五章 ユージーン①

 悠仁は喫茶店の奥の席に座り、ぼんやりとコーヒーから立ち上る湯気を見つめていた。


 直帰したはずの部下の片割れが戻ってきたことに驚いた百瀬だったが、起こった事態を説明するとひどく心配された。彼と笹尾局長だけは、先端技術犯罪対策局ACBに来る前の悠仁に何が起こったかを知っているからだ。


「とにかく帰って休みなさい。ひどい顔色をしているよ」


 そう言われてバイクに乗ったものの、どうしてもそのまま家に戻る気にはなれず、悠仁はこの店にやってきていた。


 ———特務捜査官にさえならなければ、こんなことにはならなかったのに……


 そんなことを恨みがましく思いながら口をつけたコーヒーは、ルカが淹れるものとは違ってやけに濃くて苦い。


 先端技術犯罪対策局ACBには、最高等級の特務監査官になると受けられる特権がいくつか存在している。特別手当がつくことで給与が上がったり、福利厚生で利用できる施設などのグレードが上がったり、借り上げの住居が高級なものに変わったりするあたりは、一般企業とそう変わりはないだろう。


 そしてそれらの特権の中で何よりも特別なのは、その副官として高機能AI制御の相棒が用意されることだ。アンドロイドであることが多いが、人によっては特製の武器や動物型のボディにAIを仕込んでいる場合もある。


 人間と連携をとって捜査に挑めるような高機能AI搭載のアンドロイドは、当然ながら非常に値が張る。それが専用に与えられるということは言うまでもなくある種のステータスで、その特権に憧れて局員を志す者も一定数いた。悠仁に最年少で特務捜査官昇進の打診がきた時には、周りにずいぶんと羨ましがられたものだ。


 だが、悠仁は即座に断った。特務捜査官になること自体は別に嫌ではなかったが、その強制的なバディ制度にどうしても納得できなかったからである。


 用意される副官たちは、どう考えても優秀な捜査官を守るための盾だったからだ。


 そして何度打診しても昇進を受け入れない悠仁に、とうとう上が折れた。AIの副官なしでの単独許可が特例で認められたのだ。そのあたりのゴタゴタを知る者たちからは〝孤高の一匹狼〟などと呼ばれたが、悠仁としては笑うしかない。


 ここにいるのはただの臆病者だ。それともお気に入りのぬいぐるみを離したがらない子どもだろうか。


 わかっている。望んだわけではないにしろ、そう造った側に属しているくせに、そう在ってほしくないと願うなど己のエゴしかないと。


「……はー……」


 悠仁は一つ大きなため息をつき、ぬるくなってきたコーヒーを口に運んだ。大体、少し頭を冷やそうと思って来たこの喫茶店さえ、ルカから教えられた場所なのだから我ながら笑うしかない。


「では、その辺りの席にしようか」


 ふいに、まろやかな声が英語でそう言ったのが聞こえた。連れがいるようだから、多少騒がしくなるかもしれない。悠仁はコーヒーを飲み干して立ち上がりかけ———


「「はーい、テオ兄様」」


 連れらしい少女の声が、明るく重なった。


 ———……テオ?


 テオという愛称を持つ者は、世界的にみればそれなりにいるだろう。しかしこの日本においては、間違っても多いとは言えないはずだ。もちろん単なる偶然に過ぎないだろうが、このタイミングでルカの兄と同じ名前が聞こえたことに、反射的に動きが止まる。


 彼らは悠仁の斜め後ろのあたり、ちょうどぎりぎり話が聞こえるボックス席に腰を下ろした。


「……」

 

 一瞬考えた後、悠仁は注文用のデバイスを取るために体勢を変えたかのように誤魔化して、再び座り直す。


 彼らはしばらくどのスイーツにするかで盛り上がった末、プリンアラモードを二つとコーヒーフロートを注文した。その後もひとしきりスイーツ談義に花を咲かせてから、少女の声が尋ねる。


「お仕事は順調ですか? テオ兄様」

「うん、守備は上々だよ」

「ライアン兄様が言ってた人、仲間になってくれました?」


 ———ライアンって……まさかブライアン・ブラウンか……?


 配膳ロボットが運んできたカップを受け取り、悠仁は耳に全神経を集中させながらカフェラテをひと口飲んだ。


「彼はまだはっきりとお誘いをしたわけじゃないからね、これからさ。ミリーは仲間になってほしいのかい?」

「もちろんです! そうしたらまた素敵なお兄様が増えるじゃないですか。ね、ミラ」

「そうよね、ミリー。家族が増えるって素敵なことだもの」


 少女たちは屈託くったくなく楽しそうに言葉を交わしている。


「そうだね。もしかしたら新しい家族こそ、彼に必要なものかもしれないな。彼の家族は身勝手な人間のせいで失われてしまったからね。……その真実を知れば、彼も自分から我々のところへ来てくれるかもしれない」


 ———……真実?


「まぁ、彼はお父さんのオロチさんが亡くなった理由を知らないの?」


 少女の片方がはっきりと〝オロチ〟と口にした。まさか話題にしているその彼が、自分たちのすぐ近くで聞き耳を立てているとは思いもよらないだろう。


「いや、人間たちのろくでもない争いのせいで亡くなったというのは、ちゃんとわかっているはずだよ。彼が知らないのは……もっと残酷なことだ」


 うれうようなため息の後、テオは告げた。


「そのボディは戦地仕様で現在の人間そっくりのアンドロイドとは異なるし、殺戮兵器なんて呼ばれてその事実は秘匿されていたけれど……彼は本当は———感情付属人工知能Emotional−AIだった」

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