五章 ユージーン④

「兄貴を追うのは、できれば他の奴に代わってもらった方がいい。いるんだろ? 他にも動ける兄弟が」

「……なぜです?」


 これまでのような〝AI嫌い〟に起因する発言ではないと察したようで、ルカはいつものように言い返したりはせずに聞いてくる。


「ネオ・アヴァロンが……お前のボディに搭載されている何かを狙っているらしいと聞いた。ショッピングモールでお前と離れた後、本当に偶然、構成員らしいのの話を漏れ聞いたんだ」


〝はるばる探しに来た肝心要の兄貴が、お前を廃棄しようとしている〟とは、悠仁にはどうしても言えなかった。


「ああ、その可能性はあるなと思っていました」


 ルカは驚く様子もなくそう頷く。


「知っていたのか」

「ええ。あれは兄弟たちの中でも私しか持っていない上、類似する機能を持つものが、今のところないので……存在を知れば、欲しがる人はいるでしょうね。極秘事項に触れるので、それがどういうものかについては伏せさせてほしいんですけど……我々エイビスシリーズはそもそもが特殊なコアを使っていますが、それとはまた別に一個体ずつ異なる能力をボディに組み込まれているんです」

「だったらなおのこと、あんな物騒な連中に奪われていいもんじゃない。ドクター・エイビスに話して、最後の任務は別のものに変えてもらえ。事情が事情なんだから、わかってくれるだろ」


 悠仁の進言にしばらく考えるような間をあけた後、ルカは首を振った。


「いえ、このまま続行しようと思います。他にも気になっていることがありますし……私にも意地がありますから」

「いや、意地とか言ってる場合じゃねぇだろ」

「それ、本当に悠仁さんには言われたくないですよ」

「ああ?」


 何やら雲行きが怪しくなってきた。悠仁が今すべきは、ルカを少しでも危険から遠ざけることであって、間違ってもくだらない言い争いをすることではない。わかっている。わかっているのだが———……


「悠仁さんが協力的になってくれさえすれば、きっとささっと片付けられますよ。私たちが組めば、百人力ですって」


 彼は真相を知らないため仕方がないのだが、あまりにも能天気なその提案に悠仁の苛立ちはつのった。しかも、なにげなくこれまでの悠仁への批判を込めているあたりが非常にしつこい。


「何で俺がお前と仲良しごっこをしなきゃならねぇんだよ! AI野郎なんざお断りだって言ってんだろ!?」

「この後に及んでまだ言いますか!? いつまでも駄々こねてないで、いい加減認めなさいよ!」

「はっ、やなこった!」


 その子ども染みた返答に、温厚なルカも堪忍袋の緒が切れたらしい。


「あなたときたら、もうオロチの息子じゃなくてイコジの息子ですよ! この意固地野郎いこじやろうが!」


 とうとう暴言に暴言が返ってきた。


「お前だって人のこと言えねぇだろうが! 狙われてるから引っ込めって言ってんのに!」

「そもそも先に引っ込むべきはあなたの方でしょ!? 自分も狙われてるの、もう忘れたんですか!? とんだ鳥頭じゃないですか!!」

「誰が鳥頭だ! ねちねちねちねちいらねぇことを覚えてる陰険AI野郎よりも、よっぽどいさぎよいだろうが!」

「誰が陰険AIですって!?」

「コーヒーに酢をぶち込んでユーモアとか呼んでる奴が、陰険じゃなくてなんだってんだ!? 不満なら一発ぐらい殴ってみやがれ! 許可がいるって言うなら許可してやる! はっきりとわかるように示してみろよ!!」


 互いに売り言葉に買い言葉で、もはや完全に収拾がつかなくなっている。


「私に手が出せないと思っていると痛い目みますよ!?」

「おお、痛い目見せてみろ! 当てられるもんなら当ててみやが——————……!」


 次の瞬間ルカの右ストレートが頬に炸裂し、悠仁はソファに思いきり倒れ込んだ。


「……あ」


 ルカが〝しまった〟という顔で、こちらを見つめている。


「……お前、やっぱり人工人類規定の縛りがないんだな」


 規定の制御下にあるものなら、理由がなんであれ———たとえ人間側の理不尽な言いがかりが原因であっても———緊急停止反応が起こるはずだった。


「……そうか……ならいい……なら、いいんだ」


 思わずほっとしてそう呟いた悠仁を、彼はなんとも言い難い表情で見ている。


「……もしかして、兄貴とか他の兄弟たちもそんな感じなのか?」

「……そうです。まぁ私たちエイビスシリーズのこういう特殊性は、特定層には公然の秘密ではあるんですが……ある意味、テストケースでもありますからね」

「心配しなくても、人に言いふらしたりしねぇよ」


 悠仁はそう約束し、それからちらっとルカの方をうかがって切り出した。


「……なぁ、少し考えたんだが、もし万が一お前の兄貴が、〝余生〟の自分の意志としてネオ・アヴァロンにいた場合は……どうなる?」

「意志として、ですか?……そうですね。限りなくゼロに近いとは思うんですけど……その場合は話が大きく変わってしまいますよね」


 悠仁は慎重に尋ねる。


「……その可能性は、低いと思うか?」

「そうですね。テオは我々エイビスのネオアンドロイドの中で、最も温厚かつ人に友好的と言われている個体なんです。紳士的ですし……たとえどんなにご立派な思想を掲げたところで、人を害する可能性の高い地下組織に好き好んで入るようなことはしないと思います。テオは私や他の兄弟にもいつも優しかったですし、なにしろ人への思いやりとかそういうことを指導してくれたのも、彼ですから」

「……なるほどな」


 ポーン、とコーヒーメーカーが抽出完了を知らせ、ルカがキッチンへと入っていく。


「私の方は十中八九、搭載されているもの狙いで間違いないと思いますけど……悠仁さんの方は本当に、ピエロ・クイーンが言ってた〝特別なもの〟に心当たりはないんですか?」


 カウンター越しにそう聞かれ、悠仁は首を振った。


「それだよ。俺の方はまったく心当たりがないんだ。奴らは一体何のことを言っているんだか」

「例えばオロチさんから、何か預かっていたりとかは」

「いや、何も」


 しばらく思い返してみたが、やはりこれといったものは思い浮かばない。


「もう二十年も前なんだ。あの頃の物で手元に残っているのなんて、たぶんこのキーホルダーくらいだぞ」


 そう呟いて、悠仁はバイクの鍵をルカに渡した。なんの変哲もない古いコインのついた、ただのキーホルダーだ。


「当時使っていた支給武器の類は全て返却したし、成長期だったから貰った服ももう入らなくなってきてて、処分するなり人にやるなりしたしな。……どうだ? なにか隠された秘密はありそうか?」


 光に透かしたり、振ったりとしばらく調べていたルカだったが、ややあって首を振る。


「至って普通のキーホルダーのように見えますね」

「だろ?」


 ルカはバイクの鍵と共に、コーヒーの入ったマグカップをカウンターに出した。ふわりと香ばしい匂いが立ち上る。喉が渇いていた悠仁はすぐに飲もうとしたが、ふと手を止めてどこか疑わしげな目で彼を見た。


「お前、まさかこれアレじゃないだろうな?」

「第二ラウンドをお望みでしたら、今すぐ猛烈にショットを追加しますが」


 ルカはにやっと笑うと、バルサミコ酢の瓶を調味料棚から取り出して振ってみせる。


「馬鹿言え。あんなもんはもうりだ」


 悠仁はそう苦笑し、どこか優しい味のコーヒーを口に運んだ。

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