六章 強奪②

 一課の人間に後から聞いて知ったことだが、もともと川上飛鳥は先端技術犯罪対策局ACBの保護観察対象者だったのだという。


 そのためネオ・アヴァロンから勧誘のメールが送られてきた時に、彼女はすぐに担当者に相談したらしい。そして協議の末、しばらく外出の際には一課の誰かしらが護衛につくことで合意した。


 しかしあの日彼女は、家からわずか五分の距離にあるショッピングモールに行くために護衛に来てもらうのは気が引けて、呼ばずに出かけてしまったのだという。そして買い物を終えて帰ろうとしたところで、ピエロ・クイーンと遭遇した。慌てて一課の担当者に発信を入れつつ、勧誘に応じるつもりはないとはっきり断ったが、「せっかくだからもう少しお話しましょう?」と食い下がられていたところに、あの柏と呼ばれた初老の男たちが現れたのだという。


 ルカの情報によれば、彼らは〝ジョエルの福音〟という団体の人間ではないかということだった。ピエロ・クイーンと話していたことを考慮すると、ただの新興宗教と片づけるわけにもいかなそうだ。


 川上飛鳥と面識があるわけでもない彼らが、先端技術犯罪対策局ACBに先んじてあの場に駆けつけられたのはなぜなのか。どうしてネオ・アヴァロンと対立しているのか。そもそもどういう意図から結成されている団体なのか。彼らが口にしていたにえや奉納者というのは何を指しているのか。疑問は多い。


 スターマックスコーヒーの紙袋を下げた悠仁は、そこで一旦思考を打ち切ると、本局の敷地の奥にある建物へと歩いて行った。重厚な造りのドアの鍵を電子局員証で解除して中に入り、インターホンに部屋番号を打ち込む。


『はい』

先端技術犯罪対策局ACB二課の嘉口です」

『今開けます』


 ガチン、と扉の鍵が重々しく鳴った。この建物は全体的にセキュリティが厳しく、この扉も解錠後十秒で再びロックがかかるため、急いで中に入る。エレベーターも途中途中に設けられている扉も、出入りの許可が降りているIDがなければ作動しないようになっていた。悠仁はエレベーターに乗り込み、三階を押す。


 想定されていたよりも事態が深刻だったため、川上飛鳥は今はこうして本局の敷地内で保護されていた。豪華とまでは言えないが、ある程度生活できるようになっている部屋がこういう時のためにいくつか用意されているのだ。


 三階で降りた悠仁は、カツ、カツ、カツ、カツ、と足音を人気ひとけのない廊下に響かせながら、彼女の部屋へと向かった。


 ドアチャイムを鳴らした悠仁は同時に時計に視線を落とし、五秒、十秒、と無言でカウントをしていく。たっぷり一分ほど経過した後、玄関に人の気配がして扉が開いた。ショッピングモールで会った、セミロングの黒髪にバーガンディー色の眼鏡をかけた若い女性が顔を覗かせる。


「お待たせしてすみません、嘉口さん」

「大丈夫ですよ。身を守るための大事な決まりですからね。ちなみに、ドアスコープはちゃんと覗きました?」


 これは先端技術犯罪対策局ACBと彼女との間で、あらかじめ決めてあった符丁ふちょうである。彼女の方は、チャイムが鳴っても一分間は反応をしない。来訪者はチャイムを鳴らすのは一度だけ。もし二度も三度も鳴らされたり、一分経つまで待っていなかったら、それは本局からの来訪者ではないということだ。


「あ、今はそこまでは……インターホンで見たので大丈夫かと思いまして」

「約束の相手に間違いないだろうという状況でも、念のため必ず確認してください。たぶん大丈夫だろうとは思いますが、インターホンの映像が差し替えられていたり、直前で人がすり替わっているなんてことが、絶対にないとは言えませんので」

「わかりました。気をつけます」


 若い女性を怖がらせるのは気の毒な気もするが、状況を考えると慎重になっておくに越したことはないだろう。ネオ・アヴァロンに優秀な人材として目をつけられている以上、どういう手を使ってくるかわからない。


 通されたリビングは全体的にナチュラルテイストで広々していたが、異質なのはその面積の半分近くをパソコンやモニターなどの電子機器が占拠しているということだろうか。


「そちらのソファにどうぞ」

「ありがとう」


 なぜ、まだ二十歳という若さの彼女が犯罪組織に狙われ、そして先端技術犯罪対策局ACBの保護観察対象になっているのか。先日初めてそれを知った悠仁は驚いたのだが、実は彼女は三年前に世間を騒がせた生体干渉アプリ〝メモリーズ・オブ・ザムザ〟、通称〝カフカ〟の製作者だったのである。当時、彼女はまだ十七歳の高校生だった。


 悠仁は自分の分のコーヒーを取り出してから、星のマークがついた紙袋を差し出す。彼女は支払いをしようとしたが、差し入れだからと首を振ると嬉しそうに礼を言って受け取った。


「あ、これは初めて見ました」


 彼女が手にしているのは、レジ脇の新商品のカゴに盛られていたチーズケーキ味のダックワースだ。悠仁がおまけだと伝えると、その顔がほころぶ。実年齢よりだいぶ大人びている彼女だったが、笑うと年相応に見えた。


「ありがとうございます。人にしろ配達ロボにしろ、万が一居場所がバレる可能性を考えると出前アプリは使えなかったので……もうスタマのコーヒーが恋しくて恋しくて」


 いかな先端技術犯罪対策局ACBの敷地内で守られていても、自ら招き入れては意味がないとよくわかっているのだろう。若いが分別はそれなりにしっかりしているらしい。


 彼女はキャラメルマキアートを手に、悠仁の向かいに腰を下ろして首を傾げた。


「それで、私にお聞きになりたいことってなんでしょうか?」


 普段関わりのある一課ではなく、二課の局員が訪ねてきたことを不思議に思っているのだろう。悠仁は違法な生体干渉アプリ御三家が現在二課を中心に現場対応していることを軽く説明し、聞き取りの結果、逮捕されたウルフムーンの製作者が何かを目指して制作していた可能性があることを伝えた。


「あなたが作ったザムザは時期的にだいぶ前ですが……その越えたかったものに、なにか心当たりがあったりしませんか?」

「ああ、なるほど。あの時ピエロさんと柏さんが話していたことに、関連づいていないかということですね?」


 彼女は納得したように頷き、しばらく考えるような素振りをした後、口を開く。


「これからお話しすることはあくまでも私の推測に過ぎず、ピエロさんが言っていた〝種〟とか〝水やり〟に相当するという確証があるわけではありません。……ただ、恐らくそれではないかと思われる情報は、当時の私も得ていました。それは深層ウェブだけではなく、普通の表層ウェブ上でも広まっていたことなので、そのことを見知っていた人は結構多かったんじゃないかと思います」


 一旦切ると、彼女は言葉を探すように間を開け、その指先でコーヒーの紙カップを撫でた。


「違法な生体干渉系のアプリとひと言で言っても、それこそピンからキリまでありますし、単に模倣に過ぎないものもあるでしょう。……ただ、もしがそうだったなら、一部のものには間違いなく影響が出ていると思います。少なくとも違法な生体干渉アプリの総数が増えたり、秘密裏にそういった研究が進められているきっかけには、間違いなくなっているでしょう。ひとつだけ誤解しないでいただきたいのは、私のザムザに限って言えば意図は全く異なります。というか、性質的にむしろ逆と言えるかもしれません」


 川上飛鳥は髪を耳にかけてキャラメルマキアートをひと口飲み、それから静かに続けた。


「私があの時ウェブ上で目にしたのは、〝滅びを避けたければ、人類の新たなる境地を模索せよ〟という警告文でした」

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