情報の発信源は誰なのか? 信頼できる存在なのか? ということになったんですが、結局はっきりした情報はどこにもないものだから、色んな説が飛び交っていましたね。それこそ、どこの国のトップの誰それだ、高名な学者だ、世界最高の占星術士だ、あるいは予知夢が見える預言者だ、神だ、地底人だ、いや宇宙人だ、極秘裏に開発された全てを見通すAIだ、秘密結社からの警告だ、いや地球そのものからのメッセージだなんだと、それはもう好き放題に説が乱立していました。まぁ人って秘されているものに魅力を感じやすいというか、恐怖に絡め取られやすいというか、陰謀論とかも大好きな生き物ですからね」

「……随分とスケールが壮大というか、ざっくりしているというか……聞いた限りでは、犯罪と直接結びつくようなものではないんですね」


 悠仁はコーヒーを飲みながら呟いた。


「確証があるわけではありませんが、そう思わせずにそちら向かわせる、というのがネオ・アヴァロンのやり方なのかもしれません。少なくとも現時点では、健康な生体へのブレインマシンインターフェイス経由の意図的な干渉は違法です。でも人によっては、人類の滅びを防ぐためならそれを犯すこともやむなし、と考えるようになる可能性がありますからね。抑止力を緩めるのが目的なのかもしれません」

「なるほど」


 彼女は紙カップのスリーブをくるくる回しながら、再び口を開く。


「これはさっき思い出したことなんですが、同時期にもうひとつ出回っていた噂があるんです。確か、人類の新境地の鍵はどうやら日本にあるらしい、という感じのものだったと思います。ただ、当時の私は自分のザムザの製作に夢中だったもので、それにあまり興味を惹かれませんでした。そんなわけで、これ以上の情報がないんです。その鍵が一体何のことを示しているのか……人なのか、物なのか、何かシステムのようなものなのか、それすらよくわかりません」


 申し訳なさそうに彼女は言った。


「正直、ウェブ上にはいつだって真贋しんがんのわからない情報があふれています。流言飛語りゅうげんひご戯言ざれごとや妄言のたぐいはザラですから」

「確かにいちいち真に受けてたら、きりがありませんね」


 キャラメルマキアートをひと口飲むと、川上飛鳥は付け加える。


「ウルフムーンの製作者が、どのような情報を得ていたのかはわかりません。ですが、その新境地の鍵について何かを知っていて、目標として掲げていた可能性はあるのではないかと思います」

「なるほど」


 悠仁は頷いて、彼女に礼を言った。必要な時以外はウェブを閲覧する習慣があまりないため、そういうウェブ上の噂話の類に悠仁はまったくもってうとかった。ここで教えてもらえなければ、その推測にすらなかなか辿り着けなかったかもしれない。いや、強制バディ下にある現在の悠仁であれば〝私、役に立つでしょう?〟という視線と共に、ルカが探り当ててくれた可能性もあるが、それはそれでしゃくな気もするのでこれでいい。彼女は役に立ったならよかったです、と頷き返した。


「その人類の新たな境地というのが、一体どういう方向性を指すものなのかが私にはよくわからないので、なんとも言えないのですが……柏さんとピエロさんのやりとりを見た限りは、あの人たち〝ジョエルの福音〟も、また別の側面から新境地にアプローチをかけたもの、という可能性がありますよね。にえや奉納者と呼んでいたということは、もしかしたら団員の方々はなにかしらの情報データを提供して、それをもとに何かをつくっているということかもしれません。ああして駆けつけてくれたということは、少なくとも一定の成功をおさめているのではないかと」


 悠仁はその考察に感心して深く頷いた。やはり、彼女は目の付け所が違うようだ。少し迷ったが、思い切って尋ねてみる。


「……あの、これはただの個人的な興味からの質問なので、答えたくなければ答えなくていいんですが……川上さんはザムザをどうして作ったんです?」


 ここまで話してみた限り、年若いとは言え彼女は賢く冷静で、あのような愉快犯的な騒ぎを楽しむようには見えなかったからだ。若気の至りだったのだろうか。


「……嘉口さんはありませんか?……もう虫でも動物でもなんでもいいから、とにかく自分じゃないものになりたくてたまらなくなったこと」


 彼女は少し気恥ずかしそうに、視線を落として続ける。


「あのザムザは、私自身のために作ったものです。人間の可能性とか、そういう高尚なこころざしなんかは全くなくて……ただ、自分のためだけに。思春期的なものもあったと思いますが……その……あの当時は自分の生まれとか、親との関係性とかで、色々と悩んでいたもので……願望と、自分の技術力を確かめるためと、気晴らしもかねて」


 カップを指先でさすりながら、川上飛鳥は小さく笑った。


「あの当時持てる全てを注ぎ込んだ甲斐あって、製作は成功しました。でも私はひとつ、とんでもない大ポカをしてたんです。……なにが起こったと思います?なんと、元に戻れなくなってしまったんですよ」

「……あ」


 騒動になった原因との相似点に気づいて悠仁が思わず呟くと、彼女は頷く。


「それに気づいた時には、正直パニックになりました。……おかしいでしょう?戻れないなら、それは本望だったはずなんです。私じゃないものになれるならなんでもいいと思って、虫になったグレゴール・ザムザが羨ましくて、あんなものを作り始めたんですから」


 淡々と、柔らかな声が語る。


「でもいざアクシデントで戻るのが危うくなったら、結局私は自分自身を必死で求めました。あれほど嫌がっていたはずのものに、手を尽くしてなんとか戻ろうとしたんです。あの時私は自分の中に、恒常性ホメオスタシスによる変化への恐れとは別のものを、確かに感じた気がしました」


 その茶色味の強い明るい双眸が、強い光を宿して悠仁を見上げた。


「表面上ではどんなに拒否しているように思えても、私は真意では私自身を求めている」


 真っ直ぐなその瞳から目が離せず、悠仁は黙って彼女を見つめ返す。


「私は他の何かではなく、自分自身であることを望んでいて……たとえ何かが起こったとしても、別の存在に変わって越えるのではなく、たぶん私として越えていくことを望んでいる……そんな私なりの答えを得ました。そこまでは、まぁよかったんですが」


 そこで急に、川上飛鳥はもじもじと恥ずかしがるような素振りをした。


「それで、その、ここから先がとんでもない大事になってしまった原因なんですけど……これは、知りたくてたまらなくなってしまったんです。ほんの二、三人でいいから、戻れなくなったらどんな反応をするかを見てみたくなって……もちろんちゃんと追跡して、アンインストールまで私がしにいくアフターケアつきですよ?宣伝も何もしていないダークウェブの片隅ですし、知らない製作者の得体のしれないものに手を出す人は少ないだろうし、何件かダウンロードしてもらえたらすぐに引っ込めようと思って……」


 悠仁は内心苦笑する。まさかこの聡明な女性から、好奇心を抑えきれず押収品を勝手に分解して減給処分になった坂本春彦と似たにおいを感じるとは。何かを作り出し探求する者というのは、どうにも似たような部分があるのかもしれない。少なくともその強い好奇心がなければ、何かに分け入っていくような真似はしないだろう。


「でも、考えが甘すぎました。別件で少し目を離していた隙に、ユーザーが爆発的に増えてしまっていたんです。たまたま拡散されたのか、その性質を見抜いた誰かが愉快犯的に意図して広めたのか……慌ててザムザを引っ込めましたが、もう遅すぎました。なんとかしようとしたんですが、個人ではとても対処しきれる規模じゃなくなっていて……それで私は、先端技術犯罪対策局ACBに出頭したんです」

「……だからあの件は、すぐに対処法が確立されたのか」


 悠仁は納得してそう呟く。当時のことはまだ覚えているが、全体的に対応が非常に速やかで的確だった。規模の割に早々に事態が収束したのは、彼女が自発的に情報と技術を提供したからだったのだ。


 その後ひとつふたつ世間話的なことを話してから、貴重なお話をありがとうございました、と悠仁は腰を上げる。彼女も立ち上がると、深々と頭を下げた。


「こちらこそ、あの時は危ういところを助けてくださって本当にありがとうございました。ルカさんにもどうぞよろしくお伝えください。……あ、そうだ。お渡ししたいものがあるんです。安全性は局の技術課でチェック済みですし、一課の人たちにも最終テストで使ってもらっているところです。山吹課長にも、嘉口さんにひと足先にお渡しする許可をもらいましたから」


 彼女がそう言いながら並んだ端末のひとつを操作すると、悠仁のデバイスにファイルが送られてきた。開けば、六角形のマークの中に


 AA・OPTIMIZATIONオプティマイゼーション


 とあり、右下で小さくβベータの文字が点滅している。


「用途は限られると思いますが、もしかしたら何かしら捜査のお役に立つこともあるかもしれません。もちろん、今度は〝なりっぱなし〟じゃなくて、ちゃんと自由に元に戻れるようにしてありますから」


 彼女はそう付け足すと、どこか悪戯いたずらっぽく笑ったのだった。

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