五章 ユージーン③

 帰宅した悠仁はソファにどっかと腰を下ろし、大きなため息をついた。


 ———この一日で色んなことがありすぎだろ……


 仕事自体は早く上がったはずなのに、その後にメレディ、ピエロ・クイーン、テオと突発事態が立て続き、とうとう処理しきれなくなったのか頭と心がもやがかっている。完全にオーバーフローだ。


 もはや思考は放棄して、悠仁はぼんやりとリビングを眺めた。ソファに合わせたシックな敷物に、植物の緑、木目の美しい円形のコーヒーテーブル。その上に橙色に近い柔らかな灯りが降り注いで、すっかり以前とは様変わりしている。


 あの能天気な同居人がやってきてから、随分と命のにおいがする部屋になった、と悠仁は他人事ひとごとのように思った。それが良いことなのか悪いことなのかは、今の鈍りに鈍った頭ではよくわからない。


「……お帰りなさい」


 帰宅に気づいたルカが、おずおずと部屋から出てくる。


「……ああ。ただいま」


 二人の間に沈黙が満ち、ややあってルカが珍しく歯切れ悪く切り出した。


「……あの、悠仁さん。聞いてもいいですか……? もちろん、言いたくなかったら、答えなくていいんですけど……」

「……オロチのことか」

「……はい」


 散々振り回されていた形勢が逆転しているな、と悠仁は内心苦笑する。


 もうここまできたら、普段しないことがもうひとつくらい追加されたところで変わらないだろう。投げやりにそんなことを思った悠仁は、


「あまり面白い話じゃないぞ? 特にお前みたいな生まれの奴にしてみれば、余計にな」


 そう前置きしてから口を開いた。



 * * *



 世界には、戦争島と呼ばれる場所がある。


 戦争用地として用意された、海上の人工島や浮遊島のことだ。有史以来、人と争いは切っても切り離せず、二十世紀どころか二十一世紀になってなお紛争はなくならなかった。その果てに取られた対応策である。


 専用の場所を用意してまでして戦おうとするなど愚かしいにも程があるが、そうでもしなければ早晩に人類は滅びかねないというのが共通の見解だったからだ。住まう星そのものさえ巻き添えに、自分たちを余裕で滅ぼせるほどの兵器を大量にこしらえた異質な生き物とて、絶滅を回避しようとする生存本能は残っていたらしい。


 そうして、それらの人工的な戦場は造られた。争いが不可避になった国はそこで代地戦争を行い、勝敗を決する。星全体にとんでもない影響を及ぼす核兵器や細菌兵器などのたぐいは使用を禁じ、あくまでも戦場内に留めること。その誓約を破れば、全世界からあらゆる制裁の対象になり、事実上国は立ち行かなくなる。


 そんな取り決めを経て、戦争は盤上遊戯により近いものになった。ただし実際に血が流れ、命や金が吹き飛ぶものではあったが。


「ならばもういっそ、チェスか何かで決着をつければ良かろうが」


 各地の戦場に予約が詰まっていると聞いた当時の国際連合の議長が、呆れ返った様子で皮肉を言ったのは有名な話である。


 悠仁がオロチと出会ったのは、そんな欧州所有のとある戦場のひとつだ。伝承から名をとられたその浮遊島は、マゴニア二番島と呼ばれていた。


 幼い子どもであった自分が、どうしてそんなところにいたのかは覚えていない。何か心因的なものなのか、物理的に頭をぶつけでもしたのか、訳ありの生まれでそもそもそんなものは存在していなかったのか、親の記憶も、己の名前すらわからなかった。


 だがとにかく、気づいたら悠仁はそこにいた。


 空は暗くうつろだった。

 そこら中に千切れた死体や機体が転がり、草木は枯れ、地面は基盤が剥き出しになるまでえぐられて、命の不在ばかりが目立つ場所だった。

 きっとすぐに、自分もその仲間入りをするのだと思って震えた。

 だが———そうはならなかった。

 現れた黒鉄くろがねの死神は、なぜか幼い子どもの手を引いて生きながらえさせ、この名を与え、生き残るすべを教え、そして最期はその子どもを守って果てた。


「あの日は……なんだか戦場内がおかしくてな。事情は結局はっきりしなかったんだが、敵対国の兵士とは違うものが横槍で入り込んでいたらしい。厄介な兵器を持ち込んでいたそいつらと、俺は運悪く遭遇して……そして俺をその場から逃すために……オロチは死んだんだ。……オロチのボディの黒い装甲は、すごく強度が高くてな。たぶん停止後に引き剥がしたんだろうとは思うが、後で盾代わりにされていたのを見た時には……さすがに人間を辞めたくなった」


 口の渇きを感じながらも、悠仁はぼんやりやりとした頭の命じるままに話し続けた。


「戦場で発見された時点で、俺は五、六歳くらいだったみたいだから、それから七年くらいはオロチと一緒にいたことになるか。……まぁもう二十年も前の話だよ」


 悠仁は少し前からぐしゅぐしゅしていたルカに、ボックスティッシュを放った。仕事柄アンドロイドはそれなりに見てきたが、こんな風に泣くのを見たのは初めてだ。


 ———本当、これのなにが人間と違うっていうんだよ。自我を持たせて、それなのに規定で縛って一方的に言うことをきかせるっていうのか……? オロチのことだってそうだ。……この世界は……


 そこまで考えた悠仁は、長く話してカラカラになった口で無理やり唾を飲むように嚥下えんげして、一旦思考を止める。


「……もうわかってるだろうが、今日会ったメレディともあの戦争島で会った。敵同士として会うことが多かったが、あのオロチをライバルと呼んではばからない変な人だったよ。俺も巻き込まれて二回くらい殺されかけたが、オロチがいなくなって日本に引き取られることが決まった時に、あの人が日本語を教えてくれた。まぁ教えてというか、叩き込んでというか……オロチよりよほどスパルタだったから驚いたな。まぁおかげで気は紛れたが」


 語り終えた悠仁は、もそもそとティッシュで顔をぬぐっているルカをしばらく見つめた。


 ———もし、兄の真実を知ったら、こいつはまた泣くんだろうか……


 しばらく迷った後、それでも悠仁は口を開く。このまま何も言わずにいれば、彼は間違いなく危機に陥るからだ。出会ったばかりの頃ならいざ知らず、今となってはそれを容認できるはずもなかった。


「……ルカ。お前は日本を離れた方がいいかもしれない」

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