六章 強奪①

「ああぁ、私の平穏な午前中が終わってしまいました」


 出動から二課の部屋に戻ってきた途端、デスクに突っ伏してルカが嘆いた。


「……平穏だったか? 包丁持った女に追い回されたが」


 悠仁の耳には「たっ君ぅうううん!!」という狂気をはらんだ甲高かんだかい声がまだこびりついる。


 偽装された英雄ゲートに引っかかってしまった今回の被害者兼加害者は、周りにいる人間が全て、浮気性の彼氏だか夫だかに見えるようになってしまったらしい。相当追い詰められていた———違法アプリに手を出しているあたりからして、そうに違いない———彼女の思考はアプリの干渉でより極端になり、〝目移りしないように目を潰さなきゃ〟から〝生きているからそんなことをするのね〟へと衝撃の飛躍を見せ、彼女は包丁二本をたずさえた恐怖の〝たっ君キラー〟に変貌を遂げた。例によって、こちらの「我々はあなたのたっ君ではない」という説得の声はまるで届かない。


 悠仁とルカは通報で現場に駆けつけていた警察官たちと相談し、包丁くらいであれば全く問題がないルカがメインのたっ君役を引き受け、彼女に接近して翻弄ほんろう。悠仁は技術課が開発した機器で強制停止できる隙をうかがい、数がいる警察官たちには無関係の人に彼女の目がいかないように、一定間隔で周りを囲い〝たっ君バリケード〟になってもらった。


 組織を越えた連携により無事に取り押さえることができたが、その他大勢のたっ君役を拝命していた新人警察官は「今日の夢に出そうですぅ」と半泣きである。場慣れしている悠仁でも彼女の狂乱に薄ら寒くなったくらいだから、無理もなかった。気の毒だが、こういうことを繰り返して百戦錬磨の警察官や捜査官になっていくのだ。


 ちなみに本家本物のたっ君は、一番最初に片目を刺されて病院に搬送されたらしいが、一応無事とのこと。これを機に、彼は人との関わり方をもう少し考えるべきだろう。目移りする性分が変わらないなら、それをオープンにするなり、彼女だの妻だのを決めないようにするなり、もっとやりようがあるはずだ。


「いやだって、坂本さんは〝たっ君〟じゃなくて、〝ルカ〟をまっすぐにロックオンしてきますからねぇ……気持ちの逃げ場がないですし」


 ため息と共にルカはそうぼやいた。今日の午後はそれぞれ業務が違うのだ。悠仁は先日関係した川上かわかみ飛鳥あすかに聞き込みに行く予定で、ルカは技術課から協力要請を受けていた。


 今回は間違っても、悠仁が売ったわけではない。日々ねちこく進化を続ける英雄ゲートへの、踏み込んだ対策を取るために呼ばれたのだ。ドクター・エイビス仕込みの知識があるルカの意見は、技術課の人間たちにかなり重宝されているらしい。


「まぁうまくのせて、対価なしでみついでもらって相殺しろよ」

「坂本さんはともかく、他の方からはめちゃくちゃ貢がれそうになってますよ。なにも要求してませんのに。やんわりお断りするのが大変なんですよ?」

「いいじゃねぇか。ああそうだ、ついでにおねだりして来い。もう少し使い勝手のいい強制停止用の武器を作ってくれって。飛び道具型だとなおいいんだが」

他人事ひとごとだと思ってぇ!」


 勝手なことを言い出した悠仁に向かってむくれると、ルカは鼻息も荒く立ち上がった。


「今日の午後いっぱいそんなことになっている以上、私にはたっぷりのカンフル剤が必要です」

「エナジードリンクか?」

「クリームソーダに決まってるじゃないですか。悠仁さんも一緒に行きます?」


 見せられた画像に写っていたのは、ファンシーというかファンキーというか、とにかく盛りに盛られて、もはやクリームソーダの名でくくれるのか疑わしい代物だった。


「なんだよ、こりゃあ……女子高生か?」

「確かに映え系に見えますけど、見掛け倒しじゃなくて味もオリジナルで美味しいらしいですよ? あと、ここのカフェはごはんの種類も豊富みたいです」


 悠仁が時計を見上げると、時刻は十二時三十分を指している。


「いや……時間的に厳しいな。川上飛鳥とのアポが一時半からだから」

「ああ、そうでしたね」


 昼休憩は一時間あるが、混み具合がわからない上、料理がすぐに出てくるか確証が持てない店はひやひやするに違いない。そのまっとうな判断を後で死ぬほど後悔することになるとは、この時の悠仁は露ほども思っていなかった。


「それじゃ、悠仁さん。川上さんのところを訪ねる前に、スターマックスコーヒーに行ってもらえます?」

「ん?」


 聞き返した瞬間、ピコン、とルカからのメールを受信する。投影すると、誰かからのメールを転送したものだった。


「川上さん、ショッピングモールであんなことになったでしょう? だからこのところ、外出を自主的に控えてくれているみたいなんですよ。自分が外に出ると誰か巻き込みかねないし、一課の人が護衛につく必要があるからって。それでこもりっきりになっているみたいなので、何か欲しいものがないか、食べ物とか飲み物でもなんでも言ってほしいと送っておいたんです」


 こいつはこういう気遣いが本当に細やかだよな、と思いながら、悠仁は川上飛鳥からの丁寧な返信に目を通す。ご要望はスターマックスコーヒーのキャラメルマキアートとチーズケーキであるらしい。


「わかった。買ってくわ」

「よろしくお願いします。じゃ、私も行ってきますね」

「おう、気をつけていけよ」


 スターマックスコーヒーなら、確か本局近くの大通りのとこに星のマークの看板が出ていたなと思いながら、悠仁は部屋を出ていくルカを見送った。

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